森 悦子日誌No.15

奄美平和行進1日目。


午前8時10分、事務局長の迎えで中央病院の朝礼に参加し、あいさつさせていただき恐縮しました。


駐車場に集合して宣伝カーと先頭車の二台で出発。


9時43分、大和村大棚に到着しました。はじめに大和村村民の江崎定信さんからのあいさつ。今も原爆の数十倍の核兵器があり、人類にとっての脅威です。


政府は2、3年前に米があまりすぎたといい、汚染米を押し付け、給付金と言ってばらまき、消費税は値上げを言い出し、すべて軍事費に回してしまう。世界情勢が核兵器廃絶に向かっているのに日本だけが変わっていない。持ち場、持ち場で平和を訴えたい。みんな畑に出ていて、人影はない。でも歩きました。


10時40分、大和村訪問。事務局で打ち合わせして臨んだので良くできました。小玉三郎さんが退職時、一時間の平和教育を行った経験を話しました。伺っておくといいながら同和教育にも力を入れていると言う。


11時50分海岸べりで休憩。冷たく冷えたスイカを食べ、珊瑚礁で海の色が変わっていて素晴らしい。でも埋め立てが過ぎ悲しくなりました。


奄美は水不足もないのにダム建設が行われ、77億8千万円も使われました。現在用水がにごり、臭くて飲料水として使用不可の状態。なんという無駄遣い。


埋め立てて養殖エビのため池を作ったが2度の倒産で放置のまま、ヘドロがたまっていました。必要以外に埋め立て、木を伐採してチップの工場があり、パルプの原料だそうです。


この部落にはそれぞれ土建屋がいて常にお金や物を配って村民をアメで釣っていて選挙になると寝返ってしまうといいます。


15時、奄美文化センターから行進出発。


16時から奄美市長を訪問しましたが不在でした。名瀬市と合併した奄美市は、平成18年6月に非核平和宣言しました。実行委員会として大和村同様に要請しましたが、宣言を制定しているのでそれなりのことは実行するよう努力するというお返事でした。


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▲奄美市を訪問して要請

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年6月22日 22:26に書いたブログ記事です。

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