2009年5月アーカイブ

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.1

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09.5.31.pdf

五十嵐成臣日記 北海道を歩き終えて

5月6日礼文島を出発して26日をかけ、36自治体訪問をし、首長や議長、教育長(代理も含む)と面会、「核兵器のない世界を」の署名、'09長崎大会へのペナント、平和行進への募金をお願いし、懇談しました。

 

どこの自治体でも核兵器なくす、平和への思いは同じ、北海道は首長や幹部職員の親、兄弟が戦死したり、戦争に言った人も多いのか、考え方や立場が違っても、核兵器廃絶、戦争に反対と平和行進への理解を示していただきました。

 

この26日間、北海道を歩いてみて、北海道は広大で自然の豊かな所という一般的な見方と違い、戦後の炭鉱閉鎖から始まり、農業の大型化、機械化による借金と減反などの農政のツケを負わされ、農業の後継者もなく、他に仕事もなく、若い人は外へ出て行くしかないとのこと。そうした中で、平和行進は高齢者が多くなってきているが、核廃絶と平和への思いはとぎらせてはいけないと。頑張っている様子は頭の下がる思いでした。

 

また、国鉄の分割民営化の首切りと戦った全動労の皆さんが地元に帰り、それぞれ活動され、平和行進の先頭に立っていただきました。

【愛媛】松山行進

松本英治日記No.26

平和行進26日目。晴れ後曇り。


静岡県最後の日、日曜日でもあり、大勢の参加(200人)、出発集会で挨拶、13日間のお礼を!

浜松センターの松浦さん(SSDⅡ同窓生)が電子アコを持って登場握手!小沢さんはじめ、静岡のうたごえの皆さんも多数で感激!東海道を歌いながら一路愛知へ!


今日も空君が先導、子供連れのお母さんも、(2歳くらいのよちよちよち歩きと、4歳くらいの姉妹を連れて)最高齢は90歳の加藤さん現役です!


隊列を整え、住宅街の愛知県への引継ぎの湖西西部公民館前広場へ埋田先生の「青い地球を」を元気に歌いながら、450人以上が待ち受ける愛知の仲間の中に、太鼓を叩きながらの先導で!

昼食後、引継ぎ集会、静岡の皆さん13日間ありがとう!いい勉強になりました。労をねぎらいの握手を交わしお別れしました。


愛知の皆さん12日間よろしく!被爆者の挨拶を受け、桜丘高校の原爆の灯がトーチに移され、高校生10人が挨拶し、先導で運びます。母校へ!愛知のうたごえの仲間と握手し、行進旗の引継ぎです。


矢部さんが欠席のため、全て、私が挨拶しました。静岡の心と、沿道募金は何と82万円に達したとのこと!ありがとうございました。勇気と元気をいただきました。


愛知の行進団の先頭あたりを通し行進の横断幕を持ち、太鼓でリズムを刻み、歌いながら愛知県内へ!


引継ぎ集会には、650人が!旧東海道を歌いながら賑やかに行進します、12人の高校生が原爆の灯を掲げて行進です。


日曜日で、桜丘10人、平ゼミ2人の参加。うれしい!原爆の灯の平和の塔のある、桜丘学園へ、一路歌いながら、450人の大行進団です。途中、旧東海道街道の町並みや、本陣跡を通り、写真に!


桜丘高校に到着、多くの高校生が出迎え、正門正面に原爆の灯の塔が!出迎え!校庭で歓迎集会、原爆の灯20周年、太鼓部も20周年、歓迎演奏、「木やり太鼓」感動です!


歓迎セレモニーで、組合、校長、生徒会の挨拶、素晴らしい、平和教育です。太鼓部の桜花太鼓「太鼓ばやしと屋台ばやし」私もうずうず!通し行進者を代表して挨拶、私も太鼓打ちですと!オバマ発言を実行させましょう!非核神戸方式を世界に!お礼に「木遣り」歌を一発!大好評でした、太鼓部に皆さんと行進横断幕を広げ記念撮影!


宿で、愛知県内通し行進者18人と交流会。新たな出会い、12日間楽しみです、どこかで、林学さんにお線香を!

浅田健司日誌(5月31日)

午前10時、松山駅前で出発集会を開催。参加者数も100人を超え、今日も愛媛新聞やNHK、赤旗等の記者が来ていた(報道陣だけで10人以上、出発集会だけでなく、2~3人の記者が一緒に行進し、終結集会の最後までいた)。

あいち平和行進ブログにアップされています。

http://peacewalk.blog78.fc2.com/blog-entry-10.html

 

コース詳細

09peacewalk2.pdf

浅田健司日誌(5月30日)

今日の行動予定が午後からのものとなっており、午前中は野口さんと一緒に買い物などに行き、午後12時15分、「松山労連」から聞いていた「ハーゲンダッツ」という"呼称"の大きな商店街入口の広場に集合。集会を行う。

その後全員で署名行動に取り組み、183筆の成果をあげた(16人参加)。

それから11人で昼食交流会を開催し、交流を深めた。

浅田健司日誌(5月29日)

午前10時、県庁訪問。引き続き、松山市議会も訪れ要請行動。

午後、久万高原町役場でも同様の行動を行い、その後行進した。

県庁訪問の際には、NHKや愛媛新聞、しんぶん赤旗記者等が取材に来て、5月30日付けの報道があった。

NHKでも放送があったとのことだが、目にすることはできなかった。

【北海道】函館で終結集会、青森へ

北海道-東京コースは5月30日、道内最後の地点、函館に到着しました。

 

この日、平和行進の一行は全国縦断コースの通し行進者・五十嵐成臣さん(65)を先頭に、七飯原水協の人たちとともに七飯町役場前に到着。歓迎集会では、函館市からの参加者を含め約50人が出迎えました。新婦人七飯支部の人たちは、風船とキャンディーを配り、労をねぎらいます。

 

集会には中宮安一町長が駆けつけ「平和行進52年の運動がオバマ米大統領の核廃絶の演説につながったのだと思います。核兵器廃絶のため、ともに力を合わせましょう」とあいさつしました。

 

雲が厚みを増すなか、平和行進の一行は七飯町から函館市JR五稜郭駅に到着。新婦人函館支部「子組み班」の母親に手をひかれた子どもたちが五十嵐さんに「九条餅(もち)」を手渡しました。五十嵐さんは大喜びでした。

 

ガス会社前で、日本海南コース通し行進者の小川基弘さん(57)らと合流。約200人での行進になりました。

 

宣伝カーから「核兵器廃絶を願う人なら誰でも参加できる行進です。一緒に歩きましょう」と呼びかけると、沿道から手を振る人、「この行進はなんですか」と尋ねる高校生もあり、注目されました。

 

函館市内で午後6時から北海道での終結集会が開かれました。五十嵐さんは「核兵器の廃絶が現実になりつつあることが実感できるようになった。これから東京まで元気に行進します」。小川さんは「世界に広がる核兵器廃絶、平和の流れをさらに広げるためにがんばりたい」とそれぞれ決意を述べました。道原水協の岩淵尚事務局長が挨拶しました。平和行進は青森へ。

松本英治日記No.25

平和行進25日目。晴れ後曇り。


旧東海道の松並木や、旧跡の常夜灯や、一里塚などを、見ながら一路西へ、本日も、うたごえの仲間が、静岡の小沢さん、浜松センターの青野さん他で、歌いながらの行進です。静岡の埋田先生の「青い地球を」は定番です、「青い空は」「折鶴」他を歌いながら、タンバリンや、カスタネットで賑々しく。


私は、通し行進の横断幕を持ち、パーランクでリズムを取りながら歩きます。青野さん持参の歌集A3の用紙に切り込みを入れ、8ぺ-ジの歌集に12曲挿入を使って!休憩時、小沢さん持参の平和歌集を買っていただき、歌唱指導も!「歩いて行こう」や「ピ-ス・ナイン」を!


舞阪文化センター浜名分庁舎で挨拶を受け、ペナントを預かり名刺交換し、昼食。


本日夜の組合の会議の参加のため、一時帰郷する、通し行進の相棒矢部さんを、舞阪駅で見送り、出発。浜名湖沿いに新居町民センターまで歌いながら行進。町長と議長代理の挨拶を受け、ペナントを預かり名刺交換。


新居には、旧東海道の関所が昔のまま保存されています。昔の物は、残す努力をしないと残せません。国宝姫路城もです(明治の初頭廃藩置県で荒れ放題で売りに出されたとの事でした)。残せたから、世界文化遺産に!


鷲津駅前・ひまわり公園まで、元気に歌いながらの行進でした。先頭の横断幕を5歳の横田空君(浜松センターのお子さん)一諸に持ち、「こんにちは、平和行進です」「核兵器を無くしましょう」と元気に!


静岡12日目の行進の集結集会、事前の準備とカンパ隊の活躍が目立つ、行進でした。宿で、お世話になった埋田先生、北川事務局長他と通し行進者4人(矢部、山崎欠席)の7人で最後の晩餐。感想を出し合いました、カンパの多さに50年の歴史を感じ、募金袋に独自の工夫が、米軍、自衛隊基地の多さ、碌碌産業の様な若い組合員の参加、そして、うたごえの仲間の歌って参加の力強さ、を感じた行進でした。


いよいよ明日は愛知に引き継ぎです。また、新たな出会いが楽しみです。

矢部常次日記 第25日目

25日目にしてリタイヤかと言われてしまいそうだが、私も一応組合の役員だ。静岡・愛知県の皆さん、そして平和行進参加者に悪いが1日半の休みをとる(当然オバマさんも休み≪毎日、大変な任務だからだ≫休憩の時などは、置き忘れてしまうからだ)。


今日は、天気予報もはずれ、晴れの一日になりそうだ。出発集合の場所にJMIU組合員のフレイタスさん(ブラジル人で日本の労働環境について、ブラジル大統領に書簡を送り、ブラジル労働者をはじめ、外国労働者を多く組織する元気な人だ。私とは徳島で、派遣で働く光洋シーリングテクノの正社員化で闘う激励集会で出会った人)と久しぶりの再会で「マイフレンド」と固い握手。


あとで静岡地本委員長:鈴木さんに聞いたのだが「外国人がデモ行進に参加するといろいろ難しい事になりそれが心配でなかなか平和行進に参加しづらい、しかし平和行進は政治活動とは違うと話し討議したそうだ」「明日は多くの外国人組合員が行進に参加するだろう・・・」と鈴木さんは胸を張る。


行進が進み、とうとう舞阪文化センターに到着、近くの食堂・おにぎり屋さんも閉まっており行進参者が10数人、弁当を持ってきていない・・・大変だ、地元の人が電話してくれ全員食事を摂る・・・。


私たちと実行委員・宣伝カーの運転手には事前に弁当が準備されていたので心配ないが、もう何回も参加の人は、手作り弁当やお新香・ジャガイモの煮物など持ってきており、小学生の時、おふくろが作ってくれた運動会での弁当を思い出す。


昼から休みを1日半とる時間が来た。行進から離れるのも辛いものがある、明日は静岡にさよならして愛知県に入る、ので引き継ぎ式にも出られない。


これまで静岡県内を元気で楽しく歩いた行進者4人の仲間と固い握手でこれからの健闘を誓いJR弁天島駅から松本さんとは、5月31日夜に合流すると握手。JR弁天島駅で、手を振って行進者を見送る、隊列を離れて平和大行進を外から見るのも必要かも・・・。


インターネットであらかじめ調べておいた電車より一本早い電車に乗ることにしたが8分くらい電車が遅れ、JR弁天島駅から浜松に行き新幹線に乗る。


これまで、お世話して頂いた実行委員会の皆さん、お疲れ様でした。愛知県に行っても頑張ります。

新宮市平和行進-北朝鮮への抗議採択-

5月29日17時30分。朝から降り続いた雨も上がり、新宮市平和行進が始まりました。

 

橋本年金者組合新宮支部長の挨拶の後、新宮市副市長の竹島氏が市長激励メッセージを代読。杉原弘規市会議員の連帯挨拶。通し行進者のわかやま市民生協の伊藤立氏の決意表明。

 

そして集会アピールは、今年の原水爆禁止世界大会(長崎)に参加する、和教組青年部・平田秀一氏が、決意を表明した後に提案。大きな拍手をあびました。

 

続いて、平和行進新宮市出発集会参加者一同の名前で、北朝鮮への核実験に対する抗議と要請文を採択し、郵送することを承認。

 

この頃から雨が再び降り始め、やがて土砂降りに。その中を110人の参加者は、整然と平和行進に出発。雨の中での沿道カンパは7012円。市長ならびに議長からも協賛金をいただきました。

矢部常次日記 第24日目

今日は、4コースに分かれ行進をスタートして昼の浜松市役所で合流する。


①浜北コース:松本さん・山崎さん、②浜松基地コース:高橋さん、③南部コース:小林さんそして④の本コースの東部(東海道)コース、向さんと私、すべてのコースに通し行進者が担当。


集合時間が一番早い浜北コースなので、6時45分に6人人員で朝食して1日頑張ることを誓い、それぞれ出発。


向さんと私は、9時40分集合で一つとなりの駅近くからの出発だったので、ゆっくりして8時15分過ぎにホテルを出た、電車に乗ろうとした時、向さんの携帯が鳴る。地元の実行委員会の中谷則子さんからだ。「今どこですか、集合前に浜松東区役所に表敬訪問することになっているのよ!9時の約束」と言われ、何も聞いていない2人は唖然。


早くホテルを出たことが結果的にプラスしてギリギリセーフ、浜松東区役所に約束の時間通りに到着、鈴木区長さんにお会いでき、短時間にせよ「名刺交換、そして平和大行進の横断幕・オバマのマスクのことなどを話し、核兵器のない平和で公正な世界を原水爆禁止2009年世界大会・長崎の本大会パンフを説明」して手渡し、丁寧に挨拶して区長室を出て事前に呼んでいたタクシーで皆の集まる場所に向かう(少し年配のタクシー運転手「まだ慣れないので、行き場所を聞いても判らないんですよ、近くの駅で良いですか」と言う。「案内するから、場所まで行って」と話し到着)。・・・リストラか何かで転職したのだろうか?・・・


将監第一公園の休憩場所に、すでに到着していた、南部コース:小林さんら行進者に迎えられ合流して、4コースが合流する浜松市役所に向かう。


道路事情・距離などで、何年もやってきても、時間的に難しい。昼休み時間であるが、市役所と浜松区役所が入っている庁舎なので、女性の区長さん・職員・組合の方など多数出迎えてくれ、歓迎と激励集会。時間も押し迫り、一番遠いと思われる浜北コースが到着していないが、集会が始まった。少し話したところで浜北コースの行進団が到着。大きな拍手で出迎え、話は中断・最初から集会。


集会には、250人くらいだったと思うが合流後の午後のコースは多くて80人くらいの行進団だ。


夜方は、JMIU静岡地本が歓迎交流会をしてくれた(私も悪かったが、金曜日と言うこともあって席が取れず、後から参加した小林さん・高橋さんそして向さんは、来てくれたが顔だけ出して、別行動になって悪い事をしてしまった。・・・ごめんなさい、明日は午前のコースをみんなと歩き、組合の用で1日半行進をぬけ、静岡県内行進者と別れ、愛知県で行進に合流するのに。・・・)。


(有難うございました、長崎での原水爆禁止2009年世界大会で再会を・・・行進頑張ります)

松本英治日記No.24

平和行進24日目。晴れ後曇り。


本日は午前中4コース、8時浜北区役所集合、出発集会、区長の挨拶、ペナント預かる。名刺交換。


行進24日目の挨拶、神戸方式も!県内通しの山崎さんと、本日はアコなし、県評の宣伝カーで別の場所へ。昨日のコープ・ピースウェーブの会の皆さんが参加、うたごえとコールで賑やかに行進、私は、太鼓で伴奏。


30人ほどの行進でしたが、楽しく元気に!浜松市役所に4コース合流して、集結集会。市長代理と中区長の挨拶受け、ペナントを預かり、名刺交換。本日も小沢さん登場うたごえ新聞拡大!

浜松センターの青野さんと硬い握手、SSDⅡの同窓生!昼食時、昨年の日本のうたごえ合唱団南京公演に行ったご夫妻と再会!


昼からは、市内を大勢で行進、うたごえ響かせ、賑やかに!小沢さんや、コープのお母さんギターとアコの伴奏で!熊野神社で集結集会、楽しい行進でした、明日、土曜日なので、参加を要請。


浜松の自衛隊の基地調査に、市の真ん中に10キロ四方の広大な空軍基地、爆音災害が!国民の血税で高額の装備が4機配備されたとのこと。年間5兆円の軍事費は、大企業が受注し分け取り。大型装備に金をかけ、細かな、装備は陸上自衛隊の中古を払いうけしていると、隊員の証言が!まったく無駄な予算、「軍事費を削って、暮らしに回せ!」


宿の近くで地元JMIUの方々と交流会、トムソンの昨日の金属反合の話も、正社員めざし、頑張れ、後輩諸君!行けなくて残念!赤旗に写真が!

医療生協ニュース-第3報

6月14日(日)
09:00 名護市辺野古砂浜集合、座り込みテント前で出発式
10:00 名護市辺野古⇒久辺小前(休憩)
12:00 久志区公民館(昼食)
13:00 出発⇒潟原(休憩)⇒松田小前(休憩)
16:40 宜野座村役場 集結式、解散


6月15日(月)
09:00 キャンプハンセン第2ゲート前(金武町) 集合、出発式
09:20 出発⇒第1ゲート前(休憩)⇒田原(休憩)
12:00 伊芸公民館(昼食)
13:00 出発⇒屋嘉(休憩)⇒発電所の見える公園(休憩)
16:40 石川市役所 集結式、解散


6月16日(火)
09:00 うるま市役所 集合、出発式
09:20 出発⇒石川浄水場前⇒美原交差点(休憩)⇒栄野比交差点
12:00 中央公園(具志川商業横、昼食)
13:00 出発⇒かねひでスーパー(休憩)⇒マルエー(休憩)
16:40 中部協同病院 集結式、解散


6月17日(水)
09:00 ミュージックタウン前(胡屋交差点) 集合、出発式
09:20 出発⇒北中城()⇒美原交差点(休憩)⇒栄野比交差点
12:00 中央公園(具志川商業横、昼食)
13:00 出発⇒かねひでスーパー(休憩)⇒マルエー(休憩)
16:40 中部協同病院 集結式、解散

矢部常次日記 第23日目

今日は、県内通し行進の山崎さんと本コースのみんなと別れ天竜・浜北コースに参加。


天竜川の舟下りで有名な所だ、指定された待ち合わせ時間より1本早い電車に乗り込む、山崎さんは自宅から来るので現地で会えば良い。


天竜浜名湖鉄道で掛川駅を8時19分の電車に乗る、隣駅が掛川市役所のある駅なので通勤客でいっぱい、しかし3つの駅を過ぎたころは、ワンマンの運転手と乗客5人となった。多少雨が降っていたのだが、傘もささずホテルから来たので少し濡れた(大きなバッグは前日宣伝カーに積んでいたが、朝ホテルに宣伝カーが来てくれたのに、小分けしたバッグを車に乗せず手に抱えたままだった)。


電車には、バッグのほかにオバマのマスクを持って皆に見えるように座席に座ったので、掛川駅から乗客は見て見ぬふりをしているが注目。天竜浜名湖線は、掛川駅~JR新所原駅で東海道線に接続される第三セクターの電車で天竜二俣駅に天竜浜名湖鉄道の本社がある。私の乗った電車は天竜二俣駅終点で15駅あり単線なので45分程度かかる(電車の旅が好きな私にとって最高)。


待ち合わせ時間まで30分以上あるので天竜二俣駅でスタンプを手帳に押し遠州天竜下りの手ぬぐいを駅で買い求め観光案内所にも顔をだした。


通し行進者のオレンジのタスキをホテルから掛けているので、待ち合わせではすぐ判る。鈴木さん(浜北原水協事務局長)が声をかけてくれ、山崎さんも電車で到着。


午前中は、明日行進スタートの浜北区役所に行き、明日は私がこのコースに来れないので市担当の方に名刺を渡し挨拶、その後は、天竜川地区を案内して下さった。そして西尾さん(天竜地区原水協会長)に紹介され昼食(行進者を代表して、うな重を頂く・・・みなさんごめんね・・・)。


昼食前に、天竜区役所で公務で忙しいのに野中副区長さん、佐野社会福祉課課長さんと懇談させていただき通し行進者の役目を果たした(忙しい中、だいぶ時間を割いて頂き有難うございました)。


13時に行進スタート、天竜市原水協の年季の入った青い旗が風になびく、30年以上の歴史の地区内行進で2人の通し行進者の参加も初めてと30数人の行進だが、100人以上のように元気なパレードとなった(これまで頑張ってこられ、志なかばで亡くなられた方に、頑張る決意)。

松本英治日記No.23

平和行進23日目。雨後曇り後晴れ、強風。

 

 8時半集合、掛川市役所で市長代理と議長の挨拶を受け、ペナントと賛同金をいただく。今日も2コースのため、私が挨拶し通し行進者の紹介を!

 

雨の中を旧東海道の松並木を西へ!今日もアコを担いで名古屋君(国鉄静岡うたう会「シグナル」)午前中のみ登場!雨のため宣伝カーの中で伴奏、コープしずおか西部発ピースウエーブの会(浜松センターの団員も)が素敵な歌集(手作り)を、首からかけられ、見やすいように文字が逆に!19曲とシュプレヒコール!オリジナルな詩の替え歌9曲(さんぽ、森のくまさんなど)歌唱指導やリードもしていただきました。

 

雨もやみ、アコも行進の中へ、うたごえの響く行進です。私は昨日の張り切りでのどに違和感が、咳も!午前中、休憩まで、お任せしました。

 

歌リーダーが抜けられ、昼食休憩の袋井市役所までの1時間歌いました。 市役所で強風の中歓迎セレモニー、立っていられないほどの風!昼食後、ロビーでお抹茶の接待、曜日により、コーヒーか、本日はお茶をいただき、疲れを癒す!

 

 強風の中一路西へ、お昼でアコの名古屋君も去り、咳が出て歌えず、太鼓叩きながら市内を歩く。磐田市へ、トンボ博物館で休憩、アコでお出迎え、「愛と平和のプロジェクト」の遠州屋長介さん!磐田市役所で歓迎セレモニー、非核平和の街の懸垂幕が庁舎に!モニュメントも!

 

市内行進し、終着のコープ国府台店へ、学校帰りの小学生の女の子3人が横断幕持って行進に参加! 終結集会は、埋田さんの挨拶、私の通し行進者紹介。コープさんのおしるこの接待、ありがたい!宿の浜松へ、途中遠州屋さんから電話で、うたごえサークル作る相談をしたと!ばんざい!また、来てくれます。行進者全員(6人)でうなぎを食べに!明日の英気を養いました。

浅田健司日誌(5月28日)

砥部、東温を行進(午後からの行動であった)。

行進参加者は10人以下であったが、元気よく歩いた。

東温市での要請行動でも、良く発言してくれた。

印南町平和行進

5月28日17時30分、町役場前で30人が参加する中で出発集会が開かれました。町議会議長からいただいたメッセージを代読。町長からも協賛金を寄せていただきました。


平和行進での沿道募金は11943円も寄せられました。


高校卒業生が出発集会で世界大会参加の感想文読み上げ

昨年の世界大会に参加した紀央館高校卒業生が日高町平和行進出発集会で読み上げた感想文です。


「私は最初、原爆について何もわかっていませんでした。ただ、怖い・辛い...。そのことだけしか知りませんでした。でも、この行事に参加して原爆の本当の怖さ・辛さなどひしひしと伝わってきました。特に心が締めつけられ辛かったです。


色んな物が展示されているところにも行きました。とても見ていられませんでした。それほど怖かったです。


原爆ドームも見ました。夜と昼では違う見え方がしました。原爆ドームがある空間は、あの日のことを物語っているように思えました。見るだけで身震いがしました。


あの行事に参加して良かったと思います。自分にとってとても良い勉強になりました。そして、このようなことは、この先、絶対にあってはならないことだと強く思いました。


私にできることは、本当に限られた少しのことしかないと思うけど、何かできることがあれば、やっていきたいと思いました」

【愛媛】砥部、東温を行進

松本英治日記No.22

平和行進22日目。快晴。


9時菊川市役所集合、いつものように30分早く着き、宣伝カーから通し行進旗約30本を並べ準備。


出発集会では、地元実行委員会の挨拶、市長、議長代理の挨拶を受け、名刺を交換!通し行進者の代表が、行進者5人(県内4人)の紹介をし、挨拶、今日は、矢部さん!行進リーダーの紹介と注意事項を聞き、出発。道案内の人、宣伝カー、行進リーダー、県実行委の横断幕、通し行進の横断幕、後は自由、で歩き始めます。


本日は掛川在住の名古屋氏(国鉄のうたごえ、SSDⅡの同窓生)がアコを抱えて参加!(アコ2台)歌のリーダーがいないので、ハンドマイクデビューしました。名古屋氏が用意してくれた歌集を使って、「青い空は」からスタートしました。市内を歌いながら行進しました。


静岡は、特に菊川は美味しいお茶の産地です。八十八夜に一番茶が済んだところです。バス(マイクロ)移動で次の場所へ、バス内でもうたう会です。「ねがい」を指導しました。


到着地に桐箪笥の店が、覗くと色の変わった箪笥が、真っ白に再生されていました。九州の家に母親の花嫁道具の色の変わった桐箪笥がありました。関西に来る時手放したそうですが!(惜しいことをしました)


御前崎市内を歌いながらの行進、(青い地球を、折鶴、大きな歌、さんぽなど、たくさん歌う)。御前崎市役所で市長、議長代理の挨拶を受け、昼食休憩。


バス移動で大東支所へ、会議室でのセレモニーは、所長の挨拶と議員さん!原発があり、プルサーマル計画が実施されそう、30年前の古い原発が廃炉され、新たに6号機が建設されそうで、反対運動が!宣伝カーのウグイス嬢がいなくて、急遽県内通し行進者の小林さんが!


