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< 豪雨の行進 >
周南市、防府市の市役所訪問と行進です。
朝からの雨降りで、終日降りそうな気配です。
9時前、周南市役所を訪問して、市役所前の市民会館から行進が出発しました。
雨の降る量は、雷鳴とともに強くなってきます。雷雨は、20分位で過ぎるだろうと予想したが、移動せず、豪雨がいつまでも続きました。
11時、休憩した公園は水溜まりが多く、雨宿りする場所もありません。
着ていたカッパも水を通し、ポケットに入れたケイタイ電話も濡れました。濡れたことを口にすると、「使えなくなる」と注意され、慌てて宣伝カーに預けました。
12時前、新南陽支所に着き、周南市の行進が終わりました。
到着式で、感想を述べ合いますと、「出発式のときに、雨降りで止めようと思ったが、参加者が少なかったので歩くことにした」、と話す年配者がありました。
それを聞いて、平和行進の重みを感じました。
周南市の行進で通ったJR新南陽駅前に「伸」と命名した大きなモニュメントがありました。合併(2003年)で周南市になる前の旧南陽市が、「非核平和宣言都市」宣言(1988年)を記念して建立(1991年)した像です。
像の前に置かれたプレートには、平和を願う造形意図が説明され、「非核平和宣言都市 新南陽市」と記してありました。
市民運動の成果は、合併しても撤去されることなく、堂々と立っていました。
午後の周防市の行進も雨で、写真が撮れませんでした。
夜は、周南市の行進実行委員会の方たちから、夕食会を開いていただきました(総勢8人)。焼き肉を腹いっぱい食べ、雨天行進の慰労とスタミナをもらいました。
今日の行進距離は、区間により参加者20~40人で12.5km歩きました。
防府市コースの募金は4297円、署名9筆です。
こちらは、行進が通ることと、募金などのお願いのチラシを配布してあったようです。
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四国⇒広島コースは28日、甲浦で高知県から徳島県に引継がれました。
徳島県コース出発式では小学校5年・乃一春奈ちゃんが「事件で死ぬ人をなくしてほしい、戦争で亡くなる人がないように平和な社会を望みます」と訴えました。
甲浦には、高知県行進団の11人が参加。和田忠明高知県原水協代表理事・平和行進実行委員会代表委員が、「34市町村すべての首長から『核兵器のない世界を』に署名してもらった。核兵器廃絶への世論が大きく動いていることを感じました」と3週間の行進の成功を語り、世界大会・NPTに向けた決意を表明。次いで四国⇒広島コース通し行進の浅田健司さんが、オバマ米大統領の発言にふれ、行進に寄せる四国住民の高まりを紹介しました。
徳島県行進団(21人)から原龍一副実行委員長が、「徳島県内を元気に歩き、広島、長崎の大会へとつなげたい」と7月12日までの行進を成功させると力強く挨拶しました。
出発に当たって、建労の栗山正支部長、労連の森口英昭事務局長、そして乃一春名ちゃんが「平和な社会を」と訴えました。
行進団は「道の駅」宍喰まで行進。
平和委員会の神野美昭代表理事と和田弘治常任理事は、宍喰漁協や竹ヶ島、JA宍喰青果場など8団体を訪問して署名用紙を預けました。
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6月20日(土)午後1時から核兵器廃絶平和行進出発集会が新潟市内で開かれ、160人が参加しました。
1958年に第1回平和行進が全国から広島を目指して開始されてから今年で51回目の平和行進です。
5月6日に北海道礼文島を出発した日本海コースは、東京の五十嵐成臣さんが各市町村に核兵器廃絶の訴えをしながら行進を続けています。
新潟県には6月15日(月)県境の鼠ケ崎で山形県から行進が引き継がれ、新潟県内通し行進者の佐々木隆さん(新潟市江南区)が合流して行進を続け、20日に新潟市に入りました。
6月20日は朝9時に新潟大学前に65人が集まりました。新潟大学の教授、職員、学生47人が連名でアメリカのオバマ大統領に核兵器廃絶の手紙を投函して出発しました。
新潟大学では、核兵器廃絶と憲法9条を守ろうと学内でのアピール署名に取りくんでいます。
行進はその後、新潟市役所前に午後1時到着。集会を開き、日本海コースの通し行進者の五十嵐成臣さん、県内通し行進者の佐々木隆さんが連日の行進の疲れも見せず元気にあいさつをしました。
五十嵐さんは「自治体訪問ではどこでも丁寧な応対で核兵器廃絶の世論の広がりを感じた。中には議会を1時間遅らせて議長も参加して歓迎をしてくれた。元気に東京まで歩き続ける」と報告。
佐々木さんは「今年定年を迎え長年の夢が実現した。オバマ大統領の発言は核兵器廃絶の運動を大きく後押しするものだ。県内行進を通じて沿道から県民に訴えて行きたい」とさいさつしました。
その後1時半から歌声合唱団「樹」のリードによる合唱をして行進をしました。行進は亀田まで進み、夕方4時半に到着しました。
行進には、篠田昭新潟市長からメッセージと募金も寄せられ当日集会で披露されました。新潟市は非核平和都市宣言をした後、昨年平和市長会議に加盟しています。
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宮崎県都農(つの)町役場総務課が発行している週報「つの」No.357(6月11日発行)のトップに国民平和大行進への呼びかけが掲載されています。
以下、全文紹介します。
平成21年原水爆禁止国民平和大行進に参加しよう!
