矢部常次日記 第41日目

このコースは、昨年の国民平和大行進50周年(51回目)の時に地元の人たちの努力により新たに計画され大成功した網の目行進(本コースとは違い支線コース)である。


県によっては、1日のコースが5つから最大、愛知県の様に14コースも計画されている。運動の高まりによって網の目行進がされており、各々歴史とロマンがある。


本日このコースを行進出来ることは光栄であり、どんな出会いがあるのかと大きな期待を持って、長良川スポーツプラザを出発(行進スタート時点が違うので、松本さんとは朝食を一緒にした後、私は少し早く出る)。


行進するとお寺が多く鐘桜が目立つ。実行委員の方が2枚のコピー(カラーだが当時の写真は白黒)を見せてくれた。内容は、『鐘は1里(4km)四方に届くようにと、この地方では最大級の物が作られた。ところが太平洋戦争になると金属不足から鐘まで兵器にする為、どこのお寺からも荷車に乗せられ供出された。戦争が終わり、運が良かったのか池野東教会の鐘だけは無事に戻ってきたのです。皆の喜びと有難い涙の中、元の鐘桜に吊り下げられ、今も幸せと平和を願う昔通りの音色を響かせている』と『150年の歴史を持つ下八幡正圓寺の梵鐘(ぼんしょう)には赤タスキがかけられ、喚鐘(かんしょう)も一緒に大勢の人々にの見送りを受けながら荷車にのせられ、国旗と共に出征して行き、帰らぬものとなった写真』である。


また、今年の6月10日岐阜新聞に掲載された「戦争体験、後世に。神戸町・長久寺が初の『語る会』元兵士の門徒4人が、非戦訴え」のコピーを渡してくれその場で読みました。


真教寺では平和の鐘を行進者・参加者を代表して鉦を撞かせて頂き、「原爆犠牲者・親父を含め戦争犠牲者に黙とうして、核兵器廃絶と真の平和を希求」し2回撞きました。


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▲平和の鐘をつく


行進コース2回目で月曜日とあって参加者が少なくなると思っていたが、昨年より多く初めて会う方、飛び入りもあり成功、来年以降も若い人の参加をさらに増やし続けなければと話す小倉さん(実行委員の一人、JMIU愛知地本執行副委員長)。


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▲小倉さんとJMIU組合員


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▲初めて行進に参加した人たちと


前日貰った「第4回網の目平和大行進実行委員会」の議事録を見ると分単位のスケジュールと役割分担・昼食準備・記録、そして雨の場合の対策など参加者に不自由をかけない日程が話され、成功したんだと確信(私などには、まねの出来ないことであり敬意・・・)。


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▲ブラジル労働者:吉田・熊谷さん

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年6月15日 22:16に書いたブログ記事です。

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