次の休憩で、アコと歌で宣伝カーに乗り込み歌とウグイス嬢(おっさん)も!好評でした。やっと、風邪がなおり、まだ、高音は伸びませんが、いい声だと言っていただきました。さあ、今からが本領発揮です。明日も、小沢さん来ないし、アコの名古屋君が昼まできてくれます。


掛川市役所で終結集会。明日ここから出発!名古屋氏と慰労会!美味しい酒でした。9時には、寝ています。健康的な生活です、でも、太ったかな?

白浜町平和行進

5月26日17時20分。町役場前に35人が参加する中で出発集会が開かれました。白浜町原水協理事長・広田氏が地元代表挨拶。立谷町長はじめ湯川町議会副議長から、ともに激励メッセージがありました。


続いて、わかやま市民生協・湊氏、地元九条の会・木下延秀氏からの決意表明。主催者メッセージは川口氏から。集会アピール宣言は、地元の高田氏が読み上げ、最後に、新婦人・野口氏の指揮の下「青い空は」を大きな声で全員合唱しました。


すさみ町平和行進

5月27日17時20分、町役場前で出発集会が開かれました。たくさんの町職員の参加があり、50人となりました。


地元代表挨拶は、すさみ町原水協理事長・塩谷福夫氏。続いて激励メッセージは、副町長・柏木氏と議会議長・朝本氏からありました。決意表明は、年金者組合・加藤氏と、わかやま市民生協・湊氏から。三尾氏から集会アピール宣言が読み上げられました。


最後に「青い空は」をテープで流しながら大合唱。平和行進はメインストリートを一周し役場に戻りました。沿道募金は7000円が寄せられました。

浅田健司日誌(5月27日)

今治市第2桟橋より船に乗って上島に入り、島内を行進。

午後4時半頃、西条市役所を訪問。募金協力等あり(今治市と同じ)。

【愛媛】上島町、西条市を行進

矢部常次日記 第22日目

朝からハプニング。掛川駅から菊川駅に東海道線で向かう、人間の心理として、大阪の方面に行進しているのに東京の方に戻ることになる、それに駅ではエレベータ工事中・通学通勤客で利用者も多い(都内の利用者の混み具合とは違うが)、どのホームから出発するかはっきりしない、駅員に聞いたらあっちのホーム、いやこっちのホームと教えて貰い更に混乱(聞いた人が悪い、駅員と思っていたらそうでなく乗客を整理する人だった)。結局予定していた電車に乗れず17分待って乗る。


早く集合場所に行くようにしているから、十分間に合う、菊川市役所には数人集まっていた。


地方では特に市町村の合併で行政も大きく変わる、「非核都市宣言」を決議していたが合併で、今は棚上げの市などもある。平和政策だけでく住民サービスはどうなっているのかと思う。


行進してはバス移動だ、1日バスをチャーターし「平和行進小笠・掛川実行委員会」と書いてある。


旧町が今は支所となっており支所での対応もまちまち、行進も22日目だから地域の実行委員会も取り組みもまちまちであり、「募金のお願いの封筒とビラをセットして事前に宣伝している所」「歓迎平和大行進・核兵器も戦争もない平和な世界を 5月27日10時頃 小笠を通ります」のステッカーが多く貼ってあった。


実行委員会の努力は目に見える。しかし私は思う、せめて時間を10時と同じでなく少しずつ時間をずらし手書きで記入されていればと感じた。(だったら自分でやってみろと言われそう・・・ごめんなさい言いたい事を書いて)平和を愛し迎えてくれる市民に感謝・激励されます。

※第一次案です。 時間はだいたいの目安です。


7月6日(月)
14:30 広島より引継集会 栄橋(和木側)
14:45 栄橋⇒和木町役場・要請(15:10~15:30)⇒岩国駅16:30
※岩国市・要請
17:00~「6・9行動」


7月7日(火)
09:40 岩国駅駐輪場集合
10:00 岩国市役所⇒川下供用会館⇒南岩国(元ヒューチャーレーン)
11:40 《昼食》
12:55 藤生駅⇒通津駅
15:20 周防大島引継ぎ
16:10 小松港集合
16:20 北田モータース駐車場前 町役場・要請


7月8日(水)
09:30 柳井港駅⇒宮本⇒新市⇒三角橋⇒駅通り⇒柳井駅⇒柳井市役所・要請(11:00~)《昼食》
12:30 上関町
13:00 要請
13:50 平生町役場・要請
14:10 田布施町役場
16:10~要請 光へ


7月9日(木)
09:30 光市役所
09:45
10:40 光税務署→下松へ
11:00 下松恋が浜⇒新町⇒元町⇒新町⇒栄町
12:30 下松市民館《昼食》
13:40 下松市役所・要請⇒西市⇒潮音⇒荒神橋
15:10 荒神橋・引継ぎ
15:30 櫛ヶ浜駅(横浜公園・休憩)⇒銀座通⇒御幸通⇒周南市民館
16:40 周南市役所・要請


7月10日(金)
09:10 市民館集合
09:30 西松原⇒川崎⇒政所(政所公園・休憩)
12:00 新南陽総合支所
引継ぎ場所・椿峠《庄屋・昼食》防府と引継ぎ
14:00 防府市役所・要請⇒防府駅⇒車塚⇒駅北通⇒戎通⇒(休憩)⇒ゆめタウン⇒八王子
16:00 防府市役所


7月11日(土)
10:00 阿東町役場・要請
10:20 開発センター 須佐へ
11:30 須佐《昼食》
13:30 田万川
14:30 東萩駅⇒商店街
16:00 萩市役所・要請


7月12日(日)
09:00 長門市役所・集会
09:30 出発
10:30 仙崎駅前 美祢市へ移動
11:10 美祢市役所
11:30 出発
11:50 美祢駅前《昼食》
13:30 秋芳丸和前
13:50 秋芳駅
14:20 美東道の駅一巡
14:40 道の駅終了 山口市内へ


7月13日(月)
09:00~09:30 県庁前集会・正面玄関前ひろば
09:30 行進開始
11:00 宮野江良・原爆死没者之碑前(献花) 《昼食》
12:30 山口市役所前⇒早間田交差点⇒9号⇒井筒屋⇒アーケード⇒情報センター⇒湯田・高田公園
15:30 終了


7月14日(火)
09:20 出発式・上郷駅前
09:30 柳井田⇒蔵敷⇒第一病院
10:45 小郡総合支所⇒新山口駅在来線口⇒大正通⇒新丁⇒ふれあいセンター
12:00 《昼食・休憩》宇部へ
13:30 常盤公園入口引継式
13:50 出発
15:50 宇部市役所・要請行動


7月15日(水)
09:40 集合・宇部市役所
10:00 出発
11:20 平原(厚東川前)小野田引継《昼食》
13:00 結団式・小野田市役所
13:15 出発
15:30 須恵公民館→下関へ


7月16日(木)
09:30 出発式・下関市役所
10:00 出発⇒カラトピア⇒幸町通⇒赤岸
10:40~50 体育館(休憩)⇒東駅⇒旭⇒宮ノ下⇒山の田3号公園《昼食》
13:00 出発⇒武久⇒筋川(休憩)⇒了円寺⇒厳島神社⇒上条⇒長門プラザ⇒竹崎三角公園(休憩)⇒豊前田中通⇒入江口⇒ユニオンビル⇒労金⇒消防署
16:30 唐戸三角公園・解散式
17:00頃 唐戸桟橋 →連絡船で・門司港へ
17:30 福岡引継式

【愛媛】今治、北条を行進

平和行進は24日、室蘭市入りしました。室蘭市原水協加盟の平和団体や労組、民主団体から70人近くが参加し、中島商店街に「核兵器廃絶」の昭和を響かせました。


出発式で、通し行進者の五十嵐成臣さん(65)(東京在住)は「今年は核兵器廃絶への流れの大きな変化の中での行進です」とあいさつ。


平和委員会や新日本婦人の会、地区労連の代表は、核兵器廃絶への国際世論の変化を取り上げ、平和行進と原水爆禁止運動の前進へ決意を述べました。

 

行進終了後、「核兵器のない世界を」署名を訴え、短時間で102人が署名しました。

 

翌25日には、行進団一行は新宮正志室蘭市長と議長、教育長を訪問しました。核兵器廃絶の新しい展望について懇談し、3氏とも快く署名に応じました。

日本海コースの道内通し行進者、小川基弘さんが26日、せたな町入りしました。今金、せたな両町を日本共産党の江上恭司せたな町議と訪問し、副町長と懇談しました。


午後6時からは、北部桧山歓迎実行委員会の集会が町内で開かれました。小川さんは「北朝鮮の核実験に憤りを感じます。核兵器のない世界、平和を求める声を大きくしていきましょう」と語りました。


国民平和大行進の一行は、「核兵器を廃絶しよう」と訴えて北桧山市街地を行進しました。

浅田健司日誌(5月26日)

北条総合支所前から行進を開始。

午後4時半頃より今治市役所で要請行動。市長・議長より募金1万円、ペナントの協力。

その後約1時間平和行進。

松本英治日記No.21

平和行進21日目。快晴。


8時半、藤枝市役所で出発集会。昨日の北朝鮮の核実験に、平和行進実行委員会として、抗議声明!昨日の、焼津の久保山愛吉さん墓前で聞きました!


市長代理と議長代理の挨拶を受け、私たちも挨拶「焼津の心、分裂を回避した静岡の心」を胸に刻み、「非核神戸方式を全世界へ」と!」集会前アコ2台で歌う会!


藤枝市の繁華街を行進、藤の花の垂れ幕が多数、街頭に!東海道を一路西へ!歌いながら、太鼓叩きながら!今日もうたごえの仲間が、行進リーダーも!


JR六合駅裏の神社でコープの琴の会の皆さんの演奏と歌でお出迎え!藤枝~島田への引継ぎ、昼食後の出発時も演奏と歌でお見送り、ありがたい!島田駅まで、電車移動!昨日の録録産業の方が、先導カーの運転手を、若者たちによろしくと!若かりし頃の職場(トムソン)を思い出す。


島田駅前で集会後、「悪魔の飽食」旭川公演に行っていた小沢喜和子さん登場、本日送られてきた、うた新の宣伝紙で宣伝!


市内行進扇町公園で休憩、市労連が飲み物の差し入れ、太平洋戦争末期、ここに、広島・長崎の原爆の模擬爆弾が落とされ、被害が、忘れないための、慰霊碑が!行進参加者で黙祷を捧げ出発。


大井川の手前で昔(江戸時代)の町並みが保存されていて、タイムスリップ!鉄橋を渡る手前にたけのこ保育園児7人と保育師さん3人が、合流!元気に2キロの長い橋をわたりました。本日の終結地点まで歩いてくれました。孫を思い出す!


今日も暑い一日でしたが、うたごえの響く行進でした。沿道に事前にチラシと募金封筒がくばられ、募金を持って、待っていただいています、本日の募金93738円でした。素晴らしい!50年の積み重ねの成果です!こういう地道な活動や被爆者の皆さんの思いが、オバマさんに届いたのでしょう!オバマ仮面大人気です、子供たちに!

矢部常次日記 第21日目

藤枝は、サッカーで有名だ。ホテルには有名な選手のユニホームなど名前入りで紹介されており、高校も3校あり、昨日会話した彼も学校に通いながらサッカーをやっているのだろう。


「先輩は素晴らしいが、自分はまだ1年目、早く先輩みたいになりたい」と話す、体格の良い彼だ。平和行進にも興味を示し「インターネットが無いので、田舎の友達や親に電話してコピーしてもらい札幌に帰ったとき見ます」と言ってくた。名前も聞かずだったが有名な選手になるだろう。サインを貰っておけばと後で後悔。


その点、今年の3・1ビキニデーにはじめて参加し県内通し行進をやっている高橋さん、ホテルでもホテルで働く人を含め客でも、会う人に平和・原爆・戦争の事を会話し「原水爆禁止の国際署名」を貰っている。ひょっとしたら彼も署名していてくれたかも。


出発集会・各地域での引き継ぎ集会で行進者が話す、署名でもそして行進中でも張り切る高橋さん。カンパ隊でのこと「ある駄菓子屋さんに入った時、女の子たち5、6人が、財布の中から1円・5円・100円とカンパしてくれた」と話す・・・。こんな姿を国会議員・財界の人などは現場を見て考える必要がある思う。


大井川の橋を渡る手前で、たけのこ保育園の子供達と先生2人が、私たち行進団を出迎えてくれていた(時間に合わせ園のバスで来たという)。そして、子供達も歩いて大井川を渡る。


車道と歩道が別とはいえ、行進の先頭を歩くのが早い子・遅い子と先生が大変。橋を渡り切るなり「喜びの顔だ」・・・。


金谷水神公園で休憩・子供達もおもむろに持ってきたおやつとポットからジュースを飲む。これから電車に乗って帰るとのこと、手を振って別れ私たちは行進スタート。


宿に戻るなり写真を整理(なるべく全員が写るものを探し)して、橋本さん(静岡県働くものの安全と健康を守るセンター事務局長)にメールで送り、園に届けて頂くことを依頼。

田辺市平和行進


5月24日(日)、田辺市に着くとなんど晴れに。10時から市役所前で出発集会。収入役の福田氏が「真の世界平和に務めることが大切。世界大会の成功を」との市長メッセージを代読。


続いて、真砂みよ子市議からの激励メッセージ、和高教・わかやま市民生協からの決意表明、新婦人からの集会アピール宣言と続きました。


宣伝カーを先頭に参加者56人で平和行進。ビラ配布と沿道募金を行いながら、城下町風情を残した下屋敷から商店街を経て市役所前に戻りました。


また、市長・議会から協賛金をいただきました。


上富田町平和行進


5月25日(月)17時20分から45人の参加で出発集会が行われました。小出町長からの挨拶、九条の会・橋本惇夫氏からの地元代表挨拶、わかやま市民生協の湊氏から決意表明。続いて、川口氏からは主催者メッセージを。最後に谷口氏からアピールが読み上げられ、平和行進スタート。


合唱をテープで流しながら、真砂氏のトランペット演奏が合流し、盛り上がりました。また、町長、議会からは、協賛金をいただき、沿道カンパは4600円に上りました。

【愛媛】新居浜市行進

浅田健司日誌(5月25日)

愛媛県・四国中央市職労事務所で打ち合わせの会議が持たれ、自治体訪問を討議。「非核平和行政についての要請行動」に入った。

四国中央市では市長公室長、議会事務局長等4人の管理職が対応。要請内容を重視する旨約束。ペナントや奉賀帳への署名協力をいただいた。

続いて、新居浜市でも議会事務局長、市民総務次長等4人と話し合いを行い、同様の結果を得た。

午後4時から新居浜市中央公園に集合、参加者40人程度で約2時間の平和行進を行った。

松本英治日記No.20

平和行進20日目。快晴


8時半出発集会、行進団から離れて、静岡市と県へ表敬訪問!市長は公務で市民活動部の田島部長と懇談、市長のメッセージとペナントをいただく、賛同金は無し、市議会議長も公務で機会事務局長の鳴澤さんと懇談、議長のメッセージとペナントをいただく、賛同金はなし。県知事も公務で公室秘書室主幹の高木氏と懇談、ペナントと賛同金いただくが、メッセージはなし。県議会議長も公務で、秘書室長補佐の渡辺氏と懇談、ペナントと賛同金はいただくが、メッセージはなし、市や県対応もまちまちだが、表敬訪問をし通し行進者の役割を果たす、名刺を交換し、「非核神戸方式を」宣伝し任務を終える。


タクシーで行進団に安部川で合流、市内をみずほ公園まで行進しJRで焼津へ、マイクロバスで弘徳院へ。


昼食後、第五福竜丸事件の学習、解かり易く、感動しました。出発集会の後、久保山愛吉(第五福竜丸の無線長でビキニ環礁でのマグロ漁で米国の水爆実験の死の灰を浴び、「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい』と言って無くなる)さんの墓前で手を合わせる。


焼津市内を行進、港が改築され、かつての遠洋漁業基地は更地になっていた。でも市民の関心は高い。市役所で市長代理の山下総務部長の挨拶の代読と議長の挨拶を受け名刺を交換しました。


目抜き通りを行進し、コープ焼津店で休憩接隊を!バスで、大井川町へ合併で焼津市に合流したが、行進しました。


平和行進歓迎の手作りアーチが、若者がたくさん同じ作業服で待っていました、建交労録録産業分会の組合員さんでした。


大井川町内を行進、航空自衛隊静浜基地へ。米軍基地が、今は自衛隊が使用、騒音が酷い!上小杉児童公園で終結集会。録録産業の若者が多数参加!感動!米軍基地時代クライスター爆弾で住民が多数無くなった事件があったと、ミッドウェーの艦載機によるタッチ&ゴーの訓練で騒音災害、先日も自衛隊の航空祭で、1週間騒音災害!


行進中、カンパ隊奮闘、1万円のカンパも!暑い一日、5時半藤枝の宿へ!今日も静岡のうたごえのなかまが参加してくれました。

矢部常次日記 第20日目

晴れた月曜日の朝だ。ホテルから通し行進者5人(富士山にマラソンで2回登り、山が好き平和が好きと言う県内通し行進者の山崎さんは自宅から参加)は、集合場所まで近いのにわざわざ遠回りして静岡駅前大通りを「通し行進者はタスキを掛け・大きなバックをもちながら、おはようございます」と勤め先に急ぐサラリーマン・学生さんの多い人波に交じって集合場所へ向かう(すでに平和行進、皆からは、この人達なんの集団と思ったのでは?県庁所在地だから)


9時出発集会、松本さん・向さん・高橋さんの行進者3人そして静岡平和委員会の数人で県庁/市庁を表敬訪問に行く、それを参加者全員で激励して行進はスタート。


表敬訪問した方は、10時15分ころ静岡名産・安倍川もちの一番うまいという店前を通り安倍川の橋を渡った川土手を歩いている時合流(急いだらしく、少し息は荒いが顔色は良い・内容の成果は?)。


弘徳院で昼食、出発まで時間がせわしないが食べてすぐ、飯塚利弘さん(久保山愛吉さん・ビキニ環礁の悲劇の地元の先生をやっていたという語りべ)のミニ学習会。昨日久保山さんの墓前で、オバマ・アメリカ大統領の発言、平和大行進が52回目で今日来ることなど、話し報告した。愛吉さん・奥さん(すずさん)との会話を得々と話してくださり、私だけでないと思うが参加者全員涙ぐんだ。


「『原水爆の被害者は私を最後に』という夫、愛吉さんを愛し悲願が達成される日が生きているうちにと『ヒバクシャとその遺族が生きているうちに一発残さず核兵器をなくしてください』と被災39周年1993年3・1ビキニデー集会にお集りの皆様へ」と飯塚利弘さんの話が、愛吉さん・すずさん本人が私たちの前で今話している様だった。


私は現役の労働者、大井川町役場(今は合併で焼津市)に焼津駅から移動に焼津市のバスで着く。近づくなり目に入ったが「歓迎大井川コース」の4メートル近いプラカードだ。初めは市の職員かなと思ったが違う、建交労組合の碌々産業の15人以上の組合員だ。工作機械製造で昭和16年東京・蒲田より工場疎開して創立107年。組合員は110人くらい社員は150人で2つ組合があるという。航空自衛隊静岡基地ゲートを通りターンして終結集会となった。そこにも碌々産業の組合員が出迎えてくれた総勢30人以上。


司会は、委員長が重要な会議の為出られず、代って平和担当部長の若い武井清美さん(設計技師)と県の横断幕を先頭で持った2人で進められ、行進者には飲みものまで準備して頂いた。


5回行進の小林さん「毎回この組合は、行進参加とすごい歓迎よ!、皆で考え今年初めてプラカードを作ったのよ」と話す。武井さんが「工作機械は今の不況で大変」と宣伝カーを運転してサッカー選手も泊る宿泊先に送ってもらった。ここでも札幌から来た1年目の選手と大浴場で会話。

6月11日(木)
13:00 黒滝村訪問
14:30 天川村訪問
16:30 下市町、吉野町行進
18:00 大淀町到着


6月12日(金)
13:30 東吉野村訪問
16:00 高取町行進
17:30 明日香村行進


6月15日(月)
10:30 川上村訪問
13:30 上北山村訪問
16:00 下北山村訪問


6月16日(火)
10:00 十津川村訪問
13:30 野迫川村訪問


6月17日(水)
10:30 宇陀市行進
13:30 曽爾村訪問
15:00 御杖村訪問
16:30 近鉄三本松駅前で三重県から引継


6月18日(木)
10:00 河合町行進
12:00 上牧町行進
13:30 桜井市行進
16:00 香芝市行進
16:30 天理市行進


6月19日(金)
13:30 葛城市訪問
15:30 御所市訪問
17:00 五条市訪問


6月22日(月)
17:00 田原本町行進


6月23日(火)
13:30 安堵町訪問
15:00 山添村訪問
16:00 三宅町行進
17:00 川西町到着


6月24日(水)
15:00 高田市行進
16:30 広陵町到着
16:30 生駒市行進
17:00 橿原市行進


6月26日(金)
12:00 般若寺で京都より引継(東海道コース)
13:30 般若寺行進
14:30 奈良県庁行進
16:30 奈良市役所


6月27日(土)
09:30 奈良市役所行進
11:30 郡山市役所到着
12:30 出発
16:30 斑鳩町到着


6月29日(月)
09:00 斑鳩町行進
11:00 平群町到着
12:30 出発
14:00 三郷町行進
16:00 王寺町到着


6月30日(火)
12:00 柏原市で大阪府へ引継

※時間はだいたいの目安です。

6月4日(木)
11:30 大館市役所
12:00 鹿角組合病院
13:00 鹿角市要請
15:30 矢立ハイツ引継
17:30 ジャンボグリーン~デモ~大館市役所


6月5日(金)
09:00 大館市役所
09:50 旧大館商業入口~デモ
10:10 下川沿駅~デモ
10:40 国道~デモ
10:50 早口踏切
11:00 デモ
11:20 綴子~デモ
11:30 国道~デモ
12:00 鷹巣陸橋引継~デモ~北秋田市役所前引継集会⇒上小阿仁へ


6月6日(土)
10:00 鷹巣駅前カンパ
13:00 北秋田市役所出発
14:30 きみまち坂引継⇒藤里町⇒二ツ井町
17:00 能代旧市街宣伝
17:30 能代駅前⇒畠町~デモ~柳町~デモ
18:15 大手町~デモ~上町~デモ~けやき公園集会・デモ


6月7日(日)
秋田市 署名・宣伝行動(県原水協主催)
10:00~16:00 秋田市ぽぽろーど 随時ご参加ください。


6月8日(月)
09:00 能代市
10:00 八峰町役場
12:00 能代市内街宣
13:30 三種町役場⇒森岳地区⇒鹿渡地区
15:00 琴丘道の駅引継
18:00 土崎集会(土橋街区公園)・デモ


6月9日(火)
09:00 教育会館
10:00 湯上市・首長訪問
11:00 男鹿市
13:00 大潟村
14:00 八郎潟町
15:00 玉城目町
16:00 井川町
16:50 湯上市・議会訪問
18:00 秋田駅前(アゴラ)・集会とデモ


6月10日(水)
【日本海コース】
09:00 県教育会館
09:30 秋田市
10:30 秋田県・議会訪問
12:30 駅前行動
14:00 教育会館引継
18:00 由利本庄市役所集会、デモ


【内陸コース】
09:00 大仙市
10:30 仙北市
13:30 美郷町
15:30 大仙市
17:45 ねむのき公園・集会~デモ


6月11日(木)
【日本海コース】
09:00 由利教育会館⇒西目・仁賀保街宣⇒にかほ市⇒金浦街宣
13:30 三崎公園山形引継


【内陸コース】
09:00 大仙市
12:00 横手引継~横手市内~デモ
17:30 市民広場~デモ~横手駅


6月12日(金)
08:45 横手市役所・要請⇒湯沢引継⇒自治体要請
17:30 カンパ・署名~教育会館~デモ


6月13日(土)
15:30
湯沢⇒雄勝地区⇒及位駅・山形引継

矢部常次日記 第19日目

静岡県に入って6日目、初めての本格的の雨だ。今日は通し行進者は3ヶ所に分かれる。


小林さんと高橋さんの2人の女性は、山際に近い所から、そしてアコーディオンを肩に背負って演奏しながら行進する山崎さんは、地元の平和行進に参加だ。


残り3人は清水区役所へと車で移動中に、携帯が入る。小林さんからだ「こちらはドシャ降りの雨よ(後で聞いたら、行進始まってからは小降りになったとのこと) そちらはどう」と元気な声が聞こえる。


こちらはまだ降っておらず曇り、清水区役所の出発集会 毎日、通し行進者が紹介され一人ずつ話す。集まってくる参加者は同じでないので、同じ事を話しても良いが皆は、自分の行進への決意と昨日までの感想のポイントを話す、県内通し行進者は交替でみんなの特徴をまじえて全員を紹介する。


私が話し始めたころ雨が落ちてきた。気がついたら地元の実行委員の方が頭の上を傘をかざしてくれた。


行進中はそんなに強くないが雨、今日運動会で行くんだ。中止かもと言う小学生、お母さんと妹さんが歩く、そこの橋までと小学生が横断幕を持って車道を先頭を歩き、お母さんと妹さんは、歩道で見守る。


午後は、晴れたがいつでも降ってくるようなくもり空、清水山公園に着くなりすごい雨になった。休憩して出発、しかしすごい雨なので予定の時間より15分早く出ることにした。(ここから参加があるのではと責任者は時間を決めるのに関係者と話す)。


終結の常盤公園に着いた頃は雨もやみ、平和行進静岡県歓迎集会と一日のまとめ集会を開く。雨の中と言え、カンパは2万7千円を超える。


静岡県に入ってから、すべての個所で、うたごえの仲間が歌で歓迎してくれる。松本さんは日本のうたごえの推薦で歩いており、静岡のうたごえの仲間が激励交流会を開いていただくとのことで、私と向(むかい)さんも参加させて頂いた。


もと国鉄労働者で、うたごえをやっていたという木野忠(静岡市平和委員会理事長)さんの姿もあり労働者として活動しながら、うたごえを皆でやり平和活動をやってきたことなど話しを聞き、時間はあっという間であった。

松本英治日記No.19

平和行進19日目。雨後晴後雨後曇り。


9時清水区役所で出発集会、今日もうたごえが響く、ギターで弾き語り、いい声。行進実行委員長の被爆者の川本さんの挨拶の後私も「毎日の行進、世界大会、NPT再検討会議を成功させ、オバマ発言を実行させましょう。非核神戸方式を世界に広げましょう!」。


市内を行進、今日も子供が一人先導してくれました。休憩時コープさんの接待。ありがたい!