1958年に開始された原水爆禁止国民平和大行進は今年で51周年を迎えます。この半世紀、行進は核兵器廃絶を願う人が誰でも参加できる行動として発展し、今日では、10万人の人々が参加する国民的行動となっています。
平成21年原水爆禁止国民平和大行進東九州コースは、6月24日にえびの市役所を出発し、大分県、福岡県を経て8月6日の長崎到着をめざし取り組まれます。
都農町での出発集会は、下記のとおりとなっています。
日 時 平成21年6月30日(火)午前11時40分から
場 所 都濃町役場玄関前
問合せ先 総務課 25-5710
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「県網の目平和行進」が11日、吉野郡で始まりました。30日まで県内全市町村が参加し、核兵器廃絶を訴えて行進します。
下市町からは教職員や住民ら約50人が「核兵器をなくせ」などとシュプレヒコールをあげながら大淀町まで約1時間歩きました。黒滝、天川両村の住民らも参加、吉野町上市で行進したメンバー約30人も合流しました。
県での活動は20年目。下市、大淀両町では、役場前での集会に幹部職員も出席、主催者から反戦平和と核兵器廃絶へ取り組みを進める要望書が各町長に手渡されました。
参加者は「北朝鮮で地下核実験が行われるなど情勢は緊迫している。平和なときにこそ平和の大切さを考えたい」などとアピールしました。26日には奈良市の般若寺から県庁前を通り、奈良市役所まで行進します。
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6月6日(土)小雨の降る中、51回目の平和行進北海道-東京コース・太平洋側が二戸市で青森県から岩手県に引き継がれました。
6月7日(日)時折霧雨が降り気温12度ほどと寒い中の行進となりました。この日は二戸市~岩手町までの行進でした。
6月8日(月)に平和行進は県庁所在地の盛岡市に入り、市内行進には昨年を上回る150人が参加しました。盛岡市内の行進には盛岡大学と岩手大学の大学生協学生委員会のメンバー15人が手作りのタペストリーを持って参加しました。
岩手県内では、普代村で村長が出発集会に参加して参加者を激励したり、野田村で被爆者があいさつをして行進にも参加したりするなど、共同が広がっています。
盛岡市の岩手県公会堂前での歓迎集会で、原水爆禁止岩手県協議会の渥美健三代表理事は、オバマ大統領のプラハ演説で情勢は大きく変わったと強調し、「平和大行進のゴールが見え始めている。核兵器廃絶の国際的合意に少しでも近づくように、歩いていこう」とのべました。
手作りの横断幕を持って参加した盛岡大学と岩手大学の学生らが「初めて参加したが、平和の活動に興味がわいてきた」「(核兵器廃絶は)人ごとじゃなくて、自分たちで何とかしていきたい」などと参加した思いと決意を一言ずつ話しました。そのなかの一人の男子学生が「血を流す戦いを作り出す核兵器をなくすために、僕たちは血を流さない闘いを広げていきたい!」と話してくれました。いわて労連の鈴木露通議長が連帯のあいさつをしました。
6月9日(火)は盛岡を出発して、矢巾町を経由して紫波町までの行進でした。盛岡市内にある医療生協川久保病院からは今年も多くの若い職員が行進に参加し全体で100人ほどが歩きました。
矢巾町役場と紫波町役場での到着歓迎集会では、それぞれ副町長があいさつをしてくれました。
県内4つの支線コースが合流する幹線コースの行進は、14日に宮城県に引き継がれます。
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09.06.10.pdf
平和行進北海道-東京コース日本海側が秋田市入りした9日夕、秋田市中通2丁目の買い物広場で、通し行進者の五十嵐成臣さんを迎えての秋田中央集会が開かれました。労働組合や団体のリレー旗を持って約100人が参加しました。
主催者を代表して挨拶した斉藤重一・県原水協理事長は、「プラハでのオバマ演説は世界中の人に希望を与えた。核兵器禁止の運動をさらに広げ強めていかなければならないと決意している。われわれの平和への強い意志を示していこう」と訴えました。
県原水協によると、県内25市町村中、10日現在で、11自治体の長と議長が核兵器廃絶国際署名を寄せました。県原水協は「これからも到着するだろう」と話します。
参加者らは「核兵器を廃絶しよう」などと唱和しながら同市中央街区を行進しました。ギターを担いだ男女2人ずつの青年4人は『憲法9条守ろう』だって。こういうのっていいね」と話し合っていました。
同行進日本海コースは11日に、内陸コースは13日にそれぞれ山形県に引き継がれます。
