五十嵐成臣日記 5月7日~13日

残雪の白く輝く利尻富士を見ながら礼文島を出発してから今日で1週間。礼文島に渡る時は風が強くかなりフェリーもゆれましたが、帰りは静かな時間の旅でした。


稚内では市民センターで出発集会後、南稚内駅まで行進、日本最北端の町だからか風が強く、のぼりを持つのも大変そう。


次の町名寄へはJRで移動、南稚内を出てすぐエゾシカ、十数頭が線路上を移動中。列車もスピードを下げて走るが、しばらくエゾシカが線路の外へ出るまで減速運転、車窓から外を見ていると湿地に水芭蕉が群生している、さすが北海道。


列車に3時間乗り、名寄へ到着、夕方6時より、出迎え集会の行われたのは、名寄開拓時代に建てられたキリスト教会、名寄市の文化財になっているとか。集会后、暮れなずむ名寄市内を行進。


3日目は、日程の関係もあって、自治体訪問が5ヶ所。北海道は広いので移動も車となった。自治体訪問を終えて、士別町に戻りここも暮れなずむ市内を行進。名寄と同じだが、人口が少なくなったとは言え20人近くが参加。香港から里帰り中の4才の女の子から「がんばって」と激励をもらいその日のうちに旭川へ。


翌日は朝10時より平和行進、出発地は自衛隊駐屯地の前の運動公園を行進。戦車が通っても大丈夫と言われている「あけぼの橋」を通り旭川市役所へ。参加者は医労連の若い人も多く、100人を超える参加となった。その後「買い物通り」で核兵器廃絶の署名活動に参加した。


10日深川市に入る。関東の水田に比べ3~5倍と広い。機械化した農業で収益もいいと思ったが、土地改良や機械購入のため借金その上減反で大変との事。


11日深川市役所、妹背牛町を訪問し滝川市に入る夕方の平和行進となったが初の甫での行進となった。


これまで通った各市町は農業の後継者も少なく、深川市などではハローワークの職員などは縮小、配転で組合員もいなくなって行進参加者も少なくなっているとの事。そういう中で年金者組合や新婦人の皆さんが頑張っていた。


13日奈井江町に入った所で高教組OBの原水協の方よりTELで、奈井江商高の2年生が修学旅行で11月に広島へ行くので、平和教育の一環で授業の中で平和行進について話してもらえないかとの話があり、30分でしたが平和行進に私が参加した事などについて先生の問に答える形で話しました(奈井江の先生方の平和への思いに頭が下がる思いで旧炭鉱の町美幌に入り、行進と交流会をして13日はおわりました)。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年5月13日 19:31に書いたブログ記事です。

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