草薙駅まで行進し、近くの老人の家で昼食休憩、お弁当に味噌汁付、ありがたい!お代わりも。


車移動でルーテル光教会へ、「なかま」の皆さん5人が歌って出迎え、セレモニーの後、出発、おくり出しも歌で!


静岡市内、繁華街を楽しくアピールしながら行進、本日は、日曜日で4コース同時進行、他のコ-スの県内通し行進のお姉さまたち、小林、高橋さんが合流!明るく賑やかに。


途中の休憩時、土砂降りの雨に!カッパを着て行進。雨も上がり、常盤公園で終結集会。ここでもうたごえでお出迎え。うたごえと、カンパ隊大活躍!本日のカンパ43163円。50年間の積みかせね成果です!ありがたい事です。


歩くという誰にでも出来る行為で核廃絶、と平和をアピ-ル素晴らしい活動です。こういうことの積み重ねが、被爆者の皆さんの命を掛けた遊説が、オバマ発言を!


行進後静岡のうたごえ、平和運動の皆さんとの交流会へ、飲みながらじっくりお話しました。宿の近くの「じねんじょ」屋さんで、飲みながらおしゃべり、子供のころ掘りに言ったことや、平和・核問題も話題に!被爆国の首相の態度が問題に!孫から写真入りのメールが「じいちゃんがんばれ!」と!ありがたい!疲れが吹っ飛びます!

日高川町平和行進

5月19日17時30分、天候にも恵まれ、町役場前で出発集会。27人が参加する中で、収入役さんが「町長メッセージ」を代読、協賛金もいただきました。また、山本喜平議員からの連帯挨拶。

集会後は役場周辺を平和行進しながら、沿道でビラ配布と募金に取り組みました。

 

みなべ町平和行進

5月20日17時30分、町役場前で出発集会。和教組を中心に新婦人、年金者組合の人たちが集まりました。

集会が始まると、町職員も参加。町長からペナント、メッセージ、協賛金をいただき、参加者が約45人となりました。

集会後、町の商店街を平和行進し、沿道ではビラを配り、カンパも集めました。

 

美浜町平和行進

5月21日17時30分、町役場前で20人が参加して出発集会後、平和行進を行いました。

 

日高町平和行進

5月22日17時30分、町役場前で出発集会。約30人が集い、昨年世界大会に参加した紀央館高校の卒業生が読み上げた感想文に感動。

また、集会、行進を通じて沿道カンパと協賛金は4万円以上が寄せられ、「核兵器のない世界を」署名も多数集められました。

矢部常次日記 第18日目

いつものように朝起きて、昨日の日誌をまとめる。どこを行進したのか、何を感動したか資料などを見てのまとめだから時間がかかる。早く寝て朝起きる毎日、日課になってきたので苦にならない。


今日は土曜日、6時半にメールを送り(18日目にして日誌に写真を文章に入れた、容量の関係で1日目は上手くいったが2日目から失敗。パソコンの取り扱い説明書などを見て研究する事もせずだから苦労)送信はOK、しかし心配、それで職場の仲間に電話し確認してもらい受信した内容を確認。彼からは、「良い写真だ」との回答、パソコンを立ち上げるまで職場のことなど話す。「会社の取締役から彼は今どこを歩いているのかと聞かれたので≪インターネットで平和行進2009で検索すれば≫と話した。その後、組合機関紙でも平和行進の内容を記事にして職場の皆に配布」、そして5年前に川崎よりここ今日、行進する由比に引っ越した望月さんのことで「先週、由比に行きみかんを沢山貰って来た。23日行進に参加すると言っていたよ・・・アーそうだ今日だ」など話した。


富士川駅で望月さんと会い固い握手。彼(先輩なのに)と5年ぶりなのに普段の様に話す。


由比本陣(東海道廣重美術館)で昼食、休みとあって観光客も多く「平和大行進だって、東京から広島と書いてあるよ」と横断幕を見て話す団体もあった。私は自転車でツーリングの50代のグループと話した。結構やっているらしく日焼けした顔、そしてなかなか良いサイクリング車だ、「来月は仲間で北海道を走る」など会話、私からは広島まで90日間歩くんですよと話すと「大変だなー、そんな長期で休めるなんてうらやましい」との返答。お互いの健闘を祝ってエールを送り別れた。


移動して清水駅、商店街のアーケード(川崎の銀流会のアーケードを思いだす)を歩き、次郎長通りへと進み、「この通りは、募金が集まり1万円をカンパしてくれた時もあったとのこと、それでカンパ隊をさらに増やす。民医連から参加の若い澤端真紀さん(後で名刺交換)も加わり総勢10人以上、わかやま市民生協から県内通し行進する向章好さん、これまでもカンパ隊で頑張っている彼が「良く走ったし反応が良く感動している時間がないくらいだった」と終わってから話す。本当にご苦労様でした。


午後だけの集計で、5万7163円とこれまでの最高の額だ。本日の終結集会は鉄舟寺、参加者全員で建造されている原爆慰霊碑にお祈りしてから集会。地元のうたごえのメンバーのギターと県内通し行進者の山崎さんのアコーディオンの演奏で「原爆許すまじ・青い空は」の2曲を合唱した。


昨日に続き午前・午後とも小学生が行進に参加。向さん「これまで行進に子供が加わることがなかったので感動する」と胸の内を話す。

松本英治日記No.18

平和行進18日目。快晴。


朝富士駅から富士川駅まで電車移動、9時から出発集会、今日も静岡のうたごえの仲間が!挨拶の後「青い空は」と「青い地球を」を歌って出発。ギター2台とアコ、ミニタンバリンで賑やかに歌いながら出発、旧東海道を一路西へ!宿場町蒲原を通り、由比本陣で昼食休憩。


朝、姫路の大上さんからメールで林学さんがお亡くなりになったと。先日お見舞いに行き名古屋で会いましょうと別れたとこでした。残念です。歌いやすい素敵な作品をたくさん創られ運動に貢献されました。詳しい日程をと!


由比では、広重美術館を見学。浮世絵の彫り、摺り。など詳しく見学、群青のグラデーションがたまりません。買って帰りたかったけど荷物になるので!


JR由比駅まで歩く、旬の桜海老が!清水駅まで電車移動、電車の中でもオバマ君人気者!


清水駅前のアーケードを通りアピール、子供が二人参加して先頭の横断幕を持って歩く。


次郎長通りは、カンパ隊のドル箱で、毎年多額の募金が、10人が2班に別れて軒並み訪問、鉄舟寺まで!本日の募金は、57163円でした。カンパ隊ご苦労様でした。鉄舟寺では、「なかま」の高木くん他が、歌って出迎え、握手を!原爆犠牲者の慰霊碑があり、お参りしました。


快晴で暑い一日でしたが楽しく歩けました。風邪も大分よくなりました。24日林さんのお通夜に行きたかったのですが、静岡のうたごえとの交流会が予定されており、断念しました。名古屋に着いたらお線香でも!安らかにお眠りください!民医連の看護士さんにうた新宣伝!宣伝紙なくなりました。

矢部常次日記 第17日目

毎日感動が多い、昨日のレポートで大切な事を書きこまなかった。


昨日の午後の行進(沼津市役所~市内~今沢基地)でカンパ隊活躍。 事前の宣伝・そして歴史が背景か。事前に配布した「平和のための募金」封筒が30数枚。他にも募金を家の前で待っていてくれるのだ。その一枚に「毎年毎年ごくろう様でございます 風邪にかかりません様に 皆様のお身御大切に。ごくろう様でございます。 沼津市小諏訪一老母より」の添え書きがあった。・・・感動・・・。


今日も感動したことが二つあった。ひとつは、香葉台公園から富士宮市内そして富士宮市役所の午前コースだ、募金が昨日の5万804円を超え5万2670円となった。午後の富士市内のコースでも2万4866円であった。


県内通し行進者の小林和江さん(県内行進5回のキャリア、伊東市平和委員会理事長)が言う。「すごいでしょう、多い時で7,8万円の募金が集まる時があるのよ、静岡県では、毎年募金の中から毎年同じ額を被爆者の会に送らせて頂き、あとは行進の宣伝カーのガソリン代とビラ作成の費用になり、3.1ビキニデーの実行委員会で管理しているのよ。」と日焼けした顔で話す。


静岡県は、いろいろな市民団体と統一しての行進であるから「原水爆禁止静岡県平和行進」の横断幕があり県内通し行進者と市民が先頭を歩く、しかし遠慮してなかなか自分から持ってくれる人はいない。カンパ隊だってベテランも中にはいるがそうではなく大変、小林さんは横断幕を持ち、カンパ隊を援助しているが、横断幕を他の人に頼んで、いつでもカンパ隊に加わりたいのをじっと我慢。


もうひとつは、富士市内である。学校帰りの小学生(市立第一小学校)の隊列にあった。アメリカ大統領のオバマ覆面にも興味をしめし「オバマだ・・・」と指をさす、そして行進に対して「何をやっているの...頑張れ...」と声をかける。広島まで歩くんだよと言うなり、すぐ返答「広島って遠いんだよ、何日もかかるし」と。行進しながらハンディータイプの太鼓をたたく松本さんの近くに寄って来た。


少しでも一緒に歩かないと声をかけたら、7人の小学生が行進に加わり、他の子供は商店街のの両サイドで応援。話しながら行進、終結場所に着くなり「さようなら...」と手を振りながら家路に帰っていった。


女の子が学校で飼育・観察しているのか、カメをケースに入れて持つ子、またヘビを2ヒキ瓶に入れ持っている姿があった。週末だから家で飼育・観察するのかと思ったが家では、大変では?

松本英治日記No.17

平和行進17日目。晴れ後小雨後曇り。


香葉台公園で9時出発集会。雨の予想を覆し、日差し。芝川町の野村町長の挨拶を受け、名刺交換。昨年は歩いていただいたそうですが、本日は公務のため、無理でしたが、挨拶に来て下さいました。


閑静な住宅街を行進。車移動で、JR富士宮駅南口平和の像広場で再出発集会、挨拶「非核神戸方式をアピール」しました。


10時半出発、富士宮市内を歌いながら行進、小沢喜和子さん今日も!明日から「悪魔の飽食」旭川公演に行かれるのに、池辺先生によろしく!と伝言!富士宮市役所で集会、市長代理の挨拶を受け、名刺交換!本日は曇天で富士山は顔を出さずでした、残念!駅前の平和の像の解説も、1984年非核都市宣言、平和のモニュメントの作成を市民に呼びかけ650万円のカンパで平和の像「はばたき」が造られました。


富士市へ引継ぎ集会後、富士宮市役所で昼食。車移動で吉原南公園へアンサンブル「ユニット」の歓迎演奏、公園にPA持ち込んで!うたごえの仲間たちも応援に、歌い交わしました、歩きながらも!富士市役所で、市長代理の挨拶を受け、名刺交換。市内をうたごえを響かせ行進しました。


途中富士市第一小学校の生徒が下校中9人が行進の横断幕を持ち参加してくれました。終結の富士平垣公園まで!子供たちと歩けたのが非常にうれしかった。広島まで歩いて行くと言うと驚いていました。


今日もカンパ隊大活躍でした。富士宮市でも、富士市でも、平和行進歓迎のポスターが張り巡らせれ、事前の準備万端でカンパも待っていただいています。毎年の積み重ねの成果を感じた行進でした。雨にも降られず!行進日和でした!

矢部常次日記 第16日目

御殿場国立青年の家を出発する、富士山を背に反対側には広大な土地にアメリカ基地・CAMP FUJI。


青年の家のとなりには、滝ヶ原駐屯地がある。9時20分出発なので、すでに青年の家では30人以上の青年が同じスポーツ服で行進していた、そしてCAMP FUJIゲートでは、私たち行進者に判らない様に写真を撮って監視していた。そこに2機の軍用ヘリが飛んできて基地に降りた。


昨日、宿泊先に向かう途中、東富士演習場にある基地(富士・滝ヶ原・駒門・板妻の各駐屯地)を見学して、平和委員会の方から説明をうける(富士山、お茶とみかんと伊豆の温泉の≪静岡≫が面積比全国第3位の「基地県」で東京の山手線がスポッと入る...)。


富士山を「世界文化遺産」へ登録しようとしているが、イラク戦争などに直結の訓練・陸上自衛隊と米海兵隊が砲弾を使い富士山を標的に撃っている。富士山は8合目以上は何処から見ても綺麗だが、裾野では自然破壊が進み、また富士山には無数の空洞(溶岩トンネル)が存在しているので砲弾訓練が行われれば、被害が重大...と話された。


御殿場市内そして沼津市内を行進して最後は今沢基地だ。昨日のレポートにも書いたが、事前の宣伝と歴史だろうか、行進そのものは70人から80人の参加だが、募金カンパ隊の動きは活発。


市町村からのペナントと賛同金を、今回行けない所は事前に貰ってきており、沿道のすべてに訴える。行進の関係で午前と午後に参加者も入れ代わる。これまで半日で最高1万9千円くらいだったのが、沼津市役所から今沢基地(これが基地?と思う砂浜・上陸作戦に使っており両サイドにフェンスはあるが誰でも入れる。急に深く・流れも速く遊泳禁止だ)までの間、まとめの集会で責任者のカンパの集計発表。「皆さん驚かないでください、4万9千××円」と言うと、少し離れた場所から、事務局の北川さん(県平和委員会、3・1ビキニデー事務局)が『もっと増えています、5万8百4円になっています』と大きな声で話す。


参加者全員「ウォー」の歓声と拍手。明日からの行動に励みになった。

松本英治日記No.16

平和行進16日目。晴れのち曇り。


国立青年の家9時集合、キャンプ富士の隣で出発集会、通し行進者2人と県内通し行進者4人が紹介され、一人ひとり挨拶、私は「昨日見た、東富士演習場といい、キャンプといい、米軍と、自衛隊が、のさばっているのが、腹立たしい。非核神戸方式を広げましょうと」立派な道が幾筋も、自衛隊の車両がほとんど!


9時20分、アコの伴奏で「青い地球を」を歌いながら出発。風邪が治りきらず、息が切れる。まだ無理です。ハンドマイクデビューは!少し歩いて、マイクロバスで御殿場市役所へ、休憩後、市内行進。永原セブンイレブンで昼食休憩。バスで沼津市役所へ。


昼休み、三島どんぐり合唱団の方と出発前の歌う会をやっていると、公安警察が、1時からの集会届けなので、マイクはだめといわれる。肉声でやりました。


副市長の挨拶を受け、市内行進、事前に平和行進の通過時間と平和のための募金袋が配布されていて、募金を持って待っていてくださる姿がよくみられる、封筒にメッセージも、「風邪をひかぬよう、頑張って歩いてください(沼津の一老婆より)」。本日昼からだけで、50804円の募金がよせられました。カンパ隊大活躍でした。


昼から今日も小沢喜和子さんが!歌いながらの行進です。休憩の片浜小学校で、歌集を買っていただき、歌う会を静岡のうたごえの仲間と!米軍今沢基地(千本松原を背に駿河湾に面した、93x271mの砂浜と県道(旧国1)に通ずる2本の進入路、合わせて、2・63ヘクタール(沼津海浜訓練場)さらに沖合いに4~5kmに向かって末広がりに広がる台形状の海面水域(沼津乗下船及び積込積下訓練場)1952年沖縄に司令部を置く在日米海兵隊に統括されるキャンプ富士演習場の管理下にあった。ベトナム戦争時よく使われた、今は、LCAC(エアークッション型揚陸艇)の演習場へ変容!日米共同訓練への足がかりにされ、現在自衛艦の揚陸訓練を行っているとの事!(LCACの出現により従来型上陸舟艇では、世界の海岸17%しか上陸作戦ができなかったが、LCACでは、80%になったといわれている)。


浜辺で学習をかねた終結集会。明日の出発地、富士宮市の宿に送っていただきました。行進にオバマ仮面登場、子供たちに人気です。相棒の通し行進者矢部さんが、持って行進中です。

松本英治日記No.16

平和行進16日目。晴れのち曇り。


国立青年の家9時集合、キャンプ富士の隣で出発集会、通し行進者2人と県内通し行進者4人が紹介され、一人ひとり挨拶、私は「昨日見た、東富士演習場といい、キャンプといい、米軍と、自衛隊が、のさばっているのが、腹立たしい。非核神戸方式を広げましょうと」立派な道が幾筋も、自衛隊の車両がほとんど!


9時20分、アコの伴奏で「青い地球を」を歌いながら出発。風邪が治りきらず、息が切れる。まだ無理です。ハンドマイクデビューは!少し歩いて、マイクロバスで御殿場市役所へ、休憩後、市内行進。永原セブンイレブンで昼食休憩。バスで沼津市役所へ。


昼休み、三島どんぐり合唱団の方と出発前の歌う会をやっていると、公安警察が、1時からの集会届けなので、マイクはだめといわれる。肉声でやりました。


副市長の挨拶を受け、市内行進、事前に平和行進の通過時間と平和のための募金袋が配布されていて、募金を持って待っていてくださる姿がよくみられる、封筒にメッセージも、「風邪をひかぬよう、頑張って歩いてください(沼津の一老婆より)」。本日昼からだけで、50804円の募金がよせられました。カンパ隊大活躍でした。


昼から今日も小沢喜和子さんが!歌いながらの行進です。休憩の片浜小学校で、歌集を買っていただき、歌う会を静岡のうたごえの仲間と!米軍今沢基地(千本松原を背に駿河湾に面した、93x271mの砂浜と県道(旧国1)に通ずる2本の進入路、合わせて、2・63ヘクタール(沼津海浜訓練場)さらに沖合いに4~5kmに向かって末広がりに広がる台形状の海面水域(沼津乗下船及び積込積下訓練場)1952年沖縄に司令部を置く在日米海兵隊に統括されるキャンプ富士演習場の管理下にあった。ベトナム戦争時よく使われた、今は、LCAC(エアークッション型揚陸艇)の演習場へ変容!日米共同訓練への足がかりにされ、現在自衛艦の揚陸訓練を行っているとの事!(LCACの出現により従来型上陸舟艇では、世界の海岸17%しか上陸作戦ができなかったが、LCACでは、80%になったといわれている)。


浜辺で学習をかねた終結集会。明日の出発地、富士宮市の宿に送っていただきました。行進にオバマ仮面登場、子供たちに人気です。相棒の通し行進者矢部さんが、持って行進中です。

矢部常次日記 第15日目

昨日静岡県に入り、宿泊先に移動して、県内通し行進者(小林さん、高橋さん、山崎さんそしてわかやま市民生活協同組合から参加した向さん)4人と全国通し行進者松本さんと私、事務局北川さんそして静岡県平和委員会理事長の埋田昇二さん(1980年代から今日まで、原水爆禁止世界大会や国民平和大行進のなかで歌われている「青い地球を」の作詞された方)で夕食後、静岡県の原水爆禁止平和行進の歴史と今回の平和行進実行委員会の内容と県内13日間のコース、そして県内網の目行進について学習と打ち合わせを行った。


協力共同した県内統一平和行進を追求し、いまはそれが実現でき定着している事、オバマアメリカ大統領のプラハ発言など熱が入り会話が進む。


三島市役所では、自冶体要請という形で時間をとって頂き、小池市長・足立副議長さんが原水爆禁止について熱く語り、歓迎と激励をうけた(市役所3階の大きな部屋に、行進参加者ほぼ全員が案内されての歓迎集会)。


三島市以外に住む行進者から「市長の原水爆禁止への取りくみ姿勢に感動した・ほかの市では、こんな市政は無いね・・・など」と声が聞かれた。


昼食は、おにぎり・とん汁そして野菜サラダを地元の婦人の方々に準備して頂き、行進参加者全員がおいしくいただき、私などは、おかわりしてとん汁を2杯美味しくいただいた。


静岡県に入って感じることは、昨日の行進に対する警察警備のやり方、ふたつ目には募金カンパ隊を行進参加者に呼びかけ沿道の家・店に軒並み入りカンパを訴える行動。


通し行進の高橋さん(伊東市から参加の新日本婦人の会で初めて平和行進参加)が、入った家でビラを渡したら、奥の部屋に行き貯めていたお金を持ってくるなりカンパ袋にジャラジャラといれてくれ「袋が重く感動して涙が出た」と隊列に戻るなり語り、それを聞き感動。

松本英治日記No.15

平和行進15日目。快晴。


出発集会で挨拶「非核神戸方式を中心に」。9時45分出発。三島市役所で市長の歓迎集会を会議室で。初めての経験、素敵な市長さんの挨拶を受ける。モニュメント作成計画中とのこと!


沿道でのカンパが凄い、待っていただいています。カンパ隊大活躍!常時富士山がお出迎え!快晴で暑いが、快適!静岡のうたごえの小沢喜和子さんがずっと歌って励ましてくれました。素晴らしい!県内通し行進の方がアコを引きながら応援!神奈川県は、常時警察が、20人程ついて、交通整理をしてくれましたが、静岡県は、なし!公安警察が3人ついているが、行進団への注意のみで、何にもしません。交通整理も独自で!三島市役所で昼食、手づくりのおにぎりと、味噌汁野菜サラダに漬物、ありがたい!