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平和行進三日目の6月6日、例年と違って五戸町と新郷村の行進を実施しました。雨は落ちていましたが、横断幕とリレー旗、胸のゼッケンで核兵器廃絶を訴えました。行進団20人程度に移動用の車列が続きました。五戸町では赤坂町議、新郷村では山岸村議で行進に加わりました。
▲五戸町での平和行進
三戸町役場で、青森・八戸からの参加者と合流して行進しました。
▲出発前に三戸町役場前で
金田一温泉駅前には予定より早く到着したのですが、岩手県側がすでに待っていたので、そのまま行進し、13時50分に引き継ぎました。
▲金田一温泉駅に向かう青森県行進団
引継集会では、内田県原水協代表理事が三八での行進と非核都市宣言や非核日本宣言の取り組みを紹介、岩手県側からは市町村合併後の取り組みで県内全ての自治体で非核都市体宣言を採択していることが紹介されました。参加者は青森県側は30人余、岩手県側は40人余でした。子どもたちも平和行進に参加しているのが印象的でした。
三八地区の平和行進は、今年の目標は「三日間で200人を超える参加者を」でしたが、事務局の集計では199人、目標は達成されたと考えていいと思います。参加のみなさん、お疲れ様でした。
今日は、市庁から司法センターまで、南部町・孔明荘あたりから役場まで、三戸町入り口の橋のあたりから町役場までを歩きました。全部で7㎞くらいです。雨はたいしたことがありませんでした。
南部町ではペナントに町長直筆の署名をいただきました。南部町は全国に3町あるので「青森県南部町」と記入したと話していました。署名はいち早く、昨年末に送っていただきました。三戸町では、町長さんから「核兵器のない世界を」署名もいただきました。
田子町は宣伝カーだけの訪問で行進は行いませんでした。3町それぞれで、賛助金の協力をいただきました。
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青森県三八地区の平和行進(太平洋コース)の様子です。
▲上十三代表と合同の市内行進
6月4日、上十三地区からの平和行進が八戸に到着しました。例年通り三八教育会館で待ち、すぐ市内行進を行いました。今年は昨年よりも参加者が増え、行進の列が長くなりました。顔見知りの市民劇場のひとが、知ってる人が多いので一緒に歩いていきますと列に加わりました。仕事を終えて合流する人もいて、引き継ぎ会場到着時は130人を超えていました。
▲八戸市庁前で引き継ぎ集会
市民広場の引き継ぎ集会では、リレー旗やのぼりを引き継いだ後、上十三地区・苫米地氏が通過市町村の首長・議長から「核兵器のない世界を」署名が寄せられたことを紹介しました。三八地区・内田氏は、三八地区では非核日本宣言の取り組み(5市町村で意見書が採択されている)がすすんでいることを紹介しました。
市長、議長のメッセージが読み上げられ、最後にうみねこ合唱団のリードで原爆を許すまじをみんなで歌いました。なお、議長からは「核兵器のない世界を」署名もいただきました。
雨の中の行進、集会でしたので事務局担当として頭が下がる思いです。医療生協&八医労は50人を超える参加でした。職安分会、年金者組合、新婦人、全法務のみなさんも多数の参加でした。
北山村平和行進 村長さん熱烈な拍手
6月3日、曇り時々雨。新婦人のUさんとふたりで、余裕を持って教育会館を宣伝カーで出発。紀宝町に入り、船田にさしかかると、工事のため通行止め。警備会社の人が迂回路を指示。仕方なしに狭い道へ。その後、アクシデント?に出会う。何てことだ。その後はゆっくり北山村へ。
午後5時には奥田村長も出てこられたが、地元の人はまだ誰も...心配していたが、定刻5時15分になると、20人の役場職員や焼酎の先生が参加。玉石晃久氏の地元代表挨拶から始まり、奥田村長の熱いメッセージ、いつものように集会が進んで、平和行進に移る。
村長さんの熱烈な拍手に見送られながら、10人あまりの平和行進が静かな北山村を元気に歩き続けた。村長からの賛助金、沿道募金は千円でした。
串本町平和行進 今年は歴史的な年に
6月4日、曇り時々雨。午後3時40分、文化会館に集合し、平和行進用の風船を30セット作る。
午後5時15分、90人の参加者で串本町役場前から平和行進がスタート。串本町原水協の藤田勝彦代表は、「今年は歴史的な年になる予感がする。アメリカのオバマ大統領の演説は感動的だった」「今年の世界大会の成功が、来年の核不拡散条約再検討会議に強力なメッセージとなる」と挨拶。
町長、議長メッセージの代読、共産党の国重氏から連帯の挨拶と続く。この後、強風の吹きすさぶ串本町を、たくさんの風船を揺らしながら平和行進。町長・議長から協賛金を頂、沿道募金は1万7千円を超えました。和教組女性組合員の奮闘はすごい!
