朝、実行委員会の方が宿泊先まで車で迎えに来て頂き、出発場所の知立市役所に向う。
愛知県では、2日目から10泊すべて同じ場所に宿泊して、送り迎えはすべて車での移動だ。県内のすべての自冶体を訪問・行進するため車移動も時間がかかる。実行委員会は、私たち全国通し行進者の宿泊先近くで拠点(愛知原水協事務所)を置き毎日の行進ニュース(2009あいち平和行進「あるく」)を発行している。ニュース発行も県単位でいろいろやり方が違い事務局の1日の作業は大変だ。行進が終わってからと翌日の行進コースの連絡と体制確認、ニュース作成そして全国通し行進者の送り迎えまで、作業はこれだけでないだろう、疲れを見せず元気で私たちを世話して頂く(眠る時間はあるのだろうか、私などの健康よりも心配。・・・これまで52回の平和行進でいろいろあったのだろうが、特に自分には、これまでも言いたい事を話し、判ってもらう様な性格であり、職場の仲間からは「ストレスを感じないだろう」とよく言われるくらいだから、実行委員会の方は、あまり心配しないで欲しいと思い、感謝)。
1日の予定が終わってからレポートをまとめたり洗濯などやることも多い、連泊となると旅館では、落ち着かなく過ごしづらい(私は、仕事で何カ月も出張することも多く、それなりの宿泊先を選び、環境を整えてきた)。そんなこともあって、宿泊先をビジネスホテルに変えてもらうようお願いし変えてもらった(私だけの思いでなく、共に行動する松本さんも同じ思いでは・・・)。
嬉しいことに知立市役所では、「原爆と人間展」が庁内に展示されている中央公民館前での出発集会、市長は公務で出張中とのことで清水副市長さんが、市民の手で折られた約800羽の折り鶴を行進団に託され、市長のメッセージと同時に副市長の立場で歓迎と激励の挨拶そして行進の先頭を歩いて頂いた(聞くところによれば、昨年は50メートルくらい今年は150メートルだと言う。私にとっては、神奈川県葉山町で森町長さんが行進して頂いてから、2回目の感動)。
恒例となっている願行寺に行き、旧米軍依佐美基地によって感電事故で亡くなった小学2年生宇都秀樹さんの地蔵「受難の像」に対し行進参加者全員で線香。
刈谷市役所では、反戦地主としてご奮闘された高齢の長谷川さんが当時を語り挨拶。
お昼ご飯は、地元新婦人からの豪華な差し入れに、聞いていたにせよビックリ、美味しく頂き、腹いっぱいになり、あまり食べない私にとっては昼からの行進に影響しそうだ。