1時間の休憩で1時半出発、富士山にむかって歩く、先頭は、静岡県実行委員会の横断幕、次に私たちの国民平和行進の横断幕を持ち、パーランクで歌のリズムを取りながら行進です。裾野市役所に3時半到着終結集会。明日出発の御殿場へ。


途中、東富士演習場を見学、広大な敷地、まさしく「富士を撃つ」着弾点の近くにも行く!自衛隊と米軍海兵隊が使用しています。国民の血税で買った、特殊車両が、幌をかぶり、ごろごろ置いてあり、訓練中か、銃声も!異様な世界でした。迷惑料して、予算が下りてるとの事、地元自治体に豪華な施設や、防弾予算も!家の改築、新築時に出るそうです、鉛板を天井に入れるそうです。富士山の溶岩を拾う。コレクションに!(松代大本営の石、筑豊・夕張の石炭)

九度山町を平和行進


5月17日、町役場前で10時から20人の参加で出発集会が行われました。議長からのメッセージと町長からの協賛金をいただき、商店街に向けて平和行進を行いました。


高野町を行進


13時、高野町役場前で出発集会が行われ、町長と議長からのメッセージをいただきました。雨にも負けず、15人の参加で行進を行いました。


かつらぎ町出発集会に役場職員十数人が参加


5月18日17時30分、かつらぎ町役場前で開かれた出発集会には38人が参加。役場の職員が十数人も参加してくれました。また、来賓あいさつの中で町長メッセージを代読、それに、町長、議長からの協賛金をいただきました。


この後、新婦人の横断幕を先頭に、意気高く行進しました。


橋本市を行進


5月19日17時30分、橋本市役所前に53人が参加し、出発集会。市長からのメッセージと市長、市議会議長からの協賛金をいただきました。


この後、市職を先頭にシュプレヒコールを上げながら、元気良く橋本駅までの往復を行進しました。

5月19日、神奈川の最終日を迎えた平和行進。


湯河原の観光会館前の出発集会には、160人が参加。被爆者の会の吉野副会長が「今年も雨の日も風の強い日もありました。今日は静岡にバトンを渡す日、最後まで元気に歩きましょう」と挨拶。ピースリレーの富士見さん、地元湯河原実行委員会の小沢議員にもご挨拶をいただき、通し行進者の紹介の後、元気に出発しました。


駅前で、トランペット演奏の出迎え


沿道からは、次々と手を振って激励が来ます。カンパや署名を手渡してくれる人も。本日だけで沿道から寄せられたカンパは1万円を超え、署名は13筆でした。西さがみ原水協の皆さんが事前に沿道にチラシを配布してあったのです。


湯河原駅前では、いつものように松平さんと菅さんがトランペット演奏で迎えてくれました。


駅前を通過して、広崎公園で休憩。湯河原町の富田町長が挨拶されて、メッセージと賛同金をいただき、200人の隊列で引継ぎ地点の千歳橋川端公園へ出発。


千歳橋川端公園で静岡の行進団100人に引継ぎ


12時50分から千歳橋川端公園にて、静岡の行進団100人に引継ぎ集会を開催しました。県被爆者の会の田栗会長は、「長崎で実家が被爆した時、私は学生で福岡にいました。最初は<新型爆弾が落ちたが、被害は軽微である>とのことでしたが、長崎に帰ると焼け野が原、自宅も跡形もありませんでした。米大統領が核兵器廃絶の発言をしましたが、私たちの運動の継続・積み重ねが大切」と挨拶。パルコープの岸さん、神奈川労連の水谷議長、静岡行進団からもご挨拶をいただき、団体旗の引継ぎを行いました。


5月7日から13日間、34市町村を歩いた平和行進は、のべ5000人を超える参加者で大成功しました。ご協力ご参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました。夏の原水爆禁止世界大会成功に向けて頑張りましょう。

Aコース 小田原


出発式では、被爆者の会おだわら支部会長竹原さんがあいさつ。「14歳の時に長崎で被爆しました。自分は、山の隣にいたので助かりましたが、同級生の多くは亡くなりました。核兵器は絶対にあってはならないという思いで平和行進に参加しています」。地元実行委員会代表の原田さんは、「核兵器廃絶は抑止論だけで国際的な世論ではなかった。私たちは一貫して廃絶を訴えて運動してきたが少数派だった。オバマさんの発言で世界が変わりつつあります。日本政府は相変わらず核抑止を言っている。核兵器廃絶とともに、憲法9条改悪にも注目する必要があります」とあいさつ。通し行進者の紹介の後、みんなで「青い空は」の歌を合唱して出発しました。


小田原市役所では、市長の代理で鈴木総務部長が「原水爆の禁止と世界恒久平和の実現は全世界の共通の願いです。特に、核兵器廃絶に関しては、唯一の被爆国として強く訴えていく必要があると感じております」とメッセージを代読した後、賛同金を被爆者の方が受け取りました。


Bコース 秦野


秦野氏役所前で出発集会。最初に秦野市民平和行進実行委員会の中村実行委員長が、「オバマさんの核兵器をなくす宣言がありました。歓迎はしますが私たちの運動がより大事になったのだと思います。必ず核兵器をなくすために今日の行進を頑張りましょう」とあいさつしました。続いて、秦野市長と市議会議長があいさつ。


古谷市長は「秦野は平和を愛する町です。また、憲法を遵守する町です。憲法を市民憲章を守り、核兵器廃絶にすすみましょう。秦野は、8月15日を平和の日として制定し、今年はピースキャンドルを実施し、平和のともし火を広げていきます。原爆の火を広島市から譲り受け、永遠に秦野で灯したいと考えています」と激励してくれました。


山口市議会議長は「オバマさんが核兵器をなくす方向を明言しましたが、一方で日本は唯一の被爆国です。もっと世界に核兵器廃絶を(政府機関が)発信するべきだと思います。市議会も市民の安全、平和にむけてのいっそうの努力をします」とあいさつしました。


JA(農協)秦野からは、「日本の農業を守るための3つの方針を持っています。それは、皆さんの平和行進を成功させようとする気持ちと共通しています。頑張ってください」とメッセージが寄せられました。秦野市長・市議会議長・秦野市教育委員会から平和行進にペナントが渡され、被爆者の会秦野支部の代表が受け取りました。


全国・県内通し行進者の紹介。全国通しでBコースを歩いている松本さんは、「東京を出発して今日で13日目になります。初めて、きれいな富士山を見ることができました」と、富士山を見ながら行進。県内通しの米山さんは、「横須賀に原子力空母ジョージ・ワシントンがいる限り、平和行進を歩き続けます」と力強く訴えました。


武田信子さんが、「今日は、年金者組合秦野支部の仲間もたくさん参加してくれています。皆さんと一緒に元気に歩きます」とあいさつ。


続いて、塩瀬さんが「Aコース、Bコースで被爆者が元気に歩いています。今日も秦野支部の仲間がたくさん来てくれました。私は7歳の時に被爆しました」と、自らの被爆証言をし、あいさつを終わりました。


真鶴


真鶴町の町長・町議会議長を代表して、岡ノ谷町議会議長があいさつ。「心よりみなさんの平和行進を歓迎いたします。戦争を知らない世代が増えている中で、平和の尊さと核兵器の廃絶を訴えていくこの行進は、大変貴重で大事なものだと思います」と述べました。


町長と議長のペナントを、県内通し行進者の塩瀬さんが受け取りました。


続いて、真鶴平和行進実行委員会を代表して、東谷さんがあいさつ。「オバマさんが核兵器のない世界をと明言しました。それを実現させる草の根の運動が今こそ大事です。日本政府は先頭に立つ行動を起こさなければならないと思います。しかし、麻生首相は、水をさしています。足を引っ張る行動をやめてほしい」と述べました。


全国・県内通し行進者の紹介で県内の塩瀬さんがあいさつ。行進は80人で出発し、山坂が多くて大変な真鶴町ですが、町民の反応は良く、町民との交流を深めながら真鶴駅まで歩きました。

松本英治日記No.14

平和行進14日目、曇天。


湯河原の温泉13日間の疲れを癒し、今日の出発地湯河原観光会館へ。本日静岡に引継ぎのため、通し行進旗とリレーリュックの点検。東京の大熊君が早々と到着。神奈川のうたごえ石倉さん他で歌いながら出発集会を待つ。


集会後10時出発、温泉街を歌いながら行進し湯河原駅へ。松平さんが菅裕紀(ゆき)さんという女性を連れてトランペツト2本で登場、励まされます。


行進で歌い、休憩で歌う。冨田湯河原町長の挨拶を受け、お礼に名刺交換!引継ぎの前で、湯河原名物の弁当をいただく、おいしかった~!4歳の女の子とお母さんが一緒に歩く。孫を思い出す。地元姫路はインフルエンザで大変らしい。


千歳橋川端公園で静岡の皆さんの出迎え、アコ5台の伴奏と歌で盛大に、を受け到着。引継ぎ集会、挨拶の後、通し行進横断幕とともに静岡県側に、神奈川の皆さん13日間ありがとうございました、いろいろ学ばせていただきました。静岡の皆さん13日間よろしくお願いいたします。


これまで一緒に歩いてきた神奈川の皆さんのお見送りを受け1時20分出発、少し歩きバスで、熱海市内へ、市内行進、熱海駅で休憩、繁華街を歌いながら行進。大熊君のギターの伴奏で!参加者も一緒に!熱海海浜公園で終結集会。


熱海の温泉宿で、疲れを癒す、静岡の行進運営委員長の埋田昇二さん(「青い地球を」の作詞者)の静岡の平和行進の歴史を学ぶ、「静岡の心」原水禁運動分裂を乗りこえて、のお話に感激!明日からの行進が楽しみ!

湯浅町から広川町への平和行進


5月15日、湯浅町役場前で17時30分から40人の参加で出発集会を行いました。平和行進中、ビラをまいていくと、お店の人が快く受け取ってくれました。


湯浅・広川町では、ともに町からのあいさつや町長ならびに議長からも協賛金をいただきました。


雨の中、御坊市を平和行進


5月17日10時、御坊市役所前において、50人が参加して出発集会。地元を代表して大川氏からのあいさつ、続いて県原水協・田中順也氏、市会議員・楠本文郎氏からのあいさつもありました。続いて、市民生協からの決意表明、アピール案採択、「青い空は」を歌って集会を終えました。


平和行進の最中にパラパラと雨が降ってきましたが、めげずに頑張り、沿道カンパは1万3306円にのぼりました。


由良町を平和行進


5月18日17時30分、町役場前で出発集会を行いました。集会には20人が参加し、収入役からのあいさつ、町長メッセージやペナント、協賛金もいただきました。


行進では商店街や沿道でビラまきを行いました。

五十嵐成臣日記 5月16日~18日

5月16日 朝、江別より札幌の野幌百年記念塔より札幌市内の平和行進が始まった。この日、行進は市内4ヶ所より中島公園に向けて行われ、幹線コースは豊平川・札幌駅前通・すすきのを通り、途中他のコースと合流しながら中島公園へ。のべ500人以上が参加したとのこと。北海道に来て最大の平和行進となった。
 

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5月17日 北海道原水協の総会に出席。


5月18日 札幌市長、議会議長を表敬訪問。午後、全国で唯一、被爆者が管理、運営をしている原爆資料館「北海道ノーモアヒバクシャ会館」を訪問した。ここは北海道の小中高の児童生徒、大学のサークルなどの人たちが平和教育の一環としてよく訪れるとのこと。また、ここの会員の人たちは語り部として学校訪問をされているということだった。


この会館は、札幌駅より千歳線で十数分の「平和」駅で下車すると、目前です。このような資料館は、広島や長崎などで公的施設としてあるが、民間の、しかも被爆者自身が作っているのは大変なこと。二度と被爆者を作らないでという思いを感じた。

矢部常次日記 第14日目

神奈川県内の13日間はあっと言う期間で、神奈川平和行進実行委員会の皆さんのご苦労をよそに県内通し行進者は、日焼けした顔で疲れがあるにもかかわらず「時間の経つのも早くもっと歩きたい」と話す(全国通し行進者の松本さんと私は、歩き続けるのだが、そして昨年通し行進した米山さんが静岡からの行進についてアドバイスをくれる)。


湯河原観光会館では、5月23日(土)湯かけまつりが開催されるので準備の人たちが作業していた。


出発集会では、これまで県内で行進に参加してきた方をはじめ、被爆者の会の人15人くらいの方も参加(原爆症認定をまだ貰えず裁判で国と闘っている川崎在住の荒木さんの姿もあった。高齢でそんなに歩けないけどと話す。私から近寄り「おはようございます」と声をかけた)。


組合関係者も多く、神奈川労連の水谷議長をはじめ元議長2人も来て頂き激励を受けた、またJMIUからは、久しぶりに会った三興製鋼の中村君、地本事務局の平間さんが参加。


広崎公園でまだ11時半なのだが、松本さんと私は実行委員会が準備して頂いた弁当を食べた。特別待遇・・・静岡に入ったら食べる時間がないからだ。食べ終わると同時に、冨田湯河原市長が公務をさしおいて歓迎と激励に駆けつけて頂いた、名刺を渡し、挨拶とかたい握手を頂いた。


湯河原駅では、県内最後の激励でトランペッターの松平晃さん、菅祐紀さんの2人がトランペットの演奏で静岡引継ぎ、行進スタートまで激励演奏してくれました(何曲演奏して頂いたのか、有難うございました)。


引継ぎ集会は粛々と行われ、これまで世話をして下さった実行委員の永沢さん、県内通し行進者や、そして県内を行進して6月4日から富山~広島を歩く栖原さんと固い握手をかわした。


実行委員の森田さんには、話すことができなかったが感謝の言葉を永沢さんに託した。


引継ぎスタートする時、「行ってきます」と大きく手を振った(多くの人に長崎で会えるのに、なんだか高校を卒業してふるさと新潟・出雲崎町から川崎の三和エレクトロニクス株式会社<旧三和測器>に働きに来た時のような感じだ)。


熱海市内をパレード、80人を超えているのに警備の警察官3人、時々近くの交番の警察の人も加わる。地元の実行委員の人に聞くと「熱海は特別、ほかの地域は警備の警察官は来ないよ」と話す。県が変わればこうも変わるのかとびっくり。広島で行進した時、愛知でトヨタ総行動でのデモに参加したが、交通量が多いにもかかわらず静岡県は違う。


神奈川だと100人の行進で10人以上の警察警備で、話しかけ激励をくれる警察官もいるし、ハンドマイクでうるさく行進者に注意する所もあった。

札幌市入りした平和行進代表団は18日、市役所を訪問しました。


山形有祐秘書係長は「平和の事業は、力の入れすぎということはありません」と言い、募金、ペナント記載に協力しました。


幹線コースの通し行進者の五十嵐成臣さんと道内通し行進者の小川基弘さん、札幌実行委員会の石川一美実行委員長らは「核兵器のない世界を」と訴え、「上田文雄市長の顔写真が載ったニュースを市役所に張り、署名コーナーを設けてほしい」との要望を上田市長に伝えるように要請しました。


市議会では、出井浩義総務課長や新見琢磨秘書担当係長が応対。「ようこそいらっしゃいました」と歓迎し、「昨日は3コースで500人が行進しました」と説明すると、「大きいですね。平和の輪が広がっています」と話が弾みました。

Aコース 平塚・大磯・二宮


平塚市役所で出発集会。市長の代理で高田総務部長が大藏律子市長のメッセージを代読。続いて原爆被災者の会平塚支部の小賀さんが自らの体験を話しました。平和行進平塚実行委員会の西村さん(平塚民商)、ピースリレー実行委員会のコープ平塚コーディネーターの入井さんもあいさつ。通し行進者を紹介した後、出発。


大磯に向けて行進する中で、参加者がどんどん増え、200人を超える参加者が歩きました。


大磯町役場では、町長はじめ、町職員が出迎え。町長から「核兵器廃絶恒久平和をめざし、非核平和都市宣言をした。庁舎前に非核都市宣言記念碑を建てた。ご承知の通り第2次世界大戦における大勢の尊い犠牲の上に平和憲法が制定され、現在に至っている」と激励のあいさつがありました。


二宮に向けて110人が行進。途中、町と町民の浄財で立てられた「ガラスのうさぎ」を通ったときは、曲を流しながら説明。


町役場では、町長と町議会議長が出迎え。町長から「平和を願う気持ちは一緒」と連帯のあいさつを受けました。最後に参加者全員で「ガラスのうさぎ」を唱和して解散。


Bコース 厚木・愛川・伊勢原


厚木からの参加者は、厚木さつき公園で出発集会。はじめに「アンサンブルしじま」による歌で始まりました。「青い空は」「ねがい」を参加者で合唱。厚木革新懇の小池さんが司会を務めました。


厚木市長のメッセージを柿島次長が代読。続いて平和行進厚木実行委員長の新婦人厚木支部の五十嵐さんが、「オバマ発言は画期的。子どもを守るために核兵器廃絶を実現しないといけない。3歳と5歳の子どもを連れて参加すると意気高いあいさつ。全国通し行進者の松本さん、県内通し行進者の武田さんが紹介され、松本さんがあいさつ。120人の参加で行進がスタートしました。


愛川からの参加者は、愛川町役場で出発集会。山田町長、中山町議会議長のメッセージが届き、町長のメッセージを総務部長が代読。続いて、平和行進愛川町実行委員長の大倉さんがあいさつ。県内通し行進者が紹介され、被爆者の塩瀬さんがあいさつ。20人全員がプラカードを持って行進しました。


厚木公園での中間まとめ集会では、プラカードコンテストの結果が発表されました。


午後は、愛川町からの参加者も合流して、伊勢原市市民文化会館の会議室で出発集会。市教育委員会と原爆被災者の会が後援し、平和行進伊勢原実行委員会主催で行われました。


山田市民生活部長が市長のメッセージを代読。続いて、平和行進伊勢原実行委員長の浜本さんがあいさつ。被爆者の会の八洲さんが自らの体験を話しました。新婦人伊勢原支部が絵本『おこり地蔵』の朗読劇を披露。通し行進者を紹介後、全員で歌を合唱しました。


集会には110人が参加。行進には、被爆者7人を先頭に、80人で鶴巻温泉まで行進。小田急鶴巻温泉駅に到着すると、まとめ集会を簡単に行い、解散しました。


Cコース 箱根町


史上初めて箱根町を行進。箱根駅伝の出発地点「芦ノ湖」で出発集会。箱根9条の会の草柳さんが司会を務めました。


地元町役場に向かって16人で出発。道中、町民からの温かい激励を受けました。一旦、箱根町役場に着いた際には、トランペット奏者の菅ゆきさんが演奏で出迎え。午後は一緒に歩きました。湯本駅に着く頃には22人に。


箱根町役場に到着。町長のメッセージを山口庶務課長が代読。県平和大行進実行委員会から岩森さんがあいさつ。通し行進者が紹介され、「団結ガンバロー」で解散しました。


Dコース 清川村


清川村役場で出発集会。大矢村長から「平和行進に敬意を表している。オバマ大統領の発言もありましたが、皆さんの運動の努力があるからだと思います」と激励のあいさつ。続いて、山本村会議議長、遺族会の代表からもあいさつ。その後は8人で行進。午後はBコースに合流しました。

松本英治日記No.13

平和行進13日目。快晴。


9時秦野市役所出発集会、昨日と打って変わり快晴、行進後初めて富士山がお出迎え!


古谷市長の挨拶、市役所正面の市民憲章とオバマ発言を引用した素晴らしい挨拶、市民憲章の傍に広島の火も設置との事!


お礼に通し行進者として、名詞を交換しました。私も挨拶、「快晴の富士山に迎えられ、オバマ発言を実現させるため、元気に行進しましょう。」


今日も、被爆者の皆さんが先導されました。秦野市内をパーランクを打ちながら元気に行進、前を歩かれる被爆者の皆さんから太鼓が耳につき疲れると、中止しました。


コープかながわ渋沢店真で行進、接待を受け、真鶴町民センターへ車移動、駅前の大衆割烹で昼食、美味しい海の幸を!


真鶴町長代理の挨拶を受け、町内行進、Aコースと久しぶりに合流し、坂道の町内を行進、鄙びた漁港です。真鶴駅まで、1時間の行進。3時半に終結集会。


暑い一日でした。宿泊地の湯河原に移動。明日神奈川県13日間の最後、温泉でお別れパーティを、感想を述べ合い、私は「基地の多さ、被爆者の先導、土建とコープさんの参加の多さ、各首長の真摯な挨拶に、長年の運動の広がりを感じました」。宴会の最後にお礼に播磨の民謡「木場の船唄」を披露しました。


宴会後神奈川の労働運動、平和運動の貴重な歴史的お話を聞きました。労働運動と平和運動が一体になり、進められています。今年も神奈川のJMIUから二人の通し行進者が!(東京~広島、矢部さん。と北海道~東京、五十嵐さん)


明日の昼静岡県に引き継がれます。うたごえ新聞一人読者に!(富山~広島コースの通し行進者、栖原さん8月から)

※5月14日現在。予告なく変更される場合があります。

5月19日(火)引継ぎ集会


11:30 引継ぎ集会 湯河原町 川端公園(千歳橋)集合
13:20 川端公園出発⇒バス⇒興亜観音前⇒熱海駅(休憩)⇒市街⇒市役所
16:30 終結集会 海浜公園多目的広場


5月20日(水)田方・三島・長泉・裾野コース


08:45 コープ田方センター集合
09:45 出発⇒大場橋⇒森永製菓前⇒三島市役所
11:20 自治体要請・昼食・休憩(市役所別館)
13:30 出発集会 三島市役所
⇒本町交差点⇒日大前
14:45 コープ桜づつみ店
⇒三菱アルミ前⇒裾野市役所前・小柄沢公園
16:00 終結集会


5月21日(木)御殿場・沼津コース


08:00 御殿場駅集合 バスで移動
08:12 私鉄バス出発
08:29 国立青年の家前
09:00 国立青年の家前集合・集会
09:20 出発
⇒桜公園⇒車⇒御殿場市役所
10:00 休憩
⇒御殿場駅⇒永原セブンイレブン前⇒沼津市役所
13:00 昼食
13:40 出発
15:40 片浜小学校
⇒今沢基地
16:10 終結集会


5月22日(金)芝川・富士宮・富士コース


08:30 香葉台公園出発
10:00 富士宮駅南口平和の像広場
⇒北口⇒本町商店街⇒浅間神社⇒西参道
10:40 西富士宮駅
西町商店街⇒宮町商店街⇒東町商店街
11:20 富士宮市役所
11:30 富士へ引継ぎ集会
13:30 富士市吉原南町公園出発
⇒吉原本町通り⇒中央駅⇒パパキット前⇒トラヤGS⇒富士市役所(休憩)
14:30 出発
⇒富士総合庁舎⇒セブンイレブン前⇒第一小学校前⇒富士本町通り⇒駿河銀行⇒富士平垣公園
16:00 終結集会


5月23日(土)富士川・蒲原・由比・清水コース


09:00 JR富士川駅前集合
09:30 出発
10:30 蒲原支所(休憩)
12:00 由比本陣(昼食・休憩)
13:00 出発
13:30 JR由比駅到着
JR電車で移動
14:00 JR清水駅出発
15:00 おいべつさん
⇒次郎長通り
15:50 鉄舟寺 終結集会


5月24日(日)清水・静岡コース


09:00 清水区役所集合
09:30 出発
10:30 芳川駐車場(休憩)
11:30 JR草薙駅到着(昼食・休憩)
静鉄電車で移動・古庄駅下車
13:00 ルーテルひかり教会
13:30 出発
⇒古庄通り北進⇒旧北街道西進⇒千代田小学校西進⇒沓谷・唐瀬街道交差点左折⇒北街道西進
15:00 清水山公園(休憩)
⇒マルヒラ呉服店前右折⇒伝馬町通り西進⇒御幸町通り横断⇒呉服町通り横断⇒浮月ビル前右折⇒両替町通り北進⇒青葉公園通り左折
16:30 常盤到着 常盤公園にて静岡県平和行進歓迎集会



5月25日(月)静岡・焼津・岡部・大井川コース


08:30 青葉公園集合・出発集会
09:00 出発
青葉通り東進⇒市役所前左折⇒七間町通り西進⇒駒方通り西進
10:00 弥勒公園(休憩)
⇒安倍川橋を渡り左折⇒安倍川西岸南進⇒用宗街道南進⇒中村赤ちゃん店左折⇒河原通り南進⇒スイートジェントリービル右折⇒ふじわらや前左折
11:20 みずほ公園到着
JR安倍川駅
電車で移動
12:00 焼津駅下車
焼津市バスに乗る
12:30 弘徳院(昼食・休憩・学習会)引継ぎ集会
⇒赤坂鉄工所前⇒旧焼津港
14:15 焼津市役所・出発
⇒昭和通り⇒水産高西側⇒田子重⇒青果市場⇒三ケ名神明宮
15:10 コープ焼津店
車移動
15:50 焼津市分庁・大井川文化会館前
16:00 出発
⇒静浜基地
17:00 上小杉団地 終結集会


5月26日(火)藤枝・島田・金谷コース


08:30  藤枝市役所・出発式
08:55 出発
⇒駿河銀行
09:20 勝草橋
⇒青木五叉路⇒藤枝駅北(休憩)
10:15 出発
11:15 一里山
11:50 六合駅到着
12:20 島田引継ぎ集会・八幡神社内(六合駅南 昼食休憩)
13:30 島田駅出発
⇒扇町公園(休憩)
14:20 出発
16:30 金谷水神公園
16:50 金谷地域交流センター 終結集会


5月27日(水)菊川・御前崎・掛川コース


09:00 菊川市役所集合・集会
⇒東名ガード下⇒車
10:10 たこ港南
10:50 小笠支所(休憩)
⇒車
13:30 大東支所
⇒桶屋交差点西⇒車
14:40 大須賀支所
15:15 ベニイ前
⇒車
15:45 馬喰橋
⇒市街地
16:45 掛川市役所 終結集会


5月28日(木)掛川・袋井・磐田コース


08:30  掛川市役所集合・出発集会
09:00 出発
10:00 原川公会堂(休憩)
10:30 同心橋(袋井と合流)⇒袋井市役所(昼食休憩)
12:50 袋井市役所出発
⇒和橋⇒図書館⇒袋井駅前⇒静橋⇒中央交差点⇒大原⇒西島⇒大田川⇒磐田市三ケ野ビジターセンター(休憩)
15:00 出発
⇒旧道西進⇒富士見歩道橋⇒見付旧道⇒旧見付学校前公園⇒西坂南進
16:15 磐田市役所到着
16:30 出発
⇒天平のまち交差点⇒西町交差点⇒西庁舎西進
17:10 コープ国府台店 終結集会
※天竜コース(天竜区南館役所 12:30~浜北区役所)