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太地町平和行進=北朝鮮への抗議採択=
6月1日、爽やかな快晴に恵まれた平和行進。事務局では40部しかアピール文を用意していなかったのですが、町職員もたくさん参加してくれ、60人の参加者で出発集会。
太地ともしび会代表・中川治氏の挨拶の後、太地副町長の魚野氏が町長メッセージを代読。続いて、三原町会議長からの激励挨拶。通し行進者のわかやま市民生協・伊藤氏の決意表明。そして、集会アピール、北朝鮮への核実験に対する抗議と要請文を採択し、郵送することを拍手で確認しました。
五月晴れの潮風かおる太地の町並みを、元気良く行進しました。沿道募金は1800円となりました。町長からも協賛金をいただきました。
那智勝浦町平和行進=北朝鮮への抗議採択=
町職員の参加もあり、60人の出発集会。地元を代表して、下里の平澤康男氏が挨拶。副町長が町長メッセージを代読。続いて、昨年世界大会に参加した藪本理恵氏が大会に参加した感想と、こつこつと地道に行う平和運動の大切さを語った後、集会アピールを読み上げ、大きな拍手を受けました。
北朝鮮の核実験の抗議と要請文も採択し、平和行進へ。集会から参加しているワンちゃん(犬)3匹も行進に参加。沿道カンパは、7632円が寄せられ、勝浦観光会館まで行進。町長・議長からも協賛金をいただきました。
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09.6.2.pdf
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09.6.1.pdf国内外で核兵器廃絶に向かう新たな機運が高まるもとで、2009年国民平和大行進の人たちが行く先々で呼びかけた「核兵器のない世界を」国際署名に道内の市町村長や議長らが「核兵器をなくすために頑張ってほしい」と続々賛同し反響を呼んでいます。
通し行進者らの自治体訪問は今回、道内149市町村です。
道原水協によれば、署名に応じたのは道内180市町村のうち62%に当たる13市、86町、13村の首長112人です。副市町村長15人、議会議長61人、副議長5人、教育長51人も「核兵器をなくせ」とペンを取りました。さらに、総務部長や教育部長、議会事務局長ら35人、農協組合長6人、商工会代表や連合加盟の職員労働組合でも賛同署名が広がりました。
5月6日に礼文島を出発した行進は同30日に函館市に到着しました。中間点の札幌市で開かれた5月17日の道原水協総会では、通し行進者とともに自治体を訪問した参加者から「長年、この運動をしてきましたが、首長の対応が例年とはまったく違っていました」「『あなた方とは考えが違う』といって、昨年まで署名を拒んでいた町長が署名をしました。オバマ米大統領の演説と日本共産党の志位和夫委員長の書簡で核兵器廃絶の大きなうねりが広がっていると感じました」との発言が相次ぎました。
通し行進者の小川基弘さん(57)は「多くの自治体で『あなたが来るのを待っていました』と歓迎してくれました。私は、まるで旧友と再会したような気持ちになりました。『長崎原爆資料館を見学し、涙が出ました』と署名した議長もいます』と話しました。
余市町の上野盛町長は「北朝鮮問題で議論が起きていますが、国際社会は核兵器のない世界に変わっていきます。日本が核兵器廃絶のイニシアチブを取るべきだという志位委員長の提案はその通りです」と語りました。
「日本国民が毎年、実施している草の根の運動が核兵器のない世界を実現する一歩一歩になってきました」と話すのは、道原水協の岩淵尚事務局長です。
「どの訪問先でも、オバマ演説を歓迎するとともに、核兵器廃絶を訴え続けてきた国民平和大行進への期待が語られました。原水爆禁止世界大会の成功、来年5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議への世論と運動を盛り上げていくうえで貴重な成果です」。
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09.5.31.pdf
北海道-東京コースは5月30日、道内最後の地点、函館に到着しました。
この日、平和行進の一行は全国縦断コースの通し行進者・五十嵐成臣さん(65)を先頭に、七飯原水協の人たちとともに七飯町役場前に到着。歓迎集会では、函館市からの参加者を含め約50人が出迎えました。新婦人七飯支部の人たちは、風船とキャンディーを配り、労をねぎらいます。
集会には中宮安一町長が駆けつけ「平和行進52年の運動がオバマ米大統領の核廃絶の演説につながったのだと思います。核兵器廃絶のため、ともに力を合わせましょう」とあいさつしました。
