川崎市役所出発式
司会は川崎実行委員会の大沢さん。市長のメッセージを市民子ども局男女共同参画室主幹青山正彦さんが読み上げました。
原爆被災者の会山口よしこさんが、「私は広島の被爆者です。原爆が落ちた時、一瞬にして気を失い、気がついた時は瓦礫の下に埋まっていました。家族みんな亡くなりました。そのことが私の反戦、反核の運動の原点です。」と挨拶しました。
川崎の平和行進実行委員長の笠木さんは、「オバマ大統領が『核兵器のない世界をめざす』といったことは画期的です。今,国連のNPT再検討会議準備委員会で、来年のNPTでは何としても廃絶までいこうと話された。この平和行進はその行動を支える大事な行動です」と挨拶。
全国通し行進者2名が紹介され、矢部常次さんが挨拶、県内通し行進者6名のうち、団長の伊藤ヒサ子さんが挨拶しました。
川崎市長メッセージ
(前略)川崎市は昭和57年に他の都道府県、政令都市にさきがけて、非核三原則の完全実施と核兵器の廃絶及び軍縮を世界に求める「核兵器廃絶平和都市宣言」を行いました。この宣言を生かし、様々な平和事業に取り組んでおります。(中略)今後とも、悲惨な戦争体験や被爆体験を風化させることなく、21世紀を担う子どもたちに平和の尊さを伝え継ぐために、積極的に平和事業を推進してまいりたいと存じます。
幸区役所 参加者100人
区長メッセージを副区長の森下さんが読み上げ、休憩してから、平間公園に向けて出発。平間公園では地域原水協、年金者組合、新婦人の接待を受けました。
中原平和公園へ 参加者120人
鈴木菊夫平和館館長が挨拶。中原原水協の清水洋子さんが、「平和館ができる前は米軍基地で、謀略ビラなどを作成する印刷所でした。返還運動がおこり、返還させ、中原平和館、平和公園、住吉高校が建設され、今では、平和活動の拠点となっております」と平和館の由来を説明しました。
医療生協、新婦人、原水協の皆さんが200個のおにぎりを用意してくれて、昼食休憩。雨もあがり、のぼりを乾かし、出発!
1時半中原出発。ブレーメン通り商店街を「平和行進です」と連帯して歩きました。再び雨が降ってきて、傘をさして歩きました。
コープかながわ井田三舞店で休憩。新城公園で行進を終了しました。