5月29日(金)浜松・浜北コース


東コース
09:40  天竜川駅北・六所神社出発集会
10:00 出発
11:00 将監第1公園到着
11:25 出発
浜松市役所


南コース
09:30 コープさんじの店出発集会
10:00 出発
将監第1公園で東コースと合流、浜松市へ


基地コース
09:20 オートレース場バス停前出発集会
09:40 出発
10:50 コープ富塚店到着(休憩)
11:00 出発
⇒浜松市役所


浜北コース
08:30 浜北区役所
⇒浜松市役所


午後コース
13:30 浜松市役所出発集会
14:00 出発
16:20 高塚駅前・熊野神社 終結集会
終了後、浜松基地フィールドワーク


5月30日(土)浜松・舞阪・鷲津コース


08:40 高塚駅前・熊野神社 出発集会
09:00 出発
10:10 坪井稲荷神社(休憩)
10:35 出発
11:50 地域自治センター(昼食休憩)
12:40 出発集会
12:50 出発
13:50 新居町港運動公園到着
14:00 出発
14:50 新居町民センター到着
15:20 出発
16:05 ゲームパークアミューズメント到着
16:20 出発
16:40 鷲津駅 ひまわり広場 終結集会


5月31日(日)愛知引継ぎコース


08:30 鷲津駅 ひまわり広場 出発集会
09:00 出発
11:30 湖西上ノ原公園到着
13:30 愛知県への引継ぎ集会

矢部常次日記 第12日目

今日の行進は、4コースで前日の準備が大変。宣伝カーの手配から行進に使うプラカードやリレー行進の横断幕など仕分けを携帯電話で連絡を取りながらチェックする。実行委員の会話を聞くとまさしく口論しているようだ(行進参加者に不自由なく行進を成功させる為の口論、熱意が伝わる)。

 

朝インターネットで、すべてのコースの天気予報を調べた。私は参加しないがコースの一つに箱根マラソン(復路)の元箱根から出発して旧箱根街道から湯本駅を行進するコースがあるからだ。 雨が降れば、道路は川のようになるからだ(参加者は元気で歩くだろーとエールを送る)。

 

昼食休憩の大礒町役場に到着して、三好町長の歓迎と激励の挨拶では少し日がさし「行進日和・・・」と受け、このままだと一日雨は降らないかなーと期待。 しかし昼食終り、行進スタートの頃からポツポツ雨が落ちてきた、1時間半くらい歩いた国道一号線では本降りの雨、そして海岸と並行しているので雨風で横断幕・旗を持っての行進参加者は苦労。

 

今日の最終到着地の二宮町役場では、坂本町長の計らいで歓迎とまとめ集会は役場内のフロアーに100人くらいの参加者全員が濡れた合羽姿などなのに入れていただき始まった。

 

二宮町は、1945年(64年前)広島に原爆が落とされた1日前8月5日に、ここ(国鉄)ニ宮駅周辺で艦載機・B51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い命が奪われた。目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越えてけなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」の像(昭和56年8月5日に町と住民の力で建てる)が駅南口にある。

 

映画にもなり「わずか12のわたしには 友の情が身に沁みる 天に召されたお父さん 守って下さいこの形見 ガラスのうさぎ 抱きしめる」と3番まである歌がある(ガラス工場で働くお父さんへの思い)。

 

建造から10年後から町をあげて墓参集会を続けている。 私たち行進者は、行進のまとめ集会終りに、1番:地元の方、2番:町長、3番:議会議長のリードで「ガラスのうさぎ」を合唱した。

 

また、JMIU労働組合中央執行委員の西さんが組合の用で近くまで来ていたので回り道して、二宮駅で出迎えてくれました(事前に連絡あったにせよ嬉しく、西さんはJMIU団体リレー旗・参加者の日誌をチェックしてくれました。・・・私は、特別扱いでJMIUのリレー旗だけを面倒見れないので)。 解散後、宿泊先まで宣伝カーで移動(今日で運転終わりになる、高松さんに激励を受け握手。そして車のキーを預かり明日に備える)。

松本英治日記No.12

平和行進12日目。5月17日(日)曇天後雨。


厚木さつき公園9時半集合。10時からコープさんの企画で出発集会、日曜日でもあり、若者の参加も。集会の前にアンサンブル「しじま」の演奏「青い空は」と「ねがい」素敵!市長さんのメッセージを受け、被爆者の挨拶、私も挨拶しました。「米軍に帰ってもらい、非核の神奈川県に、そのためにも元気に歩きましょう。」


10時半出発。先導の行進実行委員長は新婦人の若きお母さん。2人のお子さんも一緒に行進。今日も被爆者の皆さんが先導されました。厚木市内の繁華街を行進、次の公園でプラカードのコンテストと、アンサンブル「しじま」の演奏、「私が愛した街」の後「青い空は」「ねがい」を2曲は全員で一緒に歌う。うたごえ新聞(私の記事)を渡す。楽しく工夫された企画。ピ-スコールも優しい。本日はなんと4コース同時開催、実質は5コース。


電車移動で3コース合流、伊勢原市民会館会議室で出発集会。ここも、素敵な企画、昼食後1時に会の挨拶、市長さんの挨拶、被爆者の証言、新婦人の「おこりじぞう」の朗読、涙が!私の挨拶「オバマ発言を実行あるものに、毎日の行進と、世界大会とNPT会議を実らせ、被爆者の皆さんの生きていらっしゃる間に実現を!雨が降り始めましたが元気に行進しましょう。みなさんの思いを、広島、長崎に届けます」、年金者合唱団の皆さんと、「芭蕉布」「青い空は」「ふるさと」を一緒に全員で歌い2時15分出発しました。うた新の宣伝紙渡す。カンパをいただきました。鶴巻駅まで雨の中の行進となりました。4時半到着。明日の出発の秦野市の宿へ!

矢部常次日記 第11日目

今日は、1市4町(大井町・山北町・松田町・開成町そして南足柄市)をパレードする。これまではAコースを歩いて来たのだが、今日はBコースに変わった。


神奈川は広く、すべての市町村を歩くことは大変であり、ましてやハイキング・山歩きをあまりしてこなかった私にとって、名前は聞いたことがあったにせよ初めて通る町内である。


南足柄市は神奈川で有名な、「マサカリかついだ金太郎・・・」の足柄山のふるさとであり、若いころ来たことがあるが、あとの町は車で通ったかも知れないが東名高速が通る田園がある山あいの町だ。


昔は林業と田畑で生計を立てていたのだろうが、マイホームを求めて移り住んだ人も多く道路事情もよく休耕地も目立つ。


ただ一つ、山北町は記憶にあった、郵政民営化で郵便局がなくなり町内の手紙・郵便物は他の町に集められてから配達されるので2、3日遅くなったと聞いていたからである。このような事は全国に多数あり、そして市町村合併で住民サービスが低下していると思う(政府はどう思っているのか・・・大企業優先の政治は断ち切る必要があり、また平和・基地問題でもアメリカ優先では困る)。


政府・財界の陰謀はあるが、政治家を選ぶのは国民なのだからと、この平和大行進に力が入る。


行進には、その町々で参加してくるので行進人数は入れ代わり、そう多くない人数のパレードである。


すべての市役所・町役場に実行委員会が事前に申し入れをしての平和大行進であるから、対応は様々だが、今日の1市4町で「今年は参加者が少し少ないですね」と言われる場面もあった。(昨年は、51回目の50周年ということもあり力を発揮したが、今回は土曜日であり町内の行事・学校の運動会など重なり少ないと聞くが、問題は年々参加者が高齢になり若い人が少ないことである)。ここ一番、前向きにもの事をみんなで考え取り組もう・・・。


今日、おもしろい行進をした。中央実行委員会の安井さんから頂いた「オバマ・アメリカ大統領の覆面」を被ったり、私の顔近くで持ち上げての行進。覆面はそう長くは被れないがおもしろい・・・。沿道・車・バスですれちがう人などが関心を持つ、子どもたちは当然だが、若い男女とも関心を示し手を振ってくれる。移動のときなどは話しかけてくる中学生・高校生、お母さんと一緒の小学生女の子に、私から声をかけてみたら「オバマさんだよ」と答えが返ってきた。また松田町役場では、歓迎と激励をくれた。町長さんが「その覆面を、役場の入口正面に展示するから、貰いたい」と集会前の雑談で、参加者全員いとなった。

Aコース 藤沢市~寒川町~茅ヶ崎市~平塚市


9時に藤沢市役所に集合し、出発集会を行いました。藤沢市役所からは須山共生社会推進課参事が市長メッセージを代読、賛助金は被爆者の小川さんが受け取りました。ピースリレーの島田さんは「藤沢市は非核宣言だけでなく条例も作っている。市民もいろいろな催しに関わっている。これからも運動を広げていきます」とあいさつ。元気に出発しました。


茅ヶ崎市でも市長メッセージが市長代理により紹介され、行進団は本日の終了地点・平塚市役所に到着しました。


Bコース 大井町~山北町~松田町~開成町~南足柄市


9時30分、西さがみ原水協の庄野さんの「1市4町を歩く」コース説明の後、山田正大井町実行委員長がオバマ大統領の言葉を引用しながら「核兵器廃絶へさらに大きく運動を展開していこう」とあいさつ。県民懇談会の永沢丈夫さんは、来年のNPTで核兵器廃絶の具体化の報道を引用し、「この行進が(その役割を)大きく支えるものです」と話しました。また、通し行進者の紹介とあいさつ、被爆者のあいさつもいただきました。行進終了間近に雨が降ってきましたが、元気よく最後まで歩きました。

松本英治日記No.11

平和行進11日目。曇天、行進日和。


9時藤沢市役所集合、昨夜交流した藤沢合唱団の皆さんも。市長(代理)被爆者の挨拶を受け、本日も2コースで私も挨拶「米軍基地があるため、忌まわしい被害が後を絶ちません、非核神戸方式を、神奈川にも!米軍に帰ってもらいましょう。オバマ発言を、被爆者の皆さんが生きておられる間に実現させましょう」と!


出発まで時間があり、初めてうたごえデビュー。私のリードで「青い空は」を全員で歌い、9時半出発、本日も原爆被災者の会のタスキをかけ先導されます。


繁華街行進後、国道1号線へ、昔の東海道です。松並木の中を歩きます。休憩はコープさんの接待が。飲み物、お菓子、飴、ありがたい!


茅ヶ崎市役所で昼食、近くの安くて美味しい中華料理を。茅ヶ崎市長代理と被爆者の挨拶を受け出発、歓迎の挨拶をされる、首長さんに行進実行委員会の通し行進者の名詞を渡しお礼を。行進で知り合えた方には、個人の名詞を、肩書きだらけの上に2009年国民平和大行進(東京~広島)通し行進者と書いた名刺を200枚新調しました。


東海道を西へ、宣伝カーの歌に合わせて、パーランクを打ちながら!茅ヶ崎と平塚の境の長い馬入橋でハンドマイク担いで先導されていた、神奈川県原水協の事務局をされている、森田弘子さんにうながされ、ハンドマイクデビューしました。「青い空は」を歌いながら歩き、喜んでいただきました。「そろそろ本領発揮しなくては!」元気に平塚市にはいりました。


平塚市役所で本日の行進終了、流れ解散しました。明日は4コースのため、私の出発地、本厚木まで送っていただきました。体調回復しつつあります。

紀美野町平和行進


5月12日(火)17時30分、町役場前で開かれた出発集会に32人。議会中にもかかわらず、10人の議員さんが参加してくれました。また、町長からの協力金、町長並びに議会議長からもメッセージがありました。その後、20人で平和行進を行いました。


有田川町平和行進


5月14日(木)17時30分。町役場前において開かれた出発集会に40人が参加。有田川原水協の川崎氏からは、オバマ米大統領演説にもふれながらの主催者挨拶。


また、副町長・山崎氏からの来賓挨拶では、戦争の悲惨さを受け継いでいくことの大切さと恒久の平和を、という激励の言葉も。続いて、松坂英樹県会議員から連帯の挨拶、議会からの協賛金の紹介、市民生協の林氏からの決意表明、最後に集会アピールを確認しました。


その後、さわやかな風とほのかなみかんの花の香りをあびながら、マツゲン吉備店まで平和行進を行いました。


原爆症認定 国が十七連敗!


中谷理事長・樋尻副理事長・白井事務局長の3人が15日(金)大阪高裁の法廷に入り、判決を聞きました。判決報告のつどいで、弁護士からは、森さんの認定がなかったが、この判決は力になる、と指摘。また、厚生労働省が「全員認定はない」と反撃してきているので、なお、もう一層の運動を、との支援の訴えがありました。

松本英治日記No.10

平和行進10日目、5月15日(金)快晴、風強し。


9時、葉山町役場で出発集会。町長さんの素晴らしい挨拶をうける。毎年中学生に非核平和標語コンクールを開き入選作を庁舎に掲示。「葉山から 非核のバトン 世界へ」素敵な取り組み。


町長さん先頭に、被爆者の皆さんが先導!逗子市へ、米軍池子基地ゲート前で抗議のシュプレヒコール。緑豊かな池子の森を破壊し、米軍住宅700戸建設、さらに、横浜市側にも、750戸建設予定、国民の税金(思いやり予算)で!逗子市役所で市長の挨拶を受ける、米軍住宅建設に反対、庁舎に垂れ幕も!


電車移動で鎌倉へ。市内行進、鶴岡八幡周辺は小中学生で一杯、手を振りアピール。市役所で、市長の挨拶を受け、コープさんの飲み物接待。長崎被爆者の証言を聞く。


繁華街を行進後、電車移動で大船へ、大船観音で終結集会。巨大な観音様の前で、原爆犠牲者慰霊碑、平和祈念塔、原爆の火の塔、折り鶴飾り台があります。


今日も松平さんのトランペットが響く観音様の前でグノーの「アベ・マリア」感動!被爆者の証言を聞き、最後にうたごえメンバーと、「原爆を許すまじ」1・4番を参加者全員で歌う、トランペットの伴奏で、4番私にマイクが。風があり歩きよい行進でした。


風邪が治りきらず、咳が出てしんどい!うたごえデビューお預け!行進後、藤沢合唱団と交流しました。憲法守る集会に池辺先生で盛り上がる。

葉山~逗子~鎌倉を100人が行進


今日は、葉山町役場から出発。葉山町の森英二町長が被爆者7人とともに行進の先頭を歩き、「オバマ大統領は、自分が生きているうちに核兵器を廃絶できないかといいましたが、私は、自分の生きているうちに、被爆者の生きているうちに、核兵器廃絶をしようと決意している」とあいさつし、大きな拍手が起こりました。


被爆者の会・葉山支部の井口さんは、葉山町長と葉山町議会議長から平和行進賛同金とペナントを受け取り、「今年90歳になります。生き続けて被爆体験を語りつづけたいと、意地を通しています。みなさんと一緒に元気に歩きます」とあいさつしました。そのほか、葉山実行委員会の阿部さん、ピースリレー実行委員会・葉山エリアコーディネーターの小林さん、全国通し行進者の松本さんがあいさつしました。


逗子に入る


平井逗子市長が、「核兵器廃絶に向けた機運は、増大しています。逗子市は、毎年、中学2年生20人を長崎・広島に派遣し、平和活動を推進しています。核兵器廃絶に向けて、力を合わせて頑張りましょう」とあいさつしました。


原爆被災者の会・逗子支部(つばさの会)の井関さんは、「美しい葉山や逗子をこの湘南の地域を、核兵器で汚させてはならない。私は64年前長崎で被爆し、死傷者の救護にあたりました。その時の悲惨な状態は言葉に尽くせません。核兵器廃絶のために頑張って歩きます」とあいさつしました。


逗子の被爆者の会の7人が行進の先頭にたって歩きました。逗子市役所には「池子の返還は市民の願い、米軍住宅増設反対!」と大きな垂れ幕がかかっており、参加者を激励していました。


鎌倉入り


鎌倉駅を出発し、鶴岡八幡宮だんかづらを100人で行進。


鎌倉市役所で、市長代理の生涯学習部金川部長が鎌倉市長のメッセージを代読。「2010年にむけて、運動を前進させるときです。非核宣言自治体に加盟している鎌倉市は、非核行政をいっそう推進します」と述べました。


鎌倉の被爆者、活田さんの被爆証言は、聞いている者を本当に引き入れるものでした。


平和行進は鎌倉市役所を出発し、市内を回り、大船観音で被爆証言を聞く会を開催しました。松平晃さんのトランペットに続いて、被爆者の会・中村事務局長が報告。「今日、大阪高裁で原爆症認定集団訴訟の判決がありました。私たちが勝利しました。17連勝です。今月28日に、東京高裁の判決が出ます。ここで、国が負けたら政治決着に踏み切ると政府は言っています。原爆裁判の全面勝利を意味します。それをめざして、平和行進を頑張りましょう」とあいさつしました。


つづいて、鎌倉の被爆者で県内を通し行進している塩瀬さんが自らの被爆証言を行いました。その後、大船観音に奉られている3つの原爆の碑について説明を受け、集会を終わりました。

矢部常次日記 第10日目

大きなキャリー付きバック(海外に行くような)を持って移動し、行進中は宣伝カーに乗せてもらうが、宿泊の手続きの時は「通し行進者」のタスキをして、あらかじめ予約してあるホテルにチックインする。ホテルの人や宿泊客からは、「何をなさっているのですか」と話しかけてくれる。8月6日に向け広島に90日間毎日歩いているんです、東京・夢の島から二人で、しかし毎日多くの人が歩くんです、また高齢になった被爆者の方も毎日多く参加します・・・と話すと、ビックリした顔で立ち話が進む。


私は、話すことは好きだし多くの人に会えることも楽しみだ。相手は「ごめんなさい、疲れておられるのに長くなって、頑張ってください」と話は終わり部屋に入る。


部屋に入って思うことは、話した相手は「平和のこと・原水爆禁止の私たちの取組み」をどう思い・賛同して貰えたかなと自分に問いかける。


朝の葉山町役場での出発集会では、町長さんが参加、通し行進者の松本さんと二人で、町長さんに挨拶し名刺を渡そうすると、「ごめんなさい、まだ集会まで時間があるから名刺を取ってきますから」と、わざわざ私たちのために町役場に入って行かれ、戻ってくるなり深々と頭を下げて名刺を渡して下さった。心の名刺を受取り、町民は素晴らしい町長さんを選んでいるなー・・・それだけではない、平和に対する心のこもった挨拶と激励と公用があるのに、時間ぎりぎりまで平和行進の先頭に立って歩いていただいた(葉山町の皆さん・森英二町長さん有難うございます。・・・元気を貰きました)。


鎌倉のパレードでは、八幡宮二の鳥居・三の鳥居そして北の踏切・鎌倉市役所と歩く、沿道は修学旅行の中学生・小学生、観光客が多く手を振って「頑張れ」の声も多く聞けた。また、外国人も関心を持ってくれ、見るなりカメラを向ける。


鎌倉市役所では、市からのメッセージを受け、パレードの雰囲気から一変して被爆者の生々しい被爆証言を聞き涙ぐんだ。


今日は2回の移動(私たちは車での移動だが)、最後は大船観音原爆慰霊碑(原爆の火・広島長崎の被爆した石を建立した碑がある)での懇談会集会である。現地の都合で一段上の大船観音の前での集まりとなった。都合をつけ駆けつけてくれたトランペッターの松平さんが(これで平和行進に6回目、静岡への引き継ぎの時も来ます、また念願の大船観音さん前での演奏といい2曲吹く。


その後、被爆者であり県内通し行進者の塩瀬さんの被爆証言を聞き、うたごえの仲間と全国通し行進者・松本さんのリードで参加者全員で「原爆を許すまじ」を歌った。

矢部常次日記 第9日目

今日の天気予報を見ると、神奈川県内は最高気温が24度と昨日よりも2度ばかり低い(まさしく平和行進日和、私たち参加者は、気持ち良い1日になる。とくに御高齢の被爆者の方にとっては歩きやすい)。


三浦半島の先端の海岸近くの民宿「でぐち荘」に宿泊、私は3年前に泊まったので2回目、おばさんが『御苦労さま、今年は川崎の箕輪さんは来られていないのですか毎年手紙をくれるんですよ』と話す。


行進者・実行委員の永沢さん・森田さんそして宣伝カーを運転してもらう高松さん総勢8名の泊まりで民宿の人とは、家族同様話がはずむ。出発のとき民宿のパンフをもらい挨拶し民宿をあとにした。


三浦市と言えば、アメリカの水爆実験でビキニ環礁の被害を受けた市である。焼津の第五福竜丸(現在は、東京夢の島に展示されている)は、知る人は多いが、100隻の漁船が被害を受け、被曝したマグロが大量に埋められ処分された土地なのだ。今は埋められた場所に分譲マンションが建っている。


地元の人は、被害の悲惨さから口にしなかったためマンション住民は知る余地もない。


行進して感じることだが、繁華街の都市は人が多いが小さな市・町では不況のせいか人通りが少なくシャッターが閉まり張り紙が貼ってある店、町工場から旋盤など機械を運び出す姿が目に入る(地元の人に聞けば、廃業した店・倒産・廃業した工場だと云い、同業者だと辛いものがあると話す)。


三浦から移動して横須賀市内の平和行進。昨年9月25日に強制配備された2つの原子炉をもつ原子力空母ジョージ・ワシントンが母港としている所だ。ましてや、今年1月から4ヵ月かけて約束違反の修理を米本国から専門技術者550人を連れてきて、日本の住友重機の労働者も含め7万人が従事する大修理。空母の横に台船を横付けし、その上に特別工場をつくり立ち入り禁止区域を設け軍需機密のもとに行った。

第1次冷却水の交換、原子炉をおおうフィルターの交換、原子炉部品の交換をおこなうとされており、交換するものは原子炉で直接放射能をあび、放射能汚染されたものばかり。そのうえこのメンテナンスは、2年に1度おこなわれるといいます。


首都圏住民3300万人がいる東京湾の入口・横須賀で、ほんとうに怖しい。私たち行進団は、基地前でアメリカ軍のこれまでの被害者に1分間の黙祷と怒りをこめ1分間の無言の抗議を行った。


あまり汗をかかず、風が強かったので日蔭では肌寒い1日で参加者の顔色もいい、ご苦労様でした。

【神奈川】被爆者を先頭に行進

9:15 三浦市役所で出発集会。杉山副市長が「みなさんのこのような地道な行動の積み重ねが、団体の枠を超えた行動の広がりを作っています。心から敬意を表します。ビキニで被災した町・三浦の象徴として平和のモニュメントを作りました。一歩一歩の行動が今大事になっています。がんばってください」と三浦市長挨拶を代読しました。


つづいて「コープかながわピースリレー事業実行委員会」の内藤さん、核兵器廃絶三浦市連絡会の川原さん(三浦市職労)があいさつ。川原さんは、「原子力空母の放射能事故の危険が高まっています。三浦市は今から55年前、ビキニの水爆実験で死の灰の恐怖を味わった街です。そのことを訴えて歩きます。そして私たちは、今年の原水爆禁止世界大会に向け、市民代表を公募し、かつてない運動を三浦市で盛り上げます」と決意を語りました。


全国通し行進者の矢部さん(JMIU )、松本さん(うたごえ協議会)につづき、県内通し行進者6人が紹介され、代表して米山さんがあいさつしました。


80人で三浦市役所を出発し、さわやかな天気のもと、三崎口駅まで元気に行進しました。


午後は北久里浜第4公園で出発式をおこないました。


出発集会では、行進の総指揮者で県原水協代表委員の今野宏さんが、「オバマ大統領の核兵器のない世界へという演説で、今運動に弾みがついています。しかし日本の政府は核の傘から抜けようとしていない。私たちの運動は今重要なときを迎えている。8月の大会へ向け、この行進を成功させ、大会成功へ、また、来年5月のNPTへ向け新たな運動の広がりを作りましょう」とあいさつしました。


つづいて「県原爆被災者の会横須賀支部(なぎさ会)」事務局長の楠本さんがあいさつ。「被爆者は今、平均年齢が75歳です。今日は6人が参加していますが、80歳台が2人、70歳台が3人、60歳台が1人の構成です。かなり被爆者は一緒に歩くことが困難な状況ですが、みなさんの元気をもらい歩き続けたいと思います」と話しました。


全国通し行進者の松本さんは、「今職場を失う労働者が増えています。その悔しい思いを平和行進に託してがんばります。来年のNPT再検討会議にも参加する決意です。私は22年間職場の門前で6・9行動を続けてきました。非核神戸方式が神戸港で適応されて、米軍の艦船は一隻も入っていない。私の住んでいる姫路には3回入って、揺さぶりをかけているが、断固神戸方式を守っていきたい。神戸方式をこの横須賀でも横浜でも広げたいと思い歩いています」とあいさつしました。


県内通し行進者を代表して地元の米山さんが、「原子力空母母港化の撤回を進めましょう」とあいさつしました。


120人で元気に出発し、途中安浦公園で休憩し、横須賀中央駅を通り、市役所前の公園に到着。横須賀市長のメッセージを市長代理の松本義弘国際交流課長が代読し、賛同金とペナントをなぎさ会の楠本事務局長に手渡しました。


また来月の横須賀市長選挙に立候補を予定している呉東正彦弁護士が駆けつけ、「本当にご苦労様です。立候補を表明して以来、小集会を50回ほど行い、横須賀市民へのサポートの必要性を実感しています。横須賀を変えたいと痛切に感じています。5千人を目標にしている『市民の市政をつくる会』にぜひ入ってください。また小集会を開いてください。6月11日には、文化会館で1000人規模の集会を開きます。ぜひ参加してください。私たちの力となる市政を作りましょう。苦しい生活を支える市政を作りましょう。何よりも原子力空母の母港化撤回を頑張ります」とあいさつし、盛大な拍手で行進団は応えました。


行進は米軍横須賀基地へ。基地ゲート前では、「原子炉修理は約束違反。すぐに中止を。私たちは空母の母港化を撤回させる」と英字で記した横断幕や「原子炉修理は約束違反」のプラスターを掲げ、全員で米軍犯罪に抗議し、凶暴な米軍犯罪で殺された人へ1分間の黙祷をささげました。


行進団はヴェルニー公園まで行進して解散しました。

松本英治日記No.9

平和行進9日目。快晴後小雨後晴れ。


9時半三浦市役所にて副市長の挨拶を受け出発。小さな漁港だが、ビキニ事件で被害をこうむり、核廃絶の関心が高く、行進団に声援が!京浜急行三崎口まで歩き、電車移動で北久里浜駅へ、駅前の食堂で昼食、本場のまぐろのづけ丼を食べる、流石に美味い!