雲が厚みを増すなか、平和行進の一行は七飯町から函館市JR五稜郭駅に到着。新婦人函館支部「子組み班」の母親に手をひかれた子どもたちが五十嵐さんに「九条餅(もち)」を手渡しました。五十嵐さんは大喜びでした。
ガス会社前で、日本海南コース通し行進者の小川基弘さん(57)らと合流。約200人での行進になりました。
宣伝カーから「核兵器廃絶を願う人なら誰でも参加できる行進です。一緒に歩きましょう」と呼びかけると、沿道から手を振る人、「この行進はなんですか」と尋ねる高校生もあり、注目されました。
函館市内で午後6時から北海道での終結集会が開かれました。五十嵐さんは「核兵器の廃絶が現実になりつつあることが実感できるようになった。これから東京まで元気に行進します」。小川さんは「世界に広がる核兵器廃絶、平和の流れをさらに広げるためにがんばりたい」とそれぞれ決意を述べました。道原水協の岩淵尚事務局長が挨拶しました。平和行進は青森へ。
新宮市平和行進-北朝鮮への抗議採択-
5月29日17時30分。朝から降り続いた雨も上がり、新宮市平和行進が始まりました。
橋本年金者組合新宮支部長の挨拶の後、新宮市副市長の竹島氏が市長激励メッセージを代読。杉原弘規市会議員の連帯挨拶。通し行進者のわかやま市民生協の伊藤立氏の決意表明。
そして集会アピールは、今年の原水爆禁止世界大会(長崎)に参加する、和教組青年部・平田秀一氏が、決意を表明した後に提案。大きな拍手をあびました。
続いて、平和行進新宮市出発集会参加者一同の名前で、北朝鮮への核実験に対する抗議と要請文を採択し、郵送することを承認。
この頃から雨が再び降り始め、やがて土砂降りに。その中を110人の参加者は、整然と平和行進に出発。雨の中での沿道カンパは7012円。市長ならびに議長からも協賛金をいただきました。
印南町平和行進
5月28日17時30分、町役場前で30人が参加する中で出発集会が開かれました。町議会議長からいただいたメッセージを代読。町長からも協賛金を寄せていただきました。
平和行進での沿道募金は11943円も寄せられました。
高校卒業生が出発集会で世界大会参加の感想文読み上げ
昨年の世界大会に参加した紀央館高校卒業生が日高町平和行進出発集会で読み上げた感想文です。
「私は最初、原爆について何もわかっていませんでした。ただ、怖い・辛い...。そのことだけしか知りませんでした。でも、この行事に参加して原爆の本当の怖さ・辛さなどひしひしと伝わってきました。特に心が締めつけられ辛かったです。
色んな物が展示されているところにも行きました。とても見ていられませんでした。それほど怖かったです。
原爆ドームも見ました。夜と昼では違う見え方がしました。原爆ドームがある空間は、あの日のことを物語っているように思えました。見るだけで身震いがしました。
あの行事に参加して良かったと思います。自分にとってとても良い勉強になりました。そして、このようなことは、この先、絶対にあってはならないことだと強く思いました。
私にできることは、本当に限られた少しのことしかないと思うけど、何かできることがあれば、やっていきたいと思いました」
白浜町平和行進
5月26日17時20分。町役場前に35人が参加する中で出発集会が開かれました。白浜町原水協理事長・広田氏が地元代表挨拶。立谷町長はじめ湯川町議会副議長から、ともに激励メッセージがありました。
続いて、わかやま市民生協・湊氏、地元九条の会・木下延秀氏からの決意表明。主催者メッセージは川口氏から。集会アピール宣言は、地元の高田氏が読み上げ、最後に、新婦人・野口氏の指揮の下「青い空は」を大きな声で全員合唱しました。
すさみ町平和行進
5月27日17時20分、町役場前で出発集会が開かれました。たくさんの町職員の参加があり、50人となりました。
地元代表挨拶は、すさみ町原水協理事長・塩谷福夫氏。続いて激励メッセージは、副町長・柏木氏と議会議長・朝本氏からありました。決意表明は、年金者組合・加藤氏と、わかやま市民生協・湊氏から。三尾氏から集会アピール宣言が読み上げられました。
最後に「青い空は」をテープで流しながら大合唱。平和行進はメインストリートを一周し役場に戻りました。沿道募金は7000円が寄せられました。
平和行進は24日、室蘭市入りしました。室蘭市原水協加盟の平和団体や労組、民主団体から70人近くが参加し、中島商店街に「核兵器廃絶」の昭和を響かせました。
出発式で、通し行進者の五十嵐成臣さん(65)(東京在住)は「今年は核兵器廃絶への流れの大きな変化の中での行進です」とあいさつ。
平和委員会や新日本婦人の会、地区労連の代表は、核兵器廃絶への国際世論の変化を取り上げ、平和行進と原水爆禁止運動の前進へ決意を述べました。
行進終了後、「核兵器のない世界を」署名を訴え、短時間で102人が署名しました。
