矢部常次日記 第39日目

朝、別のコースを行進している松本さんから電話「昨日は、久しぶりに市内を行進した所・初めて行進が計画された地域と楽しく皆さんの接待も良かったよ、地元も『全国通し行進者が来てくれる』とあってはりきり元気だ・・・本日の午後は合流して関市歓迎集会に参加、お互いにガンバローとエール。」


昨日旅館に着いたとき、おかみさんが「もう一人の方は、東京から来るので夜の8時半過ぎに来るとの事ですよ・予約されているが名前は今はっきりしていない」」というので明日の出発時間を知らせるため「来られたら、私の部屋に連絡してください」と伝言し、夕食後町並みを見て回った。


この美濃市は、「うだつの上がる町なみ案内」と看板があちらこちらにあり、大きな財を得て建てた大きく立派な家並みが続く、あまりのものすごさに路地を回りすぎて、自分が泊まっている旅館が判らなくなった、夕方なのでジョギングする人もあり「こんばんは」と声を掛け合うが昨日の郡上八幡の市内と雰囲気が違う。


東京から来たと言う人は、全印総連の菅野さんだった。菅野さんとは、5月27日に静岡県で行進を一緒にやり話もして親しかったので、話は早い。


全印総連はリレー旗を県や地区を担当を決めて組合員で広島まで行進する。行進も22年間も継続され歴史の重みを感じる。この岐阜県では、宿泊は全国通し行進者と同じで地元の実行委員会の人の対応は違う。出発集会・歓迎集会などで、全国通し行進者が紹介され挨拶そして全印総連の参加者が紹介・挨拶する、その後県内通し行進者が紹介され時間があれば挨拶する。


良い取り組みと思うことは、他の県でも行っているが、参加団体・個人そして初めての参加者に手を挙げてもらい紹介していることだ。(JMIUの組合も紹介され今年で15回リレー旗を継いでいるのにと思い、JMIU組合員として少し全印総連がうらやましい)。


市内を行進して感じたことは、昨夜町並みを見た時感じたことと同じく、家には人がいる気配はするがあまり行進を見る姿がない、そして道で会う人のオバママスクへの反応もいまいちだ。


行進参加者とも話すが、毎年参加している方も同じ感想で、シュプレヒコール・平和の歌など歌い行進し参加者は元気だが町の反応が気になる。・・・地域性なのか・・・。


午後は、岐阜市内に移動して折り鶴平和行進にピースウォークの方・市民と市内を行進、人数が多いと元気で皆の顔も明るい。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年6月13日 22:16に書いたブログ記事です。

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