1時半根岸公園出発、横須賀の繁華街を行進、昨年9月配備された、米原子力空母ジョージ・ワシントンの抗議のアナウンスが響く、市民の7割の反対を市長が裏切り配備が決定、約束違反の原子炉の修理までしていた事が判明。


市役所前の公園で休憩、6月の市長選の候補者、呉東弁護士の挨拶を受け、名詞を交換、「是非勝って非核の港に」と!米軍ゲート前で抗議行動、英文の横断幕を掲げ、米兵の事件の被害者への黙祷と、無言の抗議行動を展開しました。


横須賀には、11隻の米軍艦が配備され、母港化されています。本日も港に原潜1隻と軍艦3隻が停泊していました。終結集会の挨拶で、「非核の港神戸から来ました。米軍に帰ってもらい、横浜も横須賀も非核の港にしましょう。」と!本日の泊まりは逗子!

矢部常次日記 第8日目

朝、宿泊の上大岡駅前のウィリング横浜のホテルから外を見ると、傘をさして通勤する人が見える。今日は雨になるのかと思ったが、チェックアウトの時はすでに雨は降っておらず行進日和。


「おはようございます、平和大行進です」と沿道に呼びかけるが声がかすれて出ない。体調は良いのにと、水を飲む。


神奈川県内は広く、すべての市町村を行進するのでコースも多い。川崎では、今年初めて一部2カ所コース出発そして合流、5日目から8日目まではA,Bコースになり実行委員会も大変である。


12日目(17日:日曜日)はA~Dコースとなり、もっとと大変である。実行委員会は、まず72時間前までにデモ行進の届出を各管轄の警察に出す必要がある。52回も平和行進を重ねているから、最近ではもし届出が出していなければ連絡が実行委員会にくるまでになっていると聞きました。これだけではなく私たち通し行進者の宿泊先の手配など・・・。


行進当日は、会議を重ね地元の実行委員会の人と分担して毎日のニュースの発行・リレー旗の仕分け、そして積み込み積み下ろしなど、やることは沢山あり私たち通し行進者も手伝うが要領がつかめないと足でまといになる。私は、3年前に県内通し行進をやったので少しは役に立つと感じる。


せめて、行進にリレー旗を出している団体は、行進参加者に徹底して集合時間より早く来て準備を手伝うことや、たまには団体の責任者が参加して援助してほしいと感じる。


しかし参加してくる人たちは気持ち良い、それは「何かお願いすれば」気持ち良く手伝ってくれる、今日は行進中に沿道で配布する宣伝ビラを短時間に折ってもらった。


県内通し行進者が中心で配布し、話しかければ反応もいい、地元の方がいっしよに署名をもらって歩き、ふだん、話しかけない所にも顔を出して20名の署名を頂いた事を聞いて、さすがだと反応のよさを感じる。1日のまとめの集会では、平和歌集「青い空は」を皆で歌い核兵器廃絶の実現を誓った。

Aコース(港南・磯子・金沢)


9:15 上大岡イトーヨーカドー前で120人の出発集会。地元実行委員会の門倉さんが、「オバマ発言に勇気づけられた。発言実行のため、これからも運動を続けなければならない」、コープかながわの代表は、「私たちも署名・原爆展など核兵器廃絶めざし運動をおこなっている。これからも一緒に運動を強めたい」とそれぞれ挨拶しました。


行進団は総勢120人で杉田駅をめざして元気に出発。途中、コープ笹下店で休憩し、12時過ぎに京急杉田駅に到着。午前中の行進に参加した港南区・磯子区のみなさんは、ここで解散。一日行進のみなさんは、昼食を取り電車で京急六浦駅、そして六浦公園に移動しました。


14:00 六浦公園を70人で出発


途中、池子米軍住宅の追加建設計画予定地の池子の森を見ながら、地元実行委員会の黒田さんが、建設計画の現状について説明。行進団は、貴重な自然と緑を破壊し、「思いやり予算」で米軍住宅が建設されようとしていることに強い怒りを広げ、池子の森を後にしました。


その後、行進は、コープかながわ六浦店で休憩し、最終地泥亀公園に到着。公園で、まとめの集会をおこないました。


集会では全国通し行進者の矢部さん、県内通し行進者の米山さん、栖原さんがそれぞれあいさつ。コープかながわの板垣さんは、「オバマ大統領は、自分の生きている間に核兵器はなくならないだろうといいましたが、私は早く核兵器をなくして平和行進をしたい」とあいさつ。新婦人の網野さんは、「通し行進者のチラシ配布の後から署名を訴えてきたが、快く署名をしてくれた。NPTに代表を送りたい」とあいさつ。


池子のみどり・平和・自治金沢連絡会の竹中博美さんは「今、核兵器廃絶が第1に重要。平和と基地撤去のためがんばろう」とあいさつ。最後に「青い空は」を、みんなで歌って解散しました。


Bコース(泉・戸塚・栄)


9:45 地下鉄立場駅前で120人の出発集会。戸塚・泉・栄平和行進実行委員会代表のコープかながわの藤崎さんが、「オバマ大統領の核兵器廃絶表明は、私たちの運動の成果です。今年の平和行進は原水爆禁止世界大会、NPT再検討会議につながる特別意味のある行進。がんばりましょう」とあいさつ。地元共産党の岩崎さんが、「オバマ大統領の呼びかけに応える運動として、この平和行進もあり、その目標への一歩一歩の積み重ねです。深谷通信所の返還の目途は立っていない。運動を強めよう」と呼びかけました。


16歳のとき、長崎で被爆し、今年80歳になる被爆者の会の小川さんは、「昨年はみんなと歩き、若いみなさんのパワーをもらった。今年は歩けないが、行進団のみなさん、若いみなさんの元気なパワーをもらって頑張ってください」と激励しました。


全国通し行進者の松本さんは、「兵庫県から来たが、神奈川を歩いて米軍基地の多さに驚いている。基地なくせ!オバマの意見を実らせよう。NPT会議成功めざしがんばろう」と、県内通し行進者4人を代表して武田さんが、「6歳のとき、横浜大空襲にあった。戦争いやだ!核兵器だめだ!と訴えて歩きます」と各々決意を語りました。


行進団は、被爆者4人を先頭に、神奈川土建戸塚支部の25人など総勢250人で出発。米軍深谷通信所では、戸塚原水協の佐藤さんから、基地の現状についての説明がありました。その後行進は、コープかながわハーモス深谷で休憩を取りました。


13:00 コープハーモスを70人で出発


小雀公園で小休止。コープかながわから差し入れ。行進は16時頃、本郷台駅に到着し、まとめの集会をおこないました。昨年に続いての県内通し行進者の被爆者・塩瀬さんが、「核兵器廃絶の絶好のチャンス。なんとしても廃絶を勝ち取る決意で歩いている」、全国通し行進者の松本さんは、「神戸方式の兵庫から来た。神戸方式を全国に広げよう」とそれぞれあいさつ。県内通し行進者の和歌山生協の岡村さんも、「明日も元気に行進しよう」とあいさつし、解散しました。

五十嵐成臣日記 5月7日~13日

残雪の白く輝く利尻富士を見ながら礼文島を出発してから今日で1週間。礼文島に渡る時は風が強くかなりフェリーもゆれましたが、帰りは静かな時間の旅でした。


稚内では市民センターで出発集会後、南稚内駅まで行進、日本最北端の町だからか風が強く、のぼりを持つのも大変そう。


次の町名寄へはJRで移動、南稚内を出てすぐエゾシカ、十数頭が線路上を移動中。列車もスピードを下げて走るが、しばらくエゾシカが線路の外へ出るまで減速運転、車窓から外を見ていると湿地に水芭蕉が群生している、さすが北海道。


列車に3時間乗り、名寄へ到着、夕方6時より、出迎え集会の行われたのは、名寄開拓時代に建てられたキリスト教会、名寄市の文化財になっているとか。集会后、暮れなずむ名寄市内を行進。


3日目は、日程の関係もあって、自治体訪問が5ヶ所。北海道は広いので移動も車となった。自治体訪問を終えて、士別町に戻りここも暮れなずむ市内を行進。名寄と同じだが、人口が少なくなったとは言え20人近くが参加。香港から里帰り中の4才の女の子から「がんばって」と激励をもらいその日のうちに旭川へ。


翌日は朝10時より平和行進、出発地は自衛隊駐屯地の前の運動公園を行進。戦車が通っても大丈夫と言われている「あけぼの橋」を通り旭川市役所へ。参加者は医労連の若い人も多く、100人を超える参加となった。その後「買い物通り」で核兵器廃絶の署名活動に参加した。


10日深川市に入る。関東の水田に比べ3~5倍と広い。機械化した農業で収益もいいと思ったが、土地改良や機械購入のため借金その上減反で大変との事。


11日深川市役所、妹背牛町を訪問し滝川市に入る夕方の平和行進となったが初の甫での行進となった。


これまで通った各市町は農業の後継者も少なく、深川市などではハローワークの職員などは縮小、配転で組合員もいなくなって行進参加者も少なくなっているとの事。そういう中で年金者組合や新婦人の皆さんが頑張っていた。


13日奈井江町に入った所で高教組OBの原水協の方よりTELで、奈井江商高の2年生が修学旅行で11月に広島へ行くので、平和教育の一環で授業の中で平和行進について話してもらえないかとの話があり、30分でしたが平和行進に私が参加した事などについて先生の問に答える形で話しました(奈井江の先生方の平和への思いに頭が下がる思いで旧炭鉱の町美幌に入り、行進と交流会をして13日はおわりました)。

松本英治日記No.8

本日8日目の行進です。曇天、小雨後晴れ。


横浜市営地下鉄立場駅9時半集合、今日も2コースのため出発集会で挨拶、「米軍基地があるがゆえにの事件が絶えず、自主独立の日本にしましょう」と!10時出発。


米軍深谷通信基地を通過、広大な土地に巨大な鉄塔が、元日本軍の通信施設を接収。巨大な円形の基地です。今は使われておらず返還を要求しています。使用時は電波障害が起こったそうです。


うたごえの仲間がアナウンサーで歌も歌いました。ハンドマイクデビューはまだですが。


コープかながわハーモス深谷で昼食。午前中3キロの行進。


1時出発、閑静な住宅街や小雀公園で休憩、コープさんからお茶の接待を!4時過ぎJR本郷台駅到着。平日のせいか女性の参加が多い。午後7キロのゆっくりした行進でした。


2コース合流し、三浦半島先端の三崎へ、民宿でぐち荘で海の幸とまぐろの兜焼きをいただく。3・1ビキニの水爆実険で焼津より、被害が大きかったのが三崎です、被爆マグロを埋めた谷あいに今では、マンションが建っていました。

岩出市平和行進


5月10日(日)10時30分。真夏のような五月晴れの中、市役所前で。


那賀原水協を代表して土屋伊都子氏が挨拶。続いて、市長メッセージ(総務部長代読)。那賀高校の代表の挨拶。決意表明は、わかやま市民生協郡市通し行進者の楠井進氏から。80人の参加で平和行進を行いました。市長よりの協賛金。沿道でのカンパは、1万6880円が寄せられました。


紀の川市平和行進


5月10日(日)14時30分。市役所前において、「オールスターズ」の歌声から出発集会が始まり、主催者、年金者組合、紀の川市からの挨拶のあと、ハンドマイクでシュプレヒコールも入れながら、60人の参加で晴れ晴れとした平和行進となりました。沿道カンパも1万6617円にのぼりました。


海南市平和行進


5月11日(月)17時30分。市役所前で、主催者、市長メッセージ(総務課長代読)、雜賀光夫県会議員からの挨拶のあと、宣伝カーを先頭に平和行進が始まりました。ハンドマイクで「へいわこうしんで~す」と、商店街を道行く人びとに呼びかけながら行進しました。行進が進むにつれ、参加人数も67人にもなりました。

【神奈川】松沢成文県知事メッセージ

被爆64年、核兵器廃絶2009年平和行進にご参加の皆さん、大変お疲れ様です。


核兵器を廃絶し、戦争のない平和な社会を築くことは、人類普遍の願いであり、その実現に向け、世界各地でさまざまな取り組みが行われています。


神奈川県では、1984年に「神奈川非核兵器宣言」が県議会で議決されたのをはじめ、唯一の核被爆国であるわが国の、国民共通の悲願である「核兵器の廃絶、恒久平和の実現」に向けて、地域から取り組みを進めてまいりました。


しかし、残念ながら、現在なお、この地球上には大量の核兵器が存在します。こうした中、オバマ米国大統領はプラハにおいて、「核兵器のない世界」に関する演説をおこないました。私たちは、こうした動きが国際的な核軍縮の機運を盛り上げていくことを期待しています。


本県としても、引き続き、平和を願う県民の皆様や各自治体と連携し、一日も早く、「核兵器もない、戦争もない、平和な世界」が実現するよう、努力を続けてまいります。


2009年5月12日 神奈川県知事 松沢成文

【北海道】釧根コース 釧路市に入る

核兵器廃絶を目指す「2009年国民平和大行進」の釧根幹線コースは、根室市のノサップ岬を出発し、浜中、厚岸、釧路、弟子屈、標茶の各町をまわり、12日、釧路市に入りました。


蝦名大也釧路市長からペナントと平和のメッセージを受け取った行進者は、釧路市の鶴ケ岱公園から城山十字街、幣舞橋、北大通りを80人で行進し、栄町平和公園で集会を開きました。


雨が降り肌寒い天候のなか、参加者は、元気よく核兵器廃絶の訴えをしました。傘をさした市民が手を振って激励していました。


通し行進者の浜田種樹さんは「オバマ米大統領の発言が情勢を大きく変えている雰囲気を、行く先々で感じています」と強調。参加団体からは「来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議まで核兵器廃絶の署名目標をやりきろう」と意気高い発言が相次ぎました。


標茶、弟子屈を訪問 町長らと平和語り合う


2009年国民平和大行進が12日、標茶町を訪れました。訪問したのは、通し行進者の浜田種樹さんと釧路市原水協山本隆幸事務局長。及川直彦副町長、平川昌昭町議会副議長、島田哲夫教育委員会管理課長が応対しました。


通し行進者の浜田さんは、「核兵器のない世界」を国家目標に掲げたオバマ米大統領の演説に触れ、「2010年の核不拡散条約再検討会議に向け、核兵器廃絶の約束を実行させるため世論を盛り上げます」と話し、ペナントへの署名や国際署名を訴えました。


及川副町長は「長い行進なので頑張っていただきたい」と激励。「『核抑止力』の理屈は、我々にはよくわからない。負けたくないからとどんどんエスカレートしています。核を作っている人は結局、自分の生きる場所を狭めています」と話しました。


弟子屈町では、徳永哲雄町長、八幡豊行議長、小林俊夫教育長と懇談。核兵器は人類の生存と相いれないという話から環境破壊の話で盛り上がりました。

Aコース(横浜市保土ヶ谷区、西区、中区、南区、港南区)出発集会


「平和行進保土ヶ谷区懇談会」を代表して小島さんが「オバマ大統領が核兵器のない世界を求めるといった。これは私たちの運動が言わせた大きな成果。保土ヶ谷区では今回初めて国民平和行進と話し合って、今日の行進を準備しました。来年に向けさらに共同を広げたい」と挨拶しました。


原爆被災者の会の小川さんは「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から63年が経ちました。私は16歳のとき長崎で被爆しました。もう皆さんと一緒にこうして歩けない被爆者が増えている。今日は若いパワーをいただきがんばります」と決意を語りました。


全国通し行進者の矢部常次さんは「私は現役労働者です。90日間の休みを取り、広島まで歩きます。昨日は沿道の高校生に、『何やってるの?』と聞かれ説明したけど腑に落ちぬ顔。それでもがんばって!と声援してくれた。多くの人に訴え今日も頑張ります」。


県内通し行進者の伊藤久子さんは「今日は県内行進の折り返し点。あと8日間がんばります」と語り、全国通し行進の栖原秀夫さん、岡野愛一郎さん(和歌山市民生協)も紹介されました。


行進は120人で天王町駅前公園を出発し、桜木町を通り昼に横浜市役所に到着しました。そこでBコースと合流し、横浜市国際課政策室の山本課長から「横浜市はピースメッセンジャー都市でこれまでもいくつかの平和施策を行ってきました。平和行進のみなさん本当にご苦労さまです。ともに世界の平和をめざし、戦争なくすためにがんばりましょう」と挨拶を受けました。


それから県庁まで歩き、神奈川県知事からの挨拶を受けました。知事メッセージ全文は、賛同・激励メッセージコーナーに掲載。


Bコース(神奈川区、西区、中区)


神奈川区役所前の反町公園で出発集会。岡田優子神奈川区長から「反核平和運動に敬意を表します。神奈川区でも安心して暮らせる街づくりをすすめる上で国際貢献は重要と考えています」とのメッセージを受けました。


神奈川県原爆被災者の会の佐藤副会長は「私は15歳のとき広島で被爆しました。オバマ大統領は核のない世界を宣言したが、ぜひ一度広島に来て被爆の実相を見てほしい。世界が変わりつつある中で、日本はもっと核兵器廃絶のイニシアチブをとってほしい」と挨拶しました。


120人で出発し、ノースドックでは、柴田前市会議員から「横浜市の基地返還にアメリカは700戸の住宅を代わりによこせと。しかもノースドックや鶴見貯油施設の返還は言わない」と説明を受けました。


途中の休憩では牛乳の差し入れもあり、元気に横浜市役所に到着しました。生活と健康を守る会からの参加者は視覚障害者で、ボランティアのサポートを受け行進しました。

矢部常次日記 第7日目

今日は、神奈川県庁・市役所と神奈川の中心を歩く、そして大きなアーケード二つを行進。


どんな顔で市民は、私たちの平和行進を迎えてくれるのだろーと期待も大きい。


昨日は、神奈川県内を通し行進する、わかやま市民生活協同組合の岡村愛一郎さんと何故、平和行進に参加したのか・現役で働きながら90日間の休暇を取ることが出来たのか・お互いの仕事などを話した。


岡村さんいわく、平和行進で沿道の人は「良く話しかけてくれ、手を振ってくれ気持ちいいですね」と話してくれ、私も「そうだなー」と思い、行進に参加した気持を共有できた。


横浜市長・県知事のメッセージは、代読にせよ横浜市都市経営局国際政策室・国際政策課担当課長山本治氏そして神奈川県県民部国際課課長川口真友美氏と対応もすごい。


これもひとえに、52回目平和行進をやってきた成果であり、これまで運動を進めてこられた方々に感謝と敬意を述べたい。


アメリカのオバマ大統領のプラハでの発言の効果かもと私は思うが「大いに歓迎はするが、発言だけにせずに、実行する手立てを早急にとって欲しい」と感じる行進。


実行させる一つとして、多くの人に呼びかけ平和行進を成功させる事だと 声も大きくなる。


繁華街の声援も多く、お辞儀して行進を見守る方や高校生・子供たちが手を振ってくれる。なかには行進に文句を言う人もいるけど。


もう一つは、沿道の人から行進中に3000円のカンパを直接いただき感激。

松本英治日記No.7

行進7日目。曇天の行進日和!


神奈川区役所9時半出発。区長の挨拶を受け、米軍ノースドックへ、日本軍が造り一回も使わず接収された施設、手前の村雨橋はベトナム戦争で戦車の輸送を阻止した場所、「戦争は通さない、戦車は送れない」当時参加した、神奈川合唱団の菅野さんに説明を聞く。


横浜のメイン「みなとみらい」を行進中、三菱造船所の話も!近代化とエキゾチックのいりまじった港町、非核神戸を思い出す。市役所で挨拶を受け県庁で昼食。


県知事(民主党)代理の挨拶は、オバマ発言を引用した画期的な内容でした。本日も被爆者の皆さんが先導されました、盲人の方々も行進されました。今日も松平さんのトランペツトが激励に!神奈川のうたごえの皆さんも。2コースが昼から合流し250名の隊列に!私が歩く事でうたごえの仲間がいつも横断幕を持ち、パーランクー(エイサー用の太鼓)を叩きながらの行進です。まだ、風邪が完治せず、うたごえデビューはもうしばらくお預けです。もうしばらくの猶予を!

医療生協ニュース-第2報

Aコース(海老名市役所~上瀬谷米軍基地)


海老名市役所での出発集会では、高橋企画部長から市長のメッセージが読み上げられ、市長と市議会議長から賛同金とペナントが寄せられました。


原爆被災者の会海老名支部事務局長太田さんからお礼をかねて挨拶を行いました。「県下には5280人の被爆者がいます。そのうち海老名・綾瀬・大和で2700人います。昨年100人近くが亡くなりました。もう時間がありません。生きているうちに核兵器廃絶を」と訴えました。


続いて、海老名市実行委員会の志村さんから挨拶。全国通し行進者矢部さん、県内通し行進者の岡村さん、栖原さん、米山さんの紹介。2人から決意表明がありました。


行進は80人で出発、13日のうち、もっとも長い行進です。


各市からぞくぞくと歓迎のメッセージ


綾瀬市役所へ。毎年、市議が多数激励に見えます。副市長の高島さんが市長メッセージを代読。「今年も綾瀬市を訪れていただきありがとうございます。皆さんと一緒に核のない世界を実現しましょう」。続いて、吉川議長が「52回目の行進、心からお祝いします。私たちは唯一の被爆国民です。また、戦争をなくすと誓った国民です。世界のトップに訴えましょう」と挨拶しました。


駆けつけた10人を超える市議を紹介いただき、海老名の被爆者の豊さんが、綾瀬市長と市議会議長の賛同金とペナントを受け取りました。


厚木基地前でシュプレヒコールを行い、大和駅前に。行進は綾瀬市内104人、大和市内を70人が歩きました。


大和駅前で、大和市文化・スポーツ部長の酒井さんが市長メッセージを代読しました。


13日間で一番長い距離の行進 のべ400人が参加


旭区100人、瀬谷区70人の行進。細谷戸公園でまとめ集会。瀬谷・綾瀬実行委員会を代表して河治市議と堀野さんがそれぞれあいさつ。総責任者の鴨居さんが労をねぎらいました。


大和の被爆者の加藤さんが被爆体験を語り、行進を終えました。


Bコース(港北区役所~米軍鶴見貯油施設)


港北区役所での出発集会。区政推進課長の中田さんが「今年もみなさんの行進をお迎えできました。オバマ大統領の発言も、みなさんの地道な運動があったからでしょう。これからも頑張ってください」と行進を激励しました。


被爆者で県内通し行進者の塩瀬さんの決意表明につづき、地元実行委員会を代表して白井市議から「世界が核兵器廃絶に向かう中、横須賀への原子力空母配備は許せない。撤回の運動を強めましょう」と挨拶がありました。


全国通し行進者の松本さんは「昨日は緑区の米軍機墜落現場を歩きました。米軍基地があるから、あの悲惨な事件は起きたと改めて実感。米軍基地は撤去しかない」と決意を述べました。


出発集会を終え、120人が元気に出発しました。


コープかながわ末吉店で昼食休憩集会


昼食休憩をかね、ミニ集会を開催。港北在住の成田さんの紙芝居を見ながらお話を聞きました。「私は満蒙開拓青少年義勇軍として、14歳で満州へ。すぐ敗戦を迎えたが、ソ連軍によりシベリアで3年間抑留された。多くの仲間が餓死する中、なんとか帰ってこれた。無事に仕事も定年できたが、友人たちを思い、自身の体験を紙芝居にし、その時の話をしています。二度と戦争をしてはいけない」。


続いて、80歳を過ぎ、まだまだ元気な林さんが、東京大空襲の体験談を話しました。


午後の行進は80人。若いお母さんたち4人が乳母車を押しながらの行進参加も。鶴見区役所を通り、地域振興課長の池田さんから挨拶をいただきました。


その後、商店街などを行進し、米軍鶴見貯油施設へ。中島議員から施設の説明があり、「横田や厚木にジェット燃料が運ばれていく。以前には火災事故も起こった。早期返還を」と訴えました。


ゲート正面で元気にシュプレヒコールした後、行進を解散しました。

【香川】四国コースがスタート!