翌25日には、行進団一行は新宮正志室蘭市長と議長、教育長を訪問しました。核兵器廃絶の新しい展望について懇談し、3氏とも快く署名に応じました。
日本海コースの道内通し行進者、小川基弘さんが26日、せたな町入りしました。今金、せたな両町を日本共産党の江上恭司せたな町議と訪問し、副町長と懇談しました。
午後6時からは、北部桧山歓迎実行委員会の集会が町内で開かれました。小川さんは「北朝鮮の核実験に憤りを感じます。核兵器のない世界、平和を求める声を大きくしていきましょう」と語りました。
国民平和大行進の一行は、「核兵器を廃絶しよう」と訴えて北桧山市街地を行進しました。
田辺市平和行進
5月24日(日)、田辺市に着くとなんど晴れに。10時から市役所前で出発集会。収入役の福田氏が「真の世界平和に務めることが大切。世界大会の成功を」との市長メッセージを代読。
続いて、真砂みよ子市議からの激励メッセージ、和高教・わかやま市民生協からの決意表明、新婦人からの集会アピール宣言と続きました。
宣伝カーを先頭に参加者56人で平和行進。ビラ配布と沿道募金を行いながら、城下町風情を残した下屋敷から商店街を経て市役所前に戻りました。
また、市長・議会から協賛金をいただきました。
上富田町平和行進
5月25日(月)17時20分から45人の参加で出発集会が行われました。小出町長からの挨拶、九条の会・橋本惇夫氏からの地元代表挨拶、わかやま市民生協の湊氏から決意表明。続いて、川口氏からは主催者メッセージを。最後に谷口氏からアピールが読み上げられ、平和行進スタート。
合唱をテープで流しながら、真砂氏のトランペット演奏が合流し、盛り上がりました。また、町長、議会からは、協賛金をいただき、沿道カンパは4600円に上りました。
日高川町平和行進
5月19日17時30分、天候にも恵まれ、町役場前で出発集会。27人が参加する中で、収入役さんが「町長メッセージ」を代読、協賛金もいただきました。また、山本喜平議員からの連帯挨拶。
集会後は役場周辺を平和行進しながら、沿道でビラ配布と募金に取り組みました。
みなべ町平和行進
5月20日17時30分、町役場前で出発集会。和教組を中心に新婦人、年金者組合の人たちが集まりました。
集会が始まると、町職員も参加。町長からペナント、メッセージ、協賛金をいただき、参加者が約45人となりました。
集会後、町の商店街を平和行進し、沿道ではビラを配り、カンパも集めました。
美浜町平和行進
5月21日17時30分、町役場前で20人が参加して出発集会後、平和行進を行いました。
日高町平和行進
5月22日17時30分、町役場前で出発集会。約30人が集い、昨年世界大会に参加した紀央館高校の卒業生が読み上げた感想文に感動。
また、集会、行進を通じて沿道カンパと協賛金は4万円以上が寄せられ、「核兵器のない世界を」署名も多数集められました。
九度山町を平和行進
5月17日、町役場前で10時から20人の参加で出発集会が行われました。議長からのメッセージと町長からの協賛金をいただき、商店街に向けて平和行進を行いました。
高野町を行進
13時、高野町役場前で出発集会が行われ、町長と議長からのメッセージをいただきました。雨にも負けず、15人の参加で行進を行いました。
かつらぎ町出発集会に役場職員十数人が参加
5月18日17時30分、かつらぎ町役場前で開かれた出発集会には38人が参加。役場の職員が十数人も参加してくれました。また、来賓あいさつの中で町長メッセージを代読、それに、町長、議長からの協賛金をいただきました。
この後、新婦人の横断幕を先頭に、意気高く行進しました。
橋本市を行進
5月19日17時30分、橋本市役所前に53人が参加し、出発集会。市長からのメッセージと市長、市議会議長からの協賛金をいただきました。
この後、市職を先頭にシュプレヒコールを上げながら、元気良く橋本駅までの往復を行進しました。
5月19日、神奈川の最終日を迎えた平和行進。
湯河原の観光会館前の出発集会には、160人が参加。被爆者の会の吉野副会長が「今年も雨の日も風の強い日もありました。今日は静岡にバトンを渡す日、最後まで元気に歩きましょう」と挨拶。ピースリレーの富士見さん、地元湯河原実行委員会の小沢議員にもご挨拶をいただき、通し行進者の紹介の後、元気に出発しました。
駅前で、トランペット演奏の出迎え
沿道からは、次々と手を振って激励が来ます。カンパや署名を手渡してくれる人も。本日だけで沿道から寄せられたカンパは1万円を超え、署名は13筆でした。西さがみ原水協の皆さんが事前に沿道にチラシを配布してあったのです。
湯河原駅前では、いつものように松平さんと菅さんがトランペット演奏で迎えてくれました。
駅前を通過して、広崎公園で休憩。湯河原町の富田町長が挨拶されて、メッセージと賛同金をいただき、200人の隊列で引継ぎ地点の千歳橋川端公園へ出発。
千歳橋川端公園で静岡の行進団100人に引継ぎ
