松浦宜孝日誌No.7

今日は高鍋町、川南町、都農町の出発式とその周辺の行進、そしてコープ高鍋店頭でのアピール署名活動でした。


27日、西都市での岩元勝也団長の挨拶原稿をいただきましたので紹介します。

みなさん、こんにちは!


私は昨年の今頃、こういう所に立ってお話をするなど考えもしませんでした。米軍200人を宿泊させる宿舎作りと、C17大型輸送機を発着させる滑走路作りです。


私は新田原を作り変えないでと、本当にそう思いました。それで平和委員会に参加させてもらいました。今、何が行われようとしているのか、気がついた者が発信していかなければならない!そういう思いでこの一年かけぬけて来ました。


私たちは小学生の頃、「原爆の子」とか「ひろしま」などの映画を、学校から西都に連れて行ってもらい見ました。原爆の、人を焼き尽くし、すべてを破壊した映像は鮮烈なものでした。核の恐ろしさは忘れられないものとなっています。


その恐怖の兵器を何度も実験で繰り返す北朝鮮。人類に何を残そうというのでしょうか。そしてまた、それに対峙する米軍を新田原に入れるなど未熟な政治家の感情的な対応に思えてなりません。


私はこの間、何度も新富町議会へ傍聴に行きました。町長さんは「施設は自衛隊のものだ、米軍のためではない」旨の答弁をされました。しかし、その指導をしてきた防衛省は最近どうしようもなくなって「米軍のC17を入れるため新田原の工事を始める」と公然といい始めました。


出来るだけ教えず、隠し切れなくなると本音が出る!そういうやり方が今、核兵器の海峡通過のことでもわかり始めています。宗谷や津軽海峡など5つの海峡で領海幅を3カイリに狭め、米軍の核の通過を優先していたことが、外務次官経験者数人の証言によって明らかにされています。


昨年は「米兵の犯罪の裁判権を米軍に移す」密約が明らかになりました。


日本政府は、日本の誇りを次々にかなぐり捨て、アメリカに従属してきたのです。今回の新田原の工事も、環境アセスメントをやらないなど、米軍の強力な圧力でことが急がれている。そう思われてなりません。


最近、平和遺族会の方の「硫黄島の報告」を聞きました。硫黄島ではまだ1万人近くの遺骨がアスファルトの下に眠っていると言います。とても悲しいことが今も続いています。私も叔父と従兄弟をあの戦争で亡くしています。米軍を入れる今回の工事に,私たちの税金が90億円も使われます。戦死された方々は絶対に許さない!私はそう思います。


イラクの悲惨な戦争を見ていてもわかるのは「戦争は憎しみだけふくれあがらせ問題は何も解決していない!」ということです。


私は今、二つの大きな願いがあります。ひとつは戦争をする国づくりはもう止めてください!ということ。


もう一つの願いは、教え子を戦場に送らないで下さい!ということ。


この平和行進がこれらの願いを吸収し、世界の平和を大きく前進させられることを期待し私のあいさつとします。

 

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年6月30日 20:28に書いたブログ記事です。

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