宇治市役所に着くと、平和の鐘と平和の像のモニュメントが目に入った。私はそくさま全国通し行進の横断幕を平和の鐘のまえに並べ写真を撮る。
朝8時過ぎだから、市役所に働く職員さん、そして市役所前を通る学生・サラリーマンが私たちを横目に見て職場・学校に急ぐ。
「平和の鐘ー祈りー演奏曲名・6月1日~7月31日8時から19時まで・沖縄の日(6月23日」」と書いてあったがメンテナンス中で鐘は聞けなかった。モニュメントには、宇治市の要請に応えて、沖縄戦で被災した首里城公園の石・被爆した広島市役所旧庁舎の敷石・被爆当時爆心地(長崎)の側を流れる下の川の護岸に使われていた石が贈られ展示されていた。贈られ展示された日(平成16年8月15日)が書かれており、今は亡き伊藤一長市長さんの署名がありイタイタしく感じた。
「核兵器廃絶平和都市宣言・昭和62年10月8日決議・10月16日告示」のモニュメントには誰が見ても判り、自冶体の姿勢が見える。
松本さんと久永さん(県内通し行進者)は、久我山町への要請行動に出かけ、大久保という市内で合流。
市内を行進して城陽市役所に着くなり市への要請行動、そして昼食(要請行動参加者の昼食はオアズケだったが時間に余裕であり、私はオアズケの方が美味しく食べられた)。
市内を行進して京田辺3kmの標識の橋で、歩道橋を歩くように警備の警官が指示した時、地元の方が「なぜ車道でないのか(これまでは車道を行進していたのだろう)」と少し口論、私は交通量を考えれば警官が指示したのは正しいと思い、先頭にいたので少し口をはさむ(警官の指示は他の県では当たり前と)。
行進にはいろいろある、学校帰りの子供たちの声援を受ける(オバママスクの効果もあり)、しかし子供たちは反対側の歩道を歩いているので、なかなか行進と声援する子供たちを同じ写真に入れるのが撮れなく残念だ。
京田辺市役所に約1km強の所で、昨年まで行進に参加していたが今年は歩けず、家の前で行進団を待っているとの事を聞き、行進より先に私と中平・鶴田くんが急ぐ。そうしたら道路まで出て待っていた被爆者の小野さん夫婦、「国民平和大行進歓迎の詞」の手紙を受け取り固い握手。私も感動したが、それ以上に若者は感動したようだ。手紙は京田辺市役所でのまとめ集会で読み上げられ、小野さんの気持ちが参加者全員に伝わった(私は、実行委員の人にお願いして手紙をお借りして、宿で写真に収めた)。