12時50分から千歳橋川端公園にて、静岡の行進団100人に引継ぎ集会を開催しました。県被爆者の会の田栗会長は、「長崎で実家が被爆した時、私は学生で福岡にいました。最初は<新型爆弾が落ちたが、被害は軽微である>とのことでしたが、長崎に帰ると焼け野が原、自宅も跡形もありませんでした。米大統領が核兵器廃絶の発言をしましたが、私たちの運動の継続・積み重ねが大切」と挨拶。パルコープの岸さん、神奈川労連の水谷議長、静岡行進団からもご挨拶をいただき、団体旗の引継ぎを行いました。
5月7日から13日間、34市町村を歩いた平和行進は、のべ5000人を超える参加者で大成功しました。ご協力ご参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました。夏の原水爆禁止世界大会成功に向けて頑張りましょう。
Aコース 小田原
出発式では、被爆者の会おだわら支部会長竹原さんがあいさつ。「14歳の時に長崎で被爆しました。自分は、山の隣にいたので助かりましたが、同級生の多くは亡くなりました。核兵器は絶対にあってはならないという思いで平和行進に参加しています」。地元実行委員会代表の原田さんは、「核兵器廃絶は抑止論だけで国際的な世論ではなかった。私たちは一貫して廃絶を訴えて運動してきたが少数派だった。オバマさんの発言で世界が変わりつつあります。日本政府は相変わらず核抑止を言っている。核兵器廃絶とともに、憲法9条改悪にも注目する必要があります」とあいさつ。通し行進者の紹介の後、みんなで「青い空は」の歌を合唱して出発しました。
小田原市役所では、市長の代理で鈴木総務部長が「原水爆の禁止と世界恒久平和の実現は全世界の共通の願いです。特に、核兵器廃絶に関しては、唯一の被爆国として強く訴えていく必要があると感じております」とメッセージを代読した後、賛同金を被爆者の方が受け取りました。
Bコース 秦野
秦野氏役所前で出発集会。最初に秦野市民平和行進実行委員会の中村実行委員長が、「オバマさんの核兵器をなくす宣言がありました。歓迎はしますが私たちの運動がより大事になったのだと思います。必ず核兵器をなくすために今日の行進を頑張りましょう」とあいさつしました。続いて、秦野市長と市議会議長があいさつ。
古谷市長は「秦野は平和を愛する町です。また、憲法を遵守する町です。憲法を市民憲章を守り、核兵器廃絶にすすみましょう。秦野は、8月15日を平和の日として制定し、今年はピースキャンドルを実施し、平和のともし火を広げていきます。原爆の火を広島市から譲り受け、永遠に秦野で灯したいと考えています」と激励してくれました。
山口市議会議長は「オバマさんが核兵器をなくす方向を明言しましたが、一方で日本は唯一の被爆国です。もっと世界に核兵器廃絶を(政府機関が)発信するべきだと思います。市議会も市民の安全、平和にむけてのいっそうの努力をします」とあいさつしました。
JA(農協)秦野からは、「日本の農業を守るための3つの方針を持っています。それは、皆さんの平和行進を成功させようとする気持ちと共通しています。頑張ってください」とメッセージが寄せられました。秦野市長・市議会議長・秦野市教育委員会から平和行進にペナントが渡され、被爆者の会秦野支部の代表が受け取りました。
全国・県内通し行進者の紹介。全国通しでBコースを歩いている松本さんは、「東京を出発して今日で13日目になります。初めて、きれいな富士山を見ることができました」と、富士山を見ながら行進。県内通しの米山さんは、「横須賀に原子力空母ジョージ・ワシントンがいる限り、平和行進を歩き続けます」と力強く訴えました。
武田信子さんが、「今日は、年金者組合秦野支部の仲間もたくさん参加してくれています。皆さんと一緒に元気に歩きます」とあいさつ。
続いて、塩瀬さんが「Aコース、Bコースで被爆者が元気に歩いています。今日も秦野支部の仲間がたくさん来てくれました。私は7歳の時に被爆しました」と、自らの被爆証言をし、あいさつを終わりました。
真鶴
真鶴町の町長・町議会議長を代表して、岡ノ谷町議会議長があいさつ。「心よりみなさんの平和行進を歓迎いたします。戦争を知らない世代が増えている中で、平和の尊さと核兵器の廃絶を訴えていくこの行進は、大変貴重で大事なものだと思います」と述べました。
町長と議長のペナントを、県内通し行進者の塩瀬さんが受け取りました。
続いて、真鶴平和行進実行委員会を代表して、東谷さんがあいさつ。「オバマさんが核兵器のない世界をと明言しました。それを実現させる草の根の運動が今こそ大事です。日本政府は先頭に立つ行動を起こさなければならないと思います。しかし、麻生首相は、水をさしています。足を引っ張る行動をやめてほしい」と述べました。
