晴れた月曜日の朝だ。ホテルから通し行進者5人(富士山にマラソンで2回登り、山が好き平和が好きと言う県内通し行進者の山崎さんは自宅から参加)は、集合場所まで近いのにわざわざ遠回りして静岡駅前大通りを「通し行進者はタスキを掛け・大きなバックをもちながら、おはようございます」と勤め先に急ぐサラリーマン・学生さんの多い人波に交じって集合場所へ向かう(すでに平和行進、皆からは、この人達なんの集団と思ったのでは?県庁所在地だから)
9時出発集会、松本さん・向さん・高橋さんの行進者3人そして静岡平和委員会の数人で県庁/市庁を表敬訪問に行く、それを参加者全員で激励して行進はスタート。
表敬訪問した方は、10時15分ころ静岡名産・安倍川もちの一番うまいという店前を通り安倍川の橋を渡った川土手を歩いている時合流(急いだらしく、少し息は荒いが顔色は良い・内容の成果は?)。
弘徳院で昼食、出発まで時間がせわしないが食べてすぐ、飯塚利弘さん(久保山愛吉さん・ビキニ環礁の悲劇の地元の先生をやっていたという語りべ)のミニ学習会。昨日久保山さんの墓前で、オバマ・アメリカ大統領の発言、平和大行進が52回目で今日来ることなど、話し報告した。愛吉さん・奥さん(すずさん)との会話を得々と話してくださり、私だけでないと思うが参加者全員涙ぐんだ。
「『原水爆の被害者は私を最後に』という夫、愛吉さんを愛し悲願が達成される日が生きているうちにと『ヒバクシャとその遺族が生きているうちに一発残さず核兵器をなくしてください』と被災39周年1993年3・1ビキニデー集会にお集りの皆様へ」と飯塚利弘さんの話が、愛吉さん・すずさん本人が私たちの前で今話している様だった。
私は現役の労働者、大井川町役場(今は合併で焼津市)に焼津駅から移動に焼津市のバスで着く。近づくなり目に入ったが「歓迎大井川コース」の4メートル近いプラカードだ。初めは市の職員かなと思ったが違う、建交労組合の碌々産業の15人以上の組合員だ。工作機械製造で昭和16年東京・蒲田より工場疎開して創立107年。組合員は110人くらい社員は150人で2つ組合があるという。航空自衛隊静岡基地ゲートを通りターンして終結集会となった。そこにも碌々産業の組合員が出迎えてくれた総勢30人以上。
司会は、委員長が重要な会議の為出られず、代って平和担当部長の若い武井清美さん(設計技師)と県の横断幕を先頭で持った2人で進められ、行進者には飲みものまで準備して頂いた。
5回行進の小林さん「毎回この組合は、行進参加とすごい歓迎よ!、皆で考え今年初めてプラカードを作ったのよ」と話す。武井さんが「工作機械は今の不況で大変」と宣伝カーを運転してサッカー選手も泊る宿泊先に送ってもらった。ここでも札幌から来た1年目の選手と大浴場で会話。