今日の天気予報を見ると、神奈川県内は最高気温が24度と昨日よりも2度ばかり低い(まさしく平和行進日和、私たち参加者は、気持ち良い1日になる。とくに御高齢の被爆者の方にとっては歩きやすい)。
三浦半島の先端の海岸近くの民宿「でぐち荘」に宿泊、私は3年前に泊まったので2回目、おばさんが『御苦労さま、今年は川崎の箕輪さんは来られていないのですか毎年手紙をくれるんですよ』と話す。
行進者・実行委員の永沢さん・森田さんそして宣伝カーを運転してもらう高松さん総勢8名の泊まりで民宿の人とは、家族同様話がはずむ。出発のとき民宿のパンフをもらい挨拶し民宿をあとにした。
三浦市と言えば、アメリカの水爆実験でビキニ環礁の被害を受けた市である。焼津の第五福竜丸(現在は、東京夢の島に展示されている)は、知る人は多いが、100隻の漁船が被害を受け、被曝したマグロが大量に埋められ処分された土地なのだ。今は埋められた場所に分譲マンションが建っている。
地元の人は、被害の悲惨さから口にしなかったためマンション住民は知る余地もない。
行進して感じることだが、繁華街の都市は人が多いが小さな市・町では不況のせいか人通りが少なくシャッターが閉まり張り紙が貼ってある店、町工場から旋盤など機械を運び出す姿が目に入る(地元の人に聞けば、廃業した店・倒産・廃業した工場だと云い、同業者だと辛いものがあると話す)。
三浦から移動して横須賀市内の平和行進。昨年9月25日に強制配備された2つの原子炉をもつ原子力空母ジョージ・ワシントンが母港としている所だ。ましてや、今年1月から4ヵ月かけて約束違反の修理を米本国から専門技術者550人を連れてきて、日本の住友重機の労働者も含め7万人が従事する大修理。空母の横に台船を横付けし、その上に特別工場をつくり立ち入り禁止区域を設け軍需機密のもとに行った。
第1次冷却水の交換、原子炉をおおうフィルターの交換、原子炉部品の交換をおこなうとされており、交換するものは原子炉で直接放射能をあび、放射能汚染されたものばかり。そのうえこのメンテナンスは、2年に1度おこなわれるといいます。
首都圏住民3300万人がいる東京湾の入口・横須賀で、ほんとうに怖しい。私たち行進団は、基地前でアメリカ軍のこれまでの被害者に1分間の黙祷と怒りをこめ1分間の無言の抗議を行った。
あまり汗をかかず、風が強かったので日蔭では肌寒い1日で参加者の顔色もいい、ご苦労様でした。