矢部常次日記 第44日目

行進スタート場所も色々ある。今日は、安土駅前で駅裏側の安土城敦資料館横の広場でホームから見えるが少し判りずらい(出発集会を始めようとしたら十数人が、あちらの方で待っていたと集まって来た。そして中平・鶴田くんも電車の為、少し遅れたが出発には間に合った)。


広場には「織田信長」の桃太郎旗が並び相撲やぐらがある。(説明の立て看板には『安土町は、近代相撲の発祥の地です。この相撲やぐらはその伝統を受け継いでいくために建てられました。』と書いてありました)。


この安土町は、隣市の近江八幡市との合併問題があり反対・賛成との意見があり今問題がくすぶっていると聞いた。行進して安土町役場に着き、津村孝司町長さんをはじめ多くの方の出迎え、そして歓迎と激励を受けペナント(町長さん・議会のサイン2本)を頂いた(名刺を渡しお礼の挨拶したが名刺は頂けなかった)。


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▲安土町の津村町長より署名・ペナント・賛同金を頂く


行進スタートまで時間があったので、安土町役場周辺を見ていたら、平和都市宣言のモニュメントを見つけた。そのモニュメントには「平和でありたいということは、人類すべての共通の願いである。私たちの安土町は、美しい自然と豊富な歴史・文化遺産にはぐくまれた平和の町である。この平和を恒久のものとするため、世界で唯一の被爆国の国民として、その惨禍と戦争の悲劇を再び繰り返さないため、全世界の人々に核兵器の怒ろしさと、平和の尊さを訴えなければならない。安土町は、我が国の基本方針である非核三原則を堅持し核保有国はもちろんすべての国に対し、核兵器廃絶と平和を守ることを強く訴え、ここに平和都市であることを宣言する 平成6年12月20日 安土町議会」とあった。


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▲安土町の平和都市宣言


合併には、安土町という地名がなくなることなど問題があり良くは判らないが、この宣言と平和施策は堅持して残して欲しいと感じた(今回の平和行進の中で、合併によりこのような宣言が失なわれ、結果的に住民サービスまで低下した市町村の話を聞いたからである)。


行進は、近江八幡市・京海道を通り小さな町を通過して野洲市役所に到着。市役所での歓迎は、市役所の職員の方などは多く参加して頂くが、沿道での反応は、イマイチではと思う・・・。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年6月18日 20:42に書いたブログ記事です。

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