5月11日(月)8時45分から快晴・真夏日の高松市役所前で原水爆禁止国民平和大行進四国-広島コースの出発式が行われました。


最初に実行委員会を代表して香川県原爆被害者の会高松支部長の山田悌二氏が、「毎年行われている平和行進で汗を流して歩く一歩一歩が『核兵器のない世界』の実現に必ずつながります」と述べました。また、原爆症認定患者が新しい基準の下で3000人になったと言っても、わずか被爆者の2%にも及ばず、被爆者の実情とはかけ離れた状況で、一日も早い救済措置の必要性を訴え、参加者の協力を要請しました。


その後、高松市長代理から激励の挨拶を受け、通し行進者2人が初めて歩く四国の地で、核兵器廃絶を沿道の皆さんに元気よく訴えて最後まで行進すると挨拶、大きな拍手に包まれました。


四国コーススタートのこの日は、さぬき市のJR志度駅に到着後、参加者で「核兵器のない世界を」の署名行動を行いました。短時間でしたが36筆の署名が寄せられました。実行委員会では短時間でも必ず署名行動をしようと張り切っています。この日の行進者は延べ56人、出発式は61人でした。

浅田健司日誌(5月11日)

高松市役所前で開催した出発集会には60人余が参加。市代表や原爆被害者の会、全商連代表などの挨拶を受け、真夏を思わせる快晴の中、元気に出発した。

出発集会には、山陽新聞の記者や瀬戸内放送、山陽放送などの姿も見えた。

また、一昨年、北海道-東京コースに参加した時、関東方面を一緒に歩いた千葉の県内行進者の野口さんも、今年は香川・愛媛を通し行進される。

【北海道】滝川市で歓迎集会

原水爆禁止国民平和大行進の幹線コース(北海道-東京)が11日、滝川市入りし、市役所前の平和公園で通し行進者の五十嵐成臣さんの歓迎集会が開かれました。


櫛田菊治郎滝川実行委員長は、オバマ米大統領発言にふれ、「来年のNPT会議まで一人50人分を目標に署名運動を進めよう」と呼びかけました。


五十嵐さんは「核兵器廃絶へ行動するというオバマ発言は現実味を持ってきています。草の根の世論をもっと広げましょう」と元気いっぱい語りました。


参加者は、集会に先立って市内を行進し、「ノーモアヒロシマ・ナガサキ、核兵器をなくそう」と市民にアピールしました。

矢部常次日記 第6日目

平和行進も6日目となった。3年前の(東京~神奈川県内を行進した時)時と違い足も痛くならず、気持ちも晴れやか。


海老名市役所での出発集会で「90日間歩き続け、平和を訴えること・そして現役の労働者であり、行進期間・広島原水爆禁止世界大会・長崎の本大会に出て8月15日まで休暇をとり8月16日から会社に出勤します」と決意をこめ挨拶。(そんなに長期で休暇を取れるのか?・・・会社の許可は・職場での応援してくれているのか・・・)との声「会社も職場の仲間も気持ち良く送り出してくれたから、歩けるのです。組合の仲間をはじめ、会社・職場や多くの人に感謝しています」と追加して述べました。


綾瀬市役所では、市長さんは出張の為出られなかったが副市長さんが歓迎と激励のメッセージを、そして市議会議長・10名の市会議員さんの歓迎を受け「市の非核・平和の取組のすごさに」感動を受けた。


また、被爆者の会で活動されている、被爆者の方の「悲惨な被爆体験」を気持を抑えて話され聞きながら私は、涙が出てしまった。


厚木基地では、行進が通ることを知ってか、アメリカ軍のポリスが何台かの車に分乗して、最初から通過する最後まで警備をし我々の行進を見ていた。もう一つは、戦闘機の発着前準備でのエンジンテストでこれまでに聞いたことのないすごい騒音にびっくりした(これでは、基地周辺の皆さんの苦しさを感じた。私は仕事で自衛隊基地にも行く事があり、また基地返還の行動に参加した事もあったが、こんなにひどいとはと思った)。


上瀬谷基地(通信基地)は、現在アメリカ軍は一人もおらず遊休地になっており住民の返還要求に対して、日本政府は、「アメリカから使用していない・返還すると言っていない」からと数年、何も手だてを取っていないとの事の報告。政府に怒り。


実行委員会発表では、神奈川県内13日間で一番長い距離の行進、のべ400名が参加、A,Bコースあるから、Bコースを含めれば200名ふえるのでは。

相模原コース 在日米陸軍相模総合補給廠前で「基地返せ!」と200名が抗議


8:45集合時刻となったJR相模原駅前のペデストリアンデッキは、200名の参加者でにぎわっていました。横断幕、のぼり、思い思いのプラカードを手に持ったりして、にぎやかに出発集会が開かれました。


最初に挨拶に立った原爆被災者の会の原田さん(76歳)は、原爆症認定集団訴訟の原告団の一人。「何としても勝利を」と支援を訴えました。行進には、92歳の本田元事務局長はじめ8人の被爆者が参加していることが紹介されました。


コープかながわ代表の清水さんは、相模補給廠の戦闘指揮訓練センターの建設に反対しましょうと訴え、相模原原水協の中里さんが、「世界の流れは、核兵器廃絶に大きく変わっている」と挨拶しました。


最後に全国通し行進者の矢部さんが元気に挨拶し、200名の参加者は核兵器の廃絶を訴えて行進しました。


座間コース 「第1軍団は帰れ!戦争司令部反対!」と怒りのシュプレヒコール


小田急座間駅に集合し、出発した150名の平和行進参加者は、「核兵器なくせ!基地なくせ!」と訴え元気に行進しました。在日米陸軍司令部、米陸軍第1軍団前方司令部のキャンプ座間の基地正門前では、宣伝カーを止め、150名の参加者が、「第1軍団は帰れ!戦争司令部反対!基地を返せ!」と怒りをこめてシュプレヒコール。市民の迫力ある抗議行動が行われました。


終着点の座間市役所では、座間被爆者の会の本荘会長が、「ノーモア広島、私たち以外のものに被爆体験をさせたくない。核兵器廃絶を本当に実現しよう」と訴えました。


コープかながわの清水さん、国民平和大行進実行委員会の中澤邦雄さんがそれぞれ訴えをし、応対した座間市の清田市民部長は、「昭和32年に設立された座間市原水爆禁止協議会と協調しながら、市民ぐるみで被爆者援護施策の充実に努めている」と、市長のメッセージを代読して、ペナントと激励金を行進団に寄せてくれました。


都築・青葉・緑コース


地下鉄都築ふれあいの丘駅に集合し、小黒公園で出発式をした行進団は、神奈川県の通し行進者、塩瀬さんの「今日が私の誕生日、核兵器廃絶めざし、元気に歩きたい」との決意にニッコリ。


コープかながわの藤田さんは、「オバマ演説に感激しました。核兵器の廃絶を実現するため頑張りましょう」と訴えました。浜建労の関さんも、核兵器廃絶に向けての力強い挨拶をしました。


新婦人の代表から緑区のジェット機墜落事故の説明を受け、青葉区役所では、応対した伊原総務課長から激励の挨拶を受けました。参加者はのべ180名でした。

松本英治日記No.6

行進6日目。本日は、曇天で行進日和!


港北区役所で9時から出発集会、本日も2コースのため、挨拶ありました。「米軍が居るために、忌まわしい事故がおこります、自主独立の日本に!」パーランクを打ちながら行進、平和の歌のテープに合わせて!


コープかながわ末吉店で昼食、安く美味しいお弁当。14歳で満蒙義勇軍におられ、抑留された成田さんの紙芝居を見ました、平和の大切さ切々と!豊岡の出身でした。東京大空襲の体験談も。
神奈川では、原水協、コープかながわ、被爆者の会の3団体で平和行進懇談会を作り準備されています。


鶴見区内を行進し、コープの若いおかあさんや、医療生協の若者たちも歩きました。終着は、米軍鶴見貯油所、ジェット燃料は、通常軽油をつかうそうですが、有事に燃料を確保するため、ガソリンを半分混ぜてるそうです。厚木や、三沢までここから送られているそうです。シュプレヒコールを「米軍は日本からでていけ!」3時半終了。川崎の中学の同窓生の喫茶店で食事、なつかしか~!

5月9日(土)曇り。平和行進の休息日。洗濯をし、書き物をしていると妻から電話。「2日間だけ休み」ということで、滝川の「菜の花」、深川の「カタクリとエゾエンゴサク」、義母の住む沼田町ではゼンマイをごちそうになりました。


5月10日(日)曇りのち晴れ。夕方の留萌市での宣伝まで、妻と「カンラン石玄武岩柱状節理」の奇岩が並ぶ黄金岬へ。日本海を前に釣りをする人、小エビを追いかける家族。増毛町の日本最北の酒造元「国稀(くにまれ)」を見学しました。


日本海のそばにある「鰊船」を見て、海岸を散歩。2人で「広くて気持ちいい」。トンネルをくぐり、岩尾温泉・夕日荘へ。脱衣所にいたのは3人の男の子がいる家族でした。


鰊(にしん)のウロコを思わせるしぶきが顔まで飛ぶ「銀鱗の滝」に寄り、留萌市に戻りました。妻はそのまま札幌へ。


夕方は中心街で「核兵器のない世界を」「被爆者の病状を原爆症と認めてください」の署名を訴えます。


国民平和大行進の横断幕を手に訴えると、「戦争って聞くだけでイヤ」と年配の女性2人。「広島、長崎のこと知ってるよ」と中学生。出会う人のほとんどが署名し、「さすが非核平和都市宣言の市だ」と思いました。

矢部常次日記 第5日目

今日の行進は、アメリカ基地「相模総合補給所西門・キャンプ座間正門」の2か所を行進する。


朝から天気が良く、ニュースでは熱中症の心配を警告!!昨日まで川崎市内・7行政区を行進、約600名以上の方が歩き、例年の参加者より増えてきていると実行委員会の永沢さんの話。私も3年前、東京~神奈川県内を通しで歩いた時より、時代が変化しており、「何かを変えなければ」と感じる人が多くなったのではと肌身で思う(雨で参加者は大変だったのに)。


アメリカ基地前では怒りが込みあげ「シュプレヒコール」に力が入る。行進中は大きな声で「こんにちは、国民平和大行進です、一歩二歩でも皆さんいっしよに歩きましょう」と呼びかける。参加者の方から、まだ先が長いのであまり張り切らないでと話しかけてくれ少しホッとする。


休憩中には、飲み水よりもまず煙草を吸う(みんなと少し離れた個所で)。そうすると、昨年東京~広島を通し行進して、今年は神奈川県内を通し行進している米山さんが、「今回の平和行進中に煙草をやめると約束をしよう」と話しかける。健康を考えれば、良いことと判っていてもそれはないだろうと思い、煙草を吸わない人には、解らないと反発。


相模原で200名・座間にきて150名、JMIUから午前・午後通して5名の参加、多くの人に会えて楽しく、沿道では、手を振って応援してくれる。


3年前東京~神奈川県内を歩いた時との変化は、私が「国民平和大行進の東京~広島」のリレー旗を先頭で持って歩くため、沿道の人一人ひとりと話すことが出来ずカンパも貰えず判らなかったが、平和行進への沿道からのカンパはあまり無いと思う。

宮前区役所で松平さんのトランペットで出発式


宮前区実行委員長の田中さんは、「宮前区第1回平和行進です。52回目でようやく実現しました。昨年9月に原水協を再建し、『来年は平和行進をしよう』と相談して実現しました。今、核兵器廃絶の大きなうねりがあります。これを実現させるのは私たちの1歩からです」と挨拶しました。


松下孝則区長は、「宮前区を初めて歩かれる平和行進に期待しています。地球上から核兵器をなくすために、こういう行動が一番大事だと思います。そして継続していくことが何よりも大事です。皆さんの行動が成功することを期待します」と激励。


神奈川県原水協の永沢事務局長は、「昨日川崎区、幸区、中原区と歩いてきました。7区全部を歩きます。宮前区でこんなにたくさんの人で準備してくれてありがとう」と感謝の言葉を述べました。


初めて参加した被爆2世の方は、「両親が広島で被爆。両親から聞いた話が怖くて広島に行くことも、話すこともできなかった。今日は思い切って参加して、やっぱり話さなければと思いました」と感想を述べました。


100名で出発。先頭は2メートル50四方の紙で折った折り鶴。沿道の関心も高く、励まされて歩きました。


高津区役所で副区長が挨拶


坂本副区長が「オバマ大統領が核兵器を使った唯一の国として核兵器をなくすために努力する義務があると宣言したことは良いことです。川崎市も平和都市宣言をしています。核兵器のない世界を子どもたちに残しましょう」と挨拶しました。


川崎実行委員会の宗田さんは、「95年にスミソニアン博物館に行きました。原爆パネルは展示を拒否され、原爆を落としたエノラゲイが展示されていました。オバマ大統領の発言は、反核平和運動の成果です。これからもご一緒に核兵器のない世界を目指しましょう」と呼びかけました。


被爆者の山口さんは、「高齢になって思うように動けないけれど、若い人に受け継いで広めてほしい」と訴えました。


通し行進者の松本さんは、「6日から出発して3日間雨だったが、オバマ発言への被爆者のみなさんの喜びの雨のように思われる」と述べました。


高根森林公園で合流


200名で多摩区役所へ。出発にあたり、実行委員の岡本一さんが、「川崎市では540名が歩いてきました。横須賀市長選挙、総選挙、川崎市長選挙があります。選挙で勝って大きな平和の力を基礎に頑張りましょう」と挨拶しました。


多摩区役所で区長代理から激励


三橋君枝区長代理より、「あなた方のような、地道な行動の積み重ねが一番大切だと思います。さらに輪を大きく広げてください」と挨拶がありました。東京の全印総連創行舎分会から11人が参加しました。


途中で生協の人が冷たいジュースの差し入れ、美味しかった!


麻生区役所で区長が待っていてくれる


磯野区長が待っていて、「皆さんの平和への願い、平和への行動に敬意を表します。核兵器を廃絶させることは私たちの責務だと思います」と挨拶しました。麻生の利根川実行委員長が閉会挨拶し、2日間で川崎7区の平和行進を終えました。

松本英治日記No.5

行進5日目。新しく出来た駅、地下鉄都筑ふれあいの丘駅9時出発、今日も松平さんのトランペットの演奏で!初めてのコースだそうです。行く先々歩いて先回りでトランペツト演奏、感動しました。流石です。トムソンもお世話になりました、金属反合で太鼓と競演しました。


今後もよろしくです。後輩の闘い、未来を勝ち取るため!


青葉区で77年の米軍ジェット機墜落事故現場へ、林和江さんと2人の坊ちゃんが亡くなりました、「パパママ、バイバイ!」公園で集会、事件のことを風化させない取り組み、横須賀には、核空母(ジョージ・ワシントンが配備され、原子炉の修理を約束違反!松平さんの伴奏で石倉さんと、南部合唱団の方と私の3人で、「原爆許すまじ」1、3番を参加者全員で歌う。独自の歌集が用意されていた。


広大な住宅街を行進、パーランクでリズムを取りながら、宣伝カーのリードで、シュプレヒコールや、「青い空は」の歌のリードもしていただいた。


まだ、風邪が完治せずハンドマイクデビューはおあずけ!行進途中、1万円のカンパも寄せられました。私にまで、カンパいただきました。


3時半緑区役所到着。コープさんの接待がありがたい!これから、神奈川音楽センターで歓迎会です。

5月9日、和歌山市の庁舎前において、原水爆禁止国民平和大行進の和歌山・広島コースの出発集会が開かれました。10時から30分、集会参加者は、歌声オールスターズが歌う平和の歌を聴いたり、一緒に歌いながら毎年恒例の平和行進が醸し出す雰囲気を感じていました。


出発集会は和歌山市原水協・神崎代表のあいさつで始まり、来賓として和歌山市民生活部長・富松氏の市長メッセージの代読、県原水協の中谷理事長の主催者代表あいさつがありました。


決意表明として、ピースネット(青年)代表の川野さん、和歌山市民生協の北田さんが平和のとりくみについて訴えを行った後、集会アピールを採択して終了しました。


平和行進は、横断幕を先頭に昨年の雨天とは打って変わり、30度近い炎暑の中をJR駅頭まで約3キロの道のりを「核兵器をなくせ」「憲法9条を守れ」「非核日本を実現しよう」とうったえながら行進しました。


行進参加者は280人(昨年247人)と昨年より増えました。マスコミの取材(『朝日新聞』、『読売新聞』、『わかやま新報』各社)、テレビ局のカメラなど(関西テレビ、テレビ和歌山)、オバマ米大統領のプラハ演説・来年ニューヨークの国連本部で開かれる核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けての期待・関心を感じる出発集会・平和行進となりました。


参加者の感想


「たくさんの参加者で意識の高まりは感じられたが、沿道の市民、ドライバーの関心があまり感じられず、参加者だけの高まりにとどまっている感じを受けました。今後、核兵器廃絶の署名の取り組みの必要性を痛感しました」

松本英治日記No.4

3日間雨でしたが、久しぶりに晴れました。


行進4日目は、2コースで、私は、高津区役所を9時半出発。出発集会で挨拶、「この雨は、オバマ発言を喜ぶ、被爆者の皆さんの涙雨でしょう。行進と、世界大会と、来年の、NPT再検討会議を大成功させ、核兵器の廃絶を実現させましょう。暑い1日になりそうですが、元気に行進しましょう」。


川崎市は全国に先がけて、1982年に非核3原則遵守の非核自治体宣言が決議、実施されており、各区長さんがご挨拶されます。


本日もうたごえリレー旗は、国鉄横浜うたう会が繋ぐ。10時半には2コースが合流し、松平さんのトランペットが3日連続で響く「原爆を許すまじ」と「世界で一番の花」。


私は風邪が完治せず歌デビューはまだ、本日太鼓(沖縄のパーランク)を打ちながら横断幕を持ち先導しました。今日も被爆者の皆さんが歩かれました。


4時半麻生区役所到着。なんと、川崎でのうたごえ交流会の時、和太鼓と民舞の祭りをやった会場でした。


本日から、新横浜の東横インに3連泊。洗濯は毎日。連泊はありがたい。体も元気です。

【北海道】旭川市に入る

国民平和大行進は9日、旭川市に入りました。通し行進者を先頭に、18団体100人が自衛隊第2師団前から市役所前までの約3キロを力強く行進しました。「核兵器を廃絶しよう」「憲法を守ろう」の唱和に、商店街から手を振って応える市民の姿も見られました。


集結集会では、阿部理道北原水協代表理事が「オバマ大統領のプラハ演説に見られるように、核兵器廃絶の動きが新たな段階にきています。来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、さらに運動の輪を広げましょう」と訴えました。


通し行進者の五十嵐成臣さんは「核兵器をなくす展望が開けつつある時期です。東京までしっかり訴えていきます」と語りました。


集会後、市内中心部で署名行動。参加した高橋正樹さんは「市民の反応がよく、継続してきた運動の成果が情勢に反映していることを実感しています」と話していました。

【神奈川】雨の中、川崎市役所出発

川崎市役所出発式


司会は川崎実行委員会の大沢さん。市長のメッセージを市民子ども局男女共同参画室主幹青山正彦さんが読み上げました。


原爆被災者の会山口よしこさんが、「私は広島の被爆者です。原爆が落ちた時、一瞬にして気を失い、気がついた時は瓦礫の下に埋まっていました。家族みんな亡くなりました。そのことが私の反戦、反核の運動の原点です。」と挨拶しました。


川崎の平和行進実行委員長の笠木さんは、「オバマ大統領が『核兵器のない世界をめざす』といったことは画期的です。今,国連のNPT再検討会議準備委員会で、来年のNPTでは何としても廃絶までいこうと話された。この平和行進はその行動を支える大事な行動です」と挨拶。


全国通し行進者2名が紹介され、矢部常次さんが挨拶、県内通し行進者6名のうち、団長の伊藤ヒサ子さんが挨拶しました。


川崎市長メッセージ


(前略)川崎市は昭和57年に他の都道府県、政令都市にさきがけて、非核三原則の完全実施と核兵器の廃絶及び軍縮を世界に求める「核兵器廃絶平和都市宣言」を行いました。この宣言を生かし、様々な平和事業に取り組んでおります。(中略)今後とも、悲惨な戦争体験や被爆体験を風化させることなく、21世紀を担う子どもたちに平和の尊さを伝え継ぐために、積極的に平和事業を推進してまいりたいと存じます。


幸区役所 参加者100人


区長メッセージを副区長の森下さんが読み上げ、休憩してから、平間公園に向けて出発。平間公園では地域原水協、年金者組合、新婦人の接待を受けました。


中原平和公園へ 参加者120人


鈴木菊夫平和館館長が挨拶。中原原水協の清水洋子さんが、「平和館ができる前は米軍基地で、謀略ビラなどを作成する印刷所でした。返還運動がおこり、返還させ、中原平和館、平和公園、住吉高校が建設され、今では、平和活動の拠点となっております」と平和館の由来を説明しました。


医療生協、新婦人、原水協の皆さんが200個のおにぎりを用意してくれて、昼食休憩。雨もあがり、のぼりを乾かし、出発!


