森 悦子日誌No.24

鹿児島平和行進4日目。


知覧平和公園から行進。6月24日に鹿児島に着いた後、鴨池生協クリニックの松下先生が行進の時は見れないだろうと知覧平和会館へ連れて行ってくださったので大変嬉しく勉強となりました。


出発式には、生協病院事務長、町づくり委員会、新婦人、全法務、コープ労組、日本共産党など参加。いざ、行進。


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▲川辺医療生協病院組合委員の皆さんです。素敵でしょ。


途中、要請団は南九州市役所へ行きました。市長、副市長共に不在。署名は、おふたりからいただきました。


私は、先日平和会館を見学した感想を述べました。約1時間、残された写真や手紙を読んで涙が止まらなかった。とくに明日は死んでいく17、18歳の青年の姿を想像すると、なぜ死を恐れず向かっていけたのだろう。残念に思う。頭のいい青年ばかり。戦争は、二度としてはいけないと思う。


会館に続く石灯籠は、ひとつひとつに仏様が彫られて大好きな息子の供養を願い、建てられたと思う。沢山の観光バスが見学にやってくるようですが、世界に向け、本当の意味で戦争反対を発信してほしいと思います。


10時、市議会事務局長にも会い、署名を受け取りました。市役所として、毎年全国から知覧を訪れた人々に募集し、スピーチコンテストを開催しています。要請団は7人。


10時20分、豊玉姫神社で合流。水車で動かすからくり人形、今年は、「うらしまたろう」作品づくりを見せてもらい、また行進しゅっぱーつ。田植えの終わったばかりの田んぼを眺めながら。急に雨が降ってきてカッパが間に合わずびしょぬれ!川辺生協病院まで4回もどしゃぶり。少しおさまってまた、惜しみなく降ってました。


昼食は、組合委員さんの手づくり。とてもおいしいかったです。


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▲鹿児島医療生協川辺医療生協病院組合委員の皆さんが作ってくれました。ご馳走さまでした。


13時から「森 悦子さんを囲む会」でした。松本先生は、30年ぶりの平和行進でした。「被爆二世です。小さな小さな運動の積み上げで、20世紀は安心して暮らせる世の中が来るよう、オバマさんの発言を支持し、日本政府が核兵器廃絶を発信すべきときです。ひとりひとり一歩づつ歩いて行きましょう」。たった5分のスピーチ。


さあ、私の番。生い立ちから、父の仕事は火葬場でした。許可書を持って依頼に来るため、子ども心に恥ずかしく友達も呼べない。現金がなく、学校へ順番でしか持っていけないのが悲しい。なぜ貧乏があるのか両親を嫌い、高校を卒業したら家を飛び出した。これまで生きてきたこと。平和行進は、多くの人々と共有したいと思います。15分も話しました。


また、行進しゅっぱーつ。南さつま市役所訪問。副市長から署名を受けました。20人参加。今日の歩数は、18,000歩。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年6月30日 23:13に書いたブログ記事です。

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