2010年NPT再検討会議へ向け、草の根から核兵器廃絶のうねりを広島・長崎へ歩いてつなぐ8人の通し行進者を紹介します。
松本英治(60歳・日本のうたごえ全国協議会)
東京→広島コース
SSDⅡのうたごえ代表団の一員として参加。連続40日間の駅頭署名を敢行。帰国後毎月工場の門前6・9行動を欠かさず行ってきました。退職後、一度は通し行進をと考えていましたが、NPT再検討会議を一年後に控えた今年、日本国中に核兵器廃絶のうねりをつくり、行進の中でうたを響かせ、来年に向けて大きな運動をつくるチャンスと決意しました。
昨年まで勤め上げた日本トムソンでも、派遣切りの攻撃に対し、労働組合を結成してたたかっています。9条と25条をしっかりと意識して、格差と貧困とのたたかいと核兵器廃絶のたたかいをしっかり結びつけて頑張りたいです。
来年のニューヨークにも行く決意です。
矢部常次(60歳・JMIU川崎支部)
東京→広島コース
会社に勤務継続中に3ヶ月以上の休暇を取り、JMIU組合員として「東京から広島」を平和行進して、JMIU組合員・多くの労働者・市民と交流をはかり、「平和が保持されてこそ労働組合活動・市民活動ができ、生きる権利が保てる」ことを実感しようと決意しました。
そもそも私は高校生だった頃、今は亡き父からたった一度、戦争の悲惨な体験(日本に生きて帰ってきた。仲間は当時で100人弱)を聞き、そして会社に勤めた同期が長崎出身で入社して2年目に仲間3人で長崎に行き、家族から「原爆の恐ろしさ」を聞いたこと。勝つ沖縄変換後すぐに沖縄を旅行して、基地沖縄を知ることができたことなどが「平和運動」に関わる原点ではと今感じています。
五十嵐成臣(65歳・東大和原水協)
北海道→東京コース(日本海)
高校生の時、「原水爆禁止世界大会を支持する三多摩高校生の会」に入会して以来、東京大会、平和行進に参加してきました。一度は通し行進には参加してみたいと思い、退職を機会に通し行進に参加することを決意しました。
栖原秀夫(59歳・神奈川県平和委員会)
富山→広島コース
NPT再検討会議に向けた新国際署名への取り組みを広く大きく、大きな声で呼びかけて歩きたい。歩くことが好きで大声を出せる私の特長を活かしたい。
浅田健司(66歳・大阪平和委員会)
四国→広島コース
2010年4月、ニューヨークで開催されるNPT再検討会議にむけ、今年の国民平和大行進の果たす役割は、かつてなく重要なものと思います。最後まで元気に歩き通す決意です。
森 悦子(61歳・東京ほくと医療生活協同組合)
沖縄→長崎コース
2008年5月3日から8月10日まで50周年国民平和大行進に参加できたこと、本当に幸せでした。沢山の人々と出会い、ともに暑さに負けず歩き続けたこと、平和を願う心をひとつにわかちあい最高の日々をすごせたこと、今年も多くの人々と共有したい。
2010年に向け、地域でがんばれる力を身に付けたいと思います。原水協のみなさん、医療生協や全国老地連のみなさん、応援してくださる多くの方々と平和行進を盛り上げ、世界大会成功へとつなぎます。
竹田昭彦(68歳・平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会)
広島→長崎コース
私が3歳半のときに父が徴兵され、9ヵ月後に中国で戦死しました。私は父の面影を知りません。残された母と4人の姉弟は、住居を転々としながら食べ物がない悲惨な生活を強いられました。母は、「戦争さえなかったら」「お父さんが生きていたら」と口癖のように言っていました。私は「戦争はいやだ」「悲惨な暮らしはいやだ」との思いを強く持って生きてきました。戦争をなくすには、核兵器の廃絶が根源だと思います。
日本国民の粘り強い核兵器廃絶運動とともに、世界の平和運動の高まりに確信を持ち、2010年の核不拡散条約再検討会議の成功と、核兵器も戦争もない平和な世界をめざして頑張る決意です。
松浦宜孝(60歳)
宮崎→長崎コース
「コープ神戸」に長年勤務し、核兵器廃絶と被爆者援護の活動に関わってきました。定年後の昨年、「国民平和大行進」の兵庫県内行進をやりとげ、沿道に被爆者募金を訴える活動に感銘を受けました。2010年NPT再検討会議に参加する決意も固め、非核「神戸方式」と憲法9条、広島・長崎の思いを沿道に伝え、ニューヨークへつなげたいと思います。