1時半中原出発。ブレーメン通り商店街を「平和行進です」と連帯して歩きました。再び雨が降ってきて、傘をさして歩きました。


コープかながわ井田三舞店で休憩。新城公園で行進を終了しました。

矢部常次日記 第4日目

今日は、朝から雷がなり雨も強く参加者は大丈夫かと心配して自宅を出た。


川崎市役所での出発集会は、雨がひどく私たち通し行進者は完全武装・しかし多くの参加者はカッパを着る人もいたが殆どが傘をさしての行進(大丈夫かなーと思う気持ち)。


川崎市長のメッセージを市民こども局男女共同参画主幹:青山正彦さんが読み上げ、原爆被害者の会:山口よしこさんが挨拶。そして川崎の平和行進実行委員長:笠木さんが行動提起を含め挨拶、それから全国通し行進者2人・県内通し行進者6人が紹介され、代表して私と16回県内行進をやっている伊藤ヒサ子さんが決意を含め挨拶、100人の行進がスタートした。


川崎区・幸区を行進して中原区の平和公園を目指した。平和公園では、鈴木菊夫平和館館長が挨拶・中原原水協の清水洋子さんが平和館の由来を「平和館ができる前は米軍基地で、謀略ビラなどを作成する印刷所でした。返還運動がおこり、返還させ、中原平和館・平和公園・住吉高校が建設され、今では平和活動の拠点になっています」と報告、昼食後は平和館を多くの人が見学した(近県の人で来館されては如何ですか)。


私には、もう一つの出会いがあった。それは、昔中原区選出の県会議員だった坂本正弘さんの奥さんにお会いしたことだ。奥さんは私を見るなり元気ですかと声をかけてくれ、こんな小さい頃から(今でも小さいが奥さんの言う赤ん坊ではなかったと思うが)、議員だった主人やトランペッターの松平さんらと米軍基地返還で頑張ったんだよね。周りの人に話す、そして広島まで無理しないで健康で歩いてくださいとカンパを渡して下さった。


また、それを聞いた人でこの間いろいろな取り組をやってきた長坂さんからも事前に封筒に入れたカンパを渡してくれた(有り難く頂きお返しは、歩き続けて行進成功をさせ核兵器を廃絶させ、地球から戦争をなくす運動の一翼になる事とプレッシャーなしで思った)。


中原公園での昼食は医療生協・新婦人・原水協の皆さんが、おにぎり200個を用意していただき、参加者全員美味しく頂いた。


中原区での参加者は雨の中とは言え、120人が行進した。

松本英治日記No.3

本日も雨の中の行進となりました。


セレモニーで市長の挨拶を受け、川崎市役所を9時半出発、被爆者の皆さんも先導されました。


米軍基地跡に創られた川崎平和館で昼食休憩、手作りのおにぎりを参加者全員がいただく、毎年の事だそうです。立派な平和館でした、展示も、施設も。姫路平和資料館のポスターが張ってあり、感激!不十分ながら、皆で創り上げた、資料館です。


毎年平和コンサートが開かれ、労働者トランペッターだった松平さんが実行委員長です。うたごえ祭典なみと言われていたトランペットと神奈川のうたごえの演奏を聞き出発、繁華街を行進、休憩にコープの皆さんの接待、血圧測定(120-76)で正常。


通し行進者矢部さんの地元新城公園に3時半着。行進もゆっくり、距離も短く、時間も、楽な一日でした。

【神奈川】500人で六郷土手公園を出発

東京から250人、神奈川から250人の500人が5月7日、雨の中を行進。午後2時15分、多摩川を渡った東京六郷土手公園で出発集会を行いました。

日本海コース初日の7日、晴れ。"北緯45度の風が吹く町"幌延町を散歩です。まもなく「名林公園」。一面にエゾエンゴサクよりうすい青色のホソバエンゴサクの花畑が広がり、背丈10センチほどの花を踏まないよう注意して散策しました。


日本共産党の鷲見悟幌延町議と木村秀雄遠別町議と幌延農協へ。木村誠組合長は「核兵器のない世界を」署名とペナント、募金に協力してくれました。


原発から出る核廃棄物の埋め立てを引き受けた幌延町。「核廃棄物と核兵器廃絶は関係ない」という宮本明町長は「安全なエネルギー政策が必要です。人間を一瞬のうちに殺す核兵器はなくすべきです」と話しました。


天塩町では、浅田弘隆町長が「『てしお』って読めないんです」とペナントにルビを振って記載しました。


遠別町は志子田一郎副町長が応対。「以前(一昨年)にも来ましたね」と私のことを覚えてくれていました。


木村町議は、廃校になった小学校を「取り壊すにも町には金がない」と語りました。

矢部常次日記 第2日目

今日も雨模様で参加者は大変(話題は、雨男・雨女は誰との会話)。


しかし、スタートの港区役所にいろいろな団体市民が集まってきた。港区と言えば東京タワーがあり、行進が通過すると、観光客の3名の中国の人が手を振る。また観光バスの外国人が窓から身をのり出してカメラで、パレードを撮る。泉岳寺前・品川・大井町駅そして大森駅前を通過する。


各地域でのパレードに対する関心はいろいろ、店の前で手を振る人、無視をして歩くサラリーマンなどさまざまだが、行進者はピースコール・「原爆を許すまじ」など平和を訴える歌・そして52回の原水爆禁止国民平和大行進であることを知らせる宣伝カーからの訴え。


お母さんと歩く女子高生、少し恥ずかしそうに手を振りはにかみながら母の顔を見る姿もあつた。


六郷橋を渡り、東京から神奈川に入る。神奈川側では約200名以上の人が出迎えてくれ、私は2回目だが感動した。トランペットの松平晃さんと握手して、また神奈川の平和行進実行委員長(神奈川労連の議長)水谷さん、JMIU神奈川地本委員長・鵜養さんなど多くの人に迎えられ川崎市内を行進・銀流会アーケードを出迎えの神奈川の人、それに東京からの行進者総勢300名が行進(東京からの行進者で疲れた人は、引継ぎ式の川崎市役所で待つ)。


今日の行進は、雨のなかであっても東京では入れ替わりでトータル500名。ここでも感動したことは被爆者の方々だ、年齢もだいぶいっているのに東京から川崎市内を最後まで歩き川崎市役所に到着する姿である。(若者よ負けていられんぞ!!)


引継ぎ式終り、神奈川原水協のもてなしで全国通し行進者・県内通し行進者など総勢20名で健康に留意して13日間神奈川県内を安全に行進し、成功させることを誓う交流会となった。

松本英治日記No.2

09国民平和大行進 2日目は、9時に東京港区役所出発、神奈川県川崎市役所までの19.4キロです。


昨日に続き、そぼふる雨の中を出発。トムソン本社の泉岳寺を通り品川では、旧道の繁華街を行進。


昼食休憩時、大熊君(東京のうたごえ協議会事務局長)がアコーディオンで歌う会を開き、歌集も買っていただく。


先導者のアナウンスもうたごえの若者、ギターで歌いながら行進。六郷橋を渡り神奈川へ、引継ぎ集会で神奈川にバトンタッチ。東京の皆さんお疲れ様。神奈川13日間のスタートです。よろしくお願いします。


石倉さんほかの皆さんと握手、東京500名、神奈川250名の行進でした。川崎太鼓仲間「響」の練習を覗き、行進の訴えと、募金をいただき、交流しました。

五十嵐成臣日記 5月6日

朝8時、礼文町役場前で、2009年原水爆禁止国民平和大行進の出発式が、地元、宗谷教職員組合、全気象労組、堀内礼文町議(無所属)と、全労連副議長の小松民子さん、通し行進者・五十嵐成臣、小川基弘さん(道内コース)、北海道原水協の嶋田千津子さんなど、6団体15人が参加。


全労連の小松副議長は、「核兵器のない世界を」の署名を「組合員1人5筆、500万筆」を目標に運動を強めていく。私は「1日も早く核兵器を廃絶するために、国民の世論を広げていくため、草の根の運動である平和行進を、礼文に集まったみなさんとその一歩を進めていきたい」と挨拶しました。

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▲礼文島、出発式を終えて行進

 

集会後、香深港まで行進を行い、フェリーで稚内へ向かいました。


稚内には11時に着き、すぐに稚内総合文化センターで平和行進出発集会。連休最後の日にもかかわらず9団体から43人が集まり、通し行進者を激励。集会後、南稚内駅まで行進をして終わりました。

 

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▲稚内集会で挨拶する五十嵐成臣さん

矢部常次日記 第1日目

私は、平和大行進1日目の為か自宅を早く出発して9時30分に第五福竜丸展示館に到着した。早すぎて誰も来ておらず、ヨットハーバーでカンコーヒーを飲みながら平和行進90日間の思いを新たにしました。天候は、曇り(今日1にち曇りであって欲しいと願った。)


出発集会・行進スタートから少しずつ雨となり、港区役所前まで大変であった。


参加者は、集会時は900名以上だったのに行進スタート後から増えて1200名くらいになり、まさしく大行進となった。


JMIUの参加者も70名以上、いま元気な労働組合の平和にたいする取り組みと「通し行進者からの声」・私は気を良くしました。被爆者の方々そして参加者みなさんご苦労様でした。行進後の交流会も楽しく元気でました、90日間頑張ります。

「核兵器廃絶と平和な世界に向かって歩きましょう」-。今年52回目を迎えた2009年原水爆禁止国民平和大行進が6日、スタートしました。


時おり、強い雨が降る中、東京都江東区の夢の島で行われた東京ー広島コースの出発集会には1200人が参加して色とりどりの旗が立ちました。


千葉市から参加した鈴木満さん(47)は「被爆者の苦しみを生むようなことは、二度とあってはならない。世界で核兵器廃絶の流れが広がっているが、それを実現するのは、私たちの運動だと思います」と語りました。


主催者挨拶をした世界大会運営委員会の野口邦和代表は、核兵器のない世界を追及すると述べたオバマ米大統領のプラハでの演説などにふれ、「世界の潮流は、核兵器廃絶を求める方向に大転換している」と指摘。「核兵器廃絶を実現する時代の中で、この行進を成功させよう」と呼びかけました。


出発集会の青年プログラムは、うたごえ郷土芸能チームによる「ROCKソーラン」で始まり、青年の元気な声が響きました。「核兵器なくそう・世界青年のつどい」準備委員会の前川史郎事務局長が、「青年のつどい」と21万羽おりづるプロジェクトにとりくむと発言し、全労連青年部の野村昌弘書記長が、4月にフランスで行われた「NATOノー、核兵器撤去」大行動について報告しました。


1分間スピーチでは、「戦争について考えると不安になり、考えないようにしていたけれど、平和の学習会に参加して"戦争はなくすことができる"の言葉に希望を持った。長崎に向けてがんばりたい」(東京高校生平和ゼミナール)「各大学で『九条の会をやりたい』と新入生が声をかけてくる。学生の関心や、学び、行動したいという意欲が高まっている」(東京学生九条の会)「アメリカが変わっているのだから、僕も主体的にとりくむよう変わらなければ。一緒に頑張りたい」(全農協労連)と語りました。


秋葉忠利・広島市長、田上富久・長崎市長から激励メッセージが寄せられていることが紹介され、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソンさん、ドイツのライン=ルール地方イースター行進平和委員会のハネロア・トルケさんのメッセージが代読されました。


第五福竜丸平和協会の川崎昭一郎会長が挨拶し、日本山妙法寺の木津博充さん、日本青年団協議会の冨川幸三副会長、東京の被爆者、支援者と日本被団協の藤平典代表委員がリレートーク。6人の通し行進者が決意表明しました。

松本英治日記No.1

歴史的私の平和行進初日は、雨でした。


1時過ぎ出発セレモニーの後、東京夢の島第五福竜丸(ビキニで米の水爆j実験で被曝)展示館前出発、5時半港区役所着。


同日出発の礼文島(北海道~東京コース)五十嵐(JMIU)さん以外の今年と、去年、全国11コースを走破された、豊田一子さんなど、1200名参加のまさしく国民平和大行進となりました。青い襷をかけられた、広島、長崎の被爆者の皆さんも横断幕を持ち先導されました。命を掛けたたたかい、被爆者認訴訟に立ち上がっておられます。


原水爆の被害者は私たちを最後にして欲しい、との思いがむねをうちます。


プラハでのオバマ米大統領の「核使用の道義的責任を認め、廃絶の努力をする」に力をえて、土砂降りの雨の中でしたが、うたごえが響きわたりました。


風邪が完治しないままの、初日でしたが、何とか歩き通しました。


明日も、新たな出会いが楽しみです。

日本青年団協議会メッセージ

日本青年団協議会の冨川幸三副会長が出発集会で読み上げたメッセージの全文を紹介します。


2009原水爆禁止国民平和大行進 出発集会あいさつ

みなさん、こんにちは。本日ここ夢の島・第五福竜丸展示館前に、核兵器廃絶と平和憲法の擁護を訴えお集まりのみなさん、私は日本青年団協議会で副会長を務めます、香川県出身の冨川幸三といいます。みなさんにお会いできたことをたいへん光栄に思うと同時に、本日お集まりのみなさんの日頃の活動に心から敬意を表します。出発式にあたり、全国の地域青年団を代表し、心からの連帯のごあいさつを申し上げます。


私たち日本青年団協議会では、5月4日から5日まで、「青年が、地域を、日本を元気にする!」をスローガンに「第59回定期大会」を行い、2日間議論し、新年度の運動方針を全国の仲間とともに創りあげました。大会では、地域から平和運動のうねりを創りあげていくことを確認しました。また昨年は、青年団平和集会を沖縄で開催し、沖縄の過去と現在、そして基地問題などで揺れる沖縄の現状を学びました。集会を通して、これらの問題は決して沖縄だけのことではなく、実は自分たちが暮らす地域に直結する問題であるのだということに気づき、様々な取り組みや学びが地域から生まれています。このような運動を通して、私たち青年が平和づくりの担い手の一人になっていく決意でおります。
 

みなさん、21世紀の今日でさえ「核兵器も戦争もない平和な世紀」はいまだ実現されていません。それどころか、いまだに世界各地では紛争がたえず、子どもたちを含む何の罪もない多くの市民が犠牲になっています。さらに、核兵器を公然と保有する国が増え、核兵器の脅威が世界を覆っています。真の世界平和を目指して運動に取り組んでいる私たちは、この状況を絶対に許すわけにはいきません。あきらめるわけにもいきません。


最大の核保有国であるアメリカに誕生した新政権、オバマ大統領は「核兵器のない世界を追求する」と宣言しました。いま、核兵器廃絶の声が核保有国からもあげられています。私たちの運動が、世界を動かそうとしています。


今年は被爆・戦後64年の年にあたります。また、来年5月には、ニューヨークで核兵器不拡散条約の再検討会議が開催されます。世界的な潮流として平和のうねりが世界中に広がろうとしている一方で、日本では憲法改正の動きが顕著に見られます。私たち日本青年団協議会といたしましては、こうした動きと対峙して運動を進め、圧倒的多数が憲法9条を実現させたいと願っていることを社会に強く訴え、核兵器廃絶と平和憲法擁護を実現させるために、みなさんと連帯していくことを表明いたします。そして、そうした連帯が、国内や世界でさらに大きく広がっていくことをご期待申し上げます。


終わりに、2009原水爆禁止国民平和大行進に私たち青年団の平和の願いを託すとともに、無事被爆地・広島まで到着されるよう心から祈念いたします。


ともに頑張りましょう。

【北海道】最北の島礼文から出発

2009年原水爆禁止国民平和大行進・北海道~東京コースが5月6日、最北の島礼文から始まりました。午前8時から青い空のもと利尻富士をのぞみながら礼文町役場前で出発式が行われました。

夢の島出発集会・主催者あいさつ

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国民平和大行進に参集したみなさん、雨の中をご苦労様です。ご紹介いただきました原水爆禁止年世界大会運営委員会代表の野口邦和です。


1958年に開始された国民平和大行進は、今年で51周年を迎えます。半世紀以上もの間、雨にも負けず、風にも負けず、厳しい夏の暑さにも負けず、核兵器廃絶を訴え歩き続け、受け継いできました。核兵器廃絶を願う人なら誰でも、そしてどこからでも参加できる行動として発展してきました。国民平和大行進は、今日ではすべての都道府県と7割を超える自治体を通過する、10万人を超える人びとが参加する平和のための国民的大行動となっています。


みなさん
世界にはいまなお2万発を超える核兵器が配備・貯蔵され、人類の生存を脅かしています。しかし、核兵器廃絶は今日では世界の声であり、国連総会では毎年8割を超える国ぐにが核兵器廃絶の合意の実行を求める決議に賛成しています。ヘンリー・キッシンジャーさんなどアメリカの元政府高官、イギリスの元外務大臣、元NATO事務局長、国連のバン・ギムン事務総長も「核兵器のない世界」について公然と発言しています。昨年暮れには核兵器の廃絶をめざす国際的レベルの新たな運動として「グローバル・ゼロ」がパリで創設されました。今年4月、チェコのプラハでバラク・オバマ米国大統領が「核兵器のない世界」の実現を追求する、「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、米国は行動する道義的責任がある」と発言しています。


このように国際世論の大潮流は、核兵器廃絶を求める方向に大転換しています。何よりも歴史の大きな流れの発展方向に確信をもち、核兵器廃絶という全人類的課題を実現するため、大いに奮闘しようではありませんか。


みなさん
2010年にニューヨークで開催される核不拡散条約再検討会議で実りある成果を勝ち取るため、第3回準備委員会が5月4日から15日までの日程で、ニューヨークで開催されています。日本原水協、日本被団協をはじめ日本の代表団も「核兵器のない平和で公正な世界」を実現するため、今まさに奮闘しています。日本の代表団ばかりでなく、世界各国の代表団が、核兵器廃絶を願って第3回準備委員会で奮闘しています。


2010年の核不拡散条約再検討会議に向け、「核兵器のない平和で公正な世界」を求めて、世界中でいま行動が拡がろうとしています。ヨーロッパでは、NATO(北大西洋条約機構)60周年にフランスのストラスブールで開かれたNATO首脳会議にあわせて、「戦争ノー、NATOノー」をかかげた国際共同行動が現地で行われました。NATO反対をかかげた全ヨーロッパ規模の行動は、史上初めてのことです。

 
国内では、日本原水協や非核の政府を求める会の代表を含む広範な人びとが「非核日本宣言」の運動を推進しています。「非核日本宣言」運動は、全国1823自治体のうち425人の首長、295人の地方議会議長が賛同し、229の地方議会が意見書を採択しています。核兵器廃絶の扉を切り開くために昨年の原水爆禁止世界大会で提起された新署名「核兵器のない世界を」も、日本人口の1割、1200万筆を目標に取り組まれています。新署名の目標を必ずや達成して来年4月、世界中で取り組まれた幾千万筆の署名をニューヨークの国連前に積み上げようではありませんか。


みなさん
国民平和大行進に寄せたメッセージの中で、秋葉忠利・広島市長は、「人類は、『核廃絶か』それとも『更なる核拡散か』を決断する重大な岐路に立っています」と述べています。また、田上富久・長崎市長は「核不拡散体制が崩壊の危機にある現在、核兵器の廃絶の取組みは急務であり、私たちは世代や国境を越えて連帯しなければならないと思います」と述べています。


みなさん
私たちは、核兵器の廃絶を実現することのできる時代に今まさに生きています。「核兵器はいらない」、「憲法9条を守れ」など、非核平和の日本を求める国民の願いに応える運動として国民平和大行進を最後まで歩き抜き、大きく成功させようではありませんか。


以上をもちまして、主催者あいさつとします。ありがとうございました。

海外からのメッセージ

平和行進に寄せられた海外(アメリカ、ドイツ)からのメッセージを紹介します。


アメリカフレンズ奉仕委員会・ジョゼフ・ガーソン  
2009年4月30日


平和行進参加者のみなさん、


平和行進に私もみなさんと一緒に参加できればと思います。核兵器廃絶をめざすみなさんの献身的な活動は人類の宝です。みなさんは、これから生まれる世代の人々も含めすべての人類のために歩いているのです。どうもありがとうございます。


原水協は緊急の課題として核兵器廃絶を達成しようと取り組んでいます。2010年NPT再検討会議が近づく今、このことは特に重要な意味を持ちます。オバマ大統領が、アメリカは核兵器廃絶、包括的核実験禁止条約の批准、核分裂物質生産禁止条約の交渉を約束すると確認したことには拍手を送ります。しかし彼はまた、核兵器廃絶は「長い道のり」であると言い、まだ若いにもかかわらず、「核兵器の完全廃絶は自分が生きているうちには達成できないかもしれない」とも言いました。


これは受け入れられません。力を合わせて、核兵器廃絶を緊急に、被爆者が生きているうちに達成せよと要求せねばなりません。被爆者のみなさんは、核のテロリズムに苦しみ、これを耐え抜きながら、「決して三たび原爆が使われないように」その生涯をささげて来られました。


世界の論調が核兵器廃絶へと流れる中で、私たちはミハイル・ゴルバチョフ氏の最近の警告を理解する必要があります。アメリカが「全領域支配」政策をやめない限り、核兵器廃絶を達成することはできません。アメリカが宇宙の軍事化を独占し、先制攻撃サイバー能力と多くのハイテク兵器を開発しようとするあいだは、他の核保有国が自国の核兵器を完全に廃絶することはないでしょう。他の点でもそうですが、この意味でも、日米軍事同盟は世界平和と核兵器廃絶にとって脅威となっています。


みなさんが平和行進の出発点を第五福竜丸前と決められたことにはさらに重要な意味があります。ビキニ水爆実験は日本の反核平和運動が生まれるきっかけとなりました。しかしニューヨークタイムズに最近掲載された記事が示したように、マーシャル諸島などで行われた犯罪的な核実験の教訓は、まだ十分理解されていません。

核兵器廃絶を真に達成するためには、日本の市民と日本政府による強力な努力と行動が不可欠です。ですから私は、みなさんが強い精神をもって、平和行進の途上で実りある重要な会合や対話を重ね、多くの友人をつくりながら歩いて行かれるよう、心から祈っています。


みなさんと広島で、そして来年はNPT再検討会議のあるニューヨークでお会いできることを楽しみにしています。

核兵器廃絶と平和、正義のために歩み続けましょう。


アメリカフレンズ奉仕委員会 ジョゼフ・ガーソン


ドイツ・ライン=ルール地方イースター行進平和委員会 ハネロア・トルケ


親愛な友人のみなさん、


ライン=ルール地方イースター行進平和委員会は、5月6日に東京を出発するみなさんの平和行進に、心からのごあいさつを送ります。私たちの連帯の気持ちと祈りは、東京から広島・長崎へのみなさんの行進とともにあります。


いまもなお27000発の核弾頭が世界中で人類を脅かしています。バラク・オバマ米大統領が就任してから、米ロ間の核軍縮の可能性は高まっています。2009年4月オバマ大統領がプラハで行った演説は平和運動全体から歓迎されました。しかしこの演説のあとには核軍縮に向けた具体的な措置が取られなければなりません。


ドイツには今でも約20発のアメリカの核弾頭が置かれており、その総爆発力は広島型原爆の1000倍にのぼります。ドイツの平和運動は2010年までにこれらの核兵器を撤去するよう要求しています。ドイツ政府はこの核参加政策から手を切り、ドイツにアメリカの核兵器配備を許している条約を廃棄せねばなりません。 そのためにわたしたちは、「核兵器から解放された私たちの未来」というキャンペーンを開始しました。


隣国のベルギーとオランダにも核兵器が配備されています。今年初めに、私たちはベルギーとオランダの平和運動と協力していくことを確認しました。力を合わせて私たちは、核兵器のない世界の中で核兵器のないヨーロッパを目指します。東京から広島・長崎へと向かうみなさんの平和行進と、広島・長崎で開かれる原水爆禁止世界大会も、この平和のたたかいの中で重要な役割を果たしています。


私たちの連帯と熱烈なあいさつをお受け取りください。平和行進と、8月に広島・長崎で開催される原水爆禁止世界大会の成功を心から祈ります。


ライン=ルール地方イースター行進平和委員会を代表して
ハネロア・トルケ

核兵器の廃絶と恒久平和を願い、最北の島・北海道礼文島の緑ヶ丘公園に植樹したチシマザクラなど9本が元気に育っています。


礼文町は毎年、原水爆禁止国民平和大行進出発の地。東北6県と北海道の原水協が費用を負担、同町の好意で被爆60周年の2005年5月、利尻富士を望む高台に植樹が実現しました。同町が強烈な吹雪や寒さから木々を守るため冬囲いをし、植樹に携わった堀内進町議(無所属)などが見守ってきました。


5日、平和行進出発式(6日)出席のため礼文町に到着した東京までの通し行進者・五十嵐成臣さん(65)や道内通し行進者・小川基弘さん(57)、北海道原水協の嶋田千津子さんが木々と対面しました。


チシマザクラは3メートルに成長、キレンゲツツジなどは枝をしっかりと横に張り元気です。


五十嵐さんは「初めての対面ですが、出発地に植樹した7道県の人々の平和と核廃絶への思いを感じ、一日も早く核兵器をなくしたい」。小川さんは「被爆者を励ますように、たくましく育ってほしい」。嶋田さんは「昨年は冬囲いで木が見えなかったけど、元気な姿に会えてよかった」と微笑みます。


堀内町議は「平和の重さを再確認する私たちにとって大切な場所です。この木を通し、平和の大切さを子や孫たちに伝えていきたい」と言いました。

【北海道】通し行進者が結団式

北海道→東京コースと道内コースの通し行進者6人は3日、平和行進成功にむけ、札幌市にある道原水協に顔をそろえました。

矢部常次日記 第23日目

今日は、県内通し行進の山崎さんと本コースのみんなと別れ天竜・浜北コースに参加。


天竜川の舟下りで有名な所だ、指定された待ち合わせ時間より1本早い電車に乗り込む、山崎さんは自宅から来るので現地で会えば良い。


天竜浜名湖鉄道で掛川駅を8時19分の電車に乗る、隣駅が掛川市役所のある駅なので通勤客でいっぱい、しかし3つの駅を過ぎたころは、ワンマンの運転手と乗客5人となった。多少雨が降っていたのだが、傘もささずホテルから来たので少し濡れた(大きなバッグは前日宣伝カーに積んでいたが、朝ホテルに宣伝カーが来てくれたのに、小分けしたバッグを車に乗せず手に抱えたままだった)。


電車には、バッグのほかにオバマのマスクを持って皆に見えるように座席に座ったので、掛川駅から乗客は見て見ぬふりをしているが注目。天竜浜名湖線は、掛川駅~JR新所原駅で東海道線に接続される第三セクターの電車で天竜二俣駅に天竜浜名湖鉄道の本社がある。私の乗った電車は天竜二俣駅終点で15駅あり単線なので45分程度かかる(電車の旅が好きな私にとって最高)。


待ち合わせ時間まで30分以上あるので天竜二俣駅でスタンプを手帳に押し遠州天竜下りの手ぬぐいを駅で買い求め観光案内所にも顔をだした。


通し行進者のオレンジのタスキをホテルから掛けているので、待ち合わせではすぐ判る。鈴木さん(浜北原水協事務局長)が声をかけてくれ、山崎さんも電車で到着。


午前中は、明日行進スタートの浜北区役所に行き、明日は私がこのコースに来れないので市担当の方に名刺を渡し挨拶、その後は、天竜川地区を案内して下さった。そして西尾さん(天竜地区原水協会長)に紹介され昼食(行進者を代表して、うな重を頂く・・・みなさんごめんね・・・)。


昼食前に、天竜区役所で公務で忙しいのに野中副区長さん、佐野社会福祉課課長さんと懇談させていただき通し行進者の役目を果たした(忙しい中、だいぶ時間を割いて頂き有難うございました)。


13時に行進スタート、天竜市原水協の年季の入った青い旗が風になびく、30年以上の歴史の地区内行進で2人の通し行進者の参加も初めてと30数人の行進だが、100人以上のように元気なパレードとなった(これまで頑張ってこられ、志なかばで亡くなられた方に、頑張る決意)。

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