9:15 三浦市役所で出発集会。杉山副市長が「みなさんのこのような地道な行動の積み重ねが、団体の枠を超えた行動の広がりを作っています。心から敬意を表します。ビキニで被災した町・三浦の象徴として平和のモニュメントを作りました。一歩一歩の行動が今大事になっています。がんばってください」と三浦市長挨拶を代読しました。
つづいて「コープかながわピースリレー事業実行委員会」の内藤さん、核兵器廃絶三浦市連絡会の川原さん(三浦市職労)があいさつ。川原さんは、「原子力空母の放射能事故の危険が高まっています。三浦市は今から55年前、ビキニの水爆実験で死の灰の恐怖を味わった街です。そのことを訴えて歩きます。そして私たちは、今年の原水爆禁止世界大会に向け、市民代表を公募し、かつてない運動を三浦市で盛り上げます」と決意を語りました。
全国通し行進者の矢部さん(JMIU )、松本さん(うたごえ協議会)につづき、県内通し行進者6人が紹介され、代表して米山さんがあいさつしました。
80人で三浦市役所を出発し、さわやかな天気のもと、三崎口駅まで元気に行進しました。
午後は北久里浜第4公園で出発式をおこないました。
出発集会では、行進の総指揮者で県原水協代表委員の今野宏さんが、「オバマ大統領の核兵器のない世界へという演説で、今運動に弾みがついています。しかし日本の政府は核の傘から抜けようとしていない。私たちの運動は今重要なときを迎えている。8月の大会へ向け、この行進を成功させ、大会成功へ、また、来年5月のNPTへ向け新たな運動の広がりを作りましょう」とあいさつしました。
つづいて「県原爆被災者の会横須賀支部(なぎさ会)」事務局長の楠本さんがあいさつ。「被爆者は今、平均年齢が75歳です。今日は6人が参加していますが、80歳台が2人、70歳台が3人、60歳台が1人の構成です。かなり被爆者は一緒に歩くことが困難な状況ですが、みなさんの元気をもらい歩き続けたいと思います」と話しました。
全国通し行進者の松本さんは、「今職場を失う労働者が増えています。その悔しい思いを平和行進に託してがんばります。来年のNPT再検討会議にも参加する決意です。私は22年間職場の門前で6・9行動を続けてきました。非核神戸方式が神戸港で適応されて、米軍の艦船は一隻も入っていない。私の住んでいる姫路には3回入って、揺さぶりをかけているが、断固神戸方式を守っていきたい。神戸方式をこの横須賀でも横浜でも広げたいと思い歩いています」とあいさつしました。
県内通し行進者を代表して地元の米山さんが、「原子力空母母港化の撤回を進めましょう」とあいさつしました。
120人で元気に出発し、途中安浦公園で休憩し、横須賀中央駅を通り、市役所前の公園に到着。横須賀市長のメッセージを市長代理の松本義弘国際交流課長が代読し、賛同金とペナントをなぎさ会の楠本事務局長に手渡しました。
また来月の横須賀市長選挙に立候補を予定している呉東正彦弁護士が駆けつけ、「本当にご苦労様です。立候補を表明して以来、小集会を50回ほど行い、横須賀市民へのサポートの必要性を実感しています。横須賀を変えたいと痛切に感じています。5千人を目標にしている『市民の市政をつくる会』にぜひ入ってください。また小集会を開いてください。6月11日には、文化会館で1000人規模の集会を開きます。ぜひ参加してください。私たちの力となる市政を作りましょう。苦しい生活を支える市政を作りましょう。何よりも原子力空母の母港化撤回を頑張ります」とあいさつし、盛大な拍手で行進団は応えました。
行進は米軍横須賀基地へ。基地ゲート前では、「原子炉修理は約束違反。すぐに中止を。私たちは空母の母港化を撤回させる」と英字で記した横断幕や「原子炉修理は約束違反」のプラスターを掲げ、全員で米軍犯罪に抗議し、凶暴な米軍犯罪で殺された人へ1分間の黙祷をささげました。
行進団はヴェルニー公園まで行進して解散しました。