全国・県内通し行進者の紹介で県内の塩瀬さんがあいさつ。行進は80人で出発し、山坂が多くて大変な真鶴町ですが、町民の反応は良く、町民との交流を深めながら真鶴駅まで歩きました。
湯浅町から広川町への平和行進
5月15日、湯浅町役場前で17時30分から40人の参加で出発集会を行いました。平和行進中、ビラをまいていくと、お店の人が快く受け取ってくれました。
湯浅・広川町では、ともに町からのあいさつや町長ならびに議長からも協賛金をいただきました。
雨の中、御坊市を平和行進
5月17日10時、御坊市役所前において、50人が参加して出発集会。地元を代表して大川氏からのあいさつ、続いて県原水協・田中順也氏、市会議員・楠本文郎氏からのあいさつもありました。続いて、市民生協からの決意表明、アピール案採択、「青い空は」を歌って集会を終えました。
平和行進の最中にパラパラと雨が降ってきましたが、めげずに頑張り、沿道カンパは1万3306円にのぼりました。
由良町を平和行進
5月18日17時30分、町役場前で出発集会を行いました。集会には20人が参加し、収入役からのあいさつ、町長メッセージやペナント、協賛金もいただきました。
行進では商店街や沿道でビラまきを行いました。
札幌市入りした平和行進代表団は18日、市役所を訪問しました。
山形有祐秘書係長は「平和の事業は、力の入れすぎということはありません」と言い、募金、ペナント記載に協力しました。
幹線コースの通し行進者の五十嵐成臣さんと道内通し行進者の小川基弘さん、札幌実行委員会の石川一美実行委員長らは「核兵器のない世界を」と訴え、「上田文雄市長の顔写真が載ったニュースを市役所に張り、署名コーナーを設けてほしい」との要望を上田市長に伝えるように要請しました。
市議会では、出井浩義総務課長や新見琢磨秘書担当係長が応対。「ようこそいらっしゃいました」と歓迎し、「昨日は3コースで500人が行進しました」と説明すると、「大きいですね。平和の輪が広がっています」と話が弾みました。
Aコース 平塚・大磯・二宮
平塚市役所で出発集会。市長の代理で高田総務部長が大藏律子市長のメッセージを代読。続いて原爆被災者の会平塚支部の小賀さんが自らの体験を話しました。平和行進平塚実行委員会の西村さん(平塚民商)、ピースリレー実行委員会のコープ平塚コーディネーターの入井さんもあいさつ。通し行進者を紹介した後、出発。
大磯に向けて行進する中で、参加者がどんどん増え、200人を超える参加者が歩きました。
大磯町役場では、町長はじめ、町職員が出迎え。町長から「核兵器廃絶恒久平和をめざし、非核平和都市宣言をした。庁舎前に非核都市宣言記念碑を建てた。ご承知の通り第2次世界大戦における大勢の尊い犠牲の上に平和憲法が制定され、現在に至っている」と激励のあいさつがありました。
二宮に向けて110人が行進。途中、町と町民の浄財で立てられた「ガラスのうさぎ」を通ったときは、曲を流しながら説明。
町役場では、町長と町議会議長が出迎え。町長から「平和を願う気持ちは一緒」と連帯のあいさつを受けました。最後に参加者全員で「ガラスのうさぎ」を唱和して解散。
Bコース 厚木・愛川・伊勢原
厚木からの参加者は、厚木さつき公園で出発集会。はじめに「アンサンブルしじま」による歌で始まりました。「青い空は」「ねがい」を参加者で合唱。厚木革新懇の小池さんが司会を務めました。
厚木市長のメッセージを柿島次長が代読。続いて平和行進厚木実行委員長の新婦人厚木支部の五十嵐さんが、「オバマ発言は画期的。子どもを守るために核兵器廃絶を実現しないといけない。3歳と5歳の子どもを連れて参加すると意気高いあいさつ。全国通し行進者の松本さん、県内通し行進者の武田さんが紹介され、松本さんがあいさつ。120人の参加で行進がスタートしました。
愛川からの参加者は、愛川町役場で出発集会。山田町長、中山町議会議長のメッセージが届き、町長のメッセージを総務部長が代読。続いて、平和行進愛川町実行委員長の大倉さんがあいさつ。県内通し行進者が紹介され、被爆者の塩瀬さんがあいさつ。20人全員がプラカードを持って行進しました。
厚木公園での中間まとめ集会では、プラカードコンテストの結果が発表されました。
午後は、愛川町からの参加者も合流して、伊勢原市市民文化会館の会議室で出発集会。市教育委員会と原爆被災者の会が後援し、平和行進伊勢原実行委員会主催で行われました。
山田市民生活部長が市長のメッセージを代読。続いて、平和行進伊勢原実行委員長の浜本さんがあいさつ。被爆者の会の八洲さんが自らの体験を話しました。新婦人伊勢原支部が絵本『おこり地蔵』の朗読劇を披露。通し行進者を紹介後、全員で歌を合唱しました。
集会には110人が参加。行進には、被爆者7人を先頭に、80人で鶴巻温泉まで行進。小田急鶴巻温泉駅に到着すると、まとめ集会を簡単に行い、解散しました。
Cコース 箱根町
史上初めて箱根町を行進。箱根駅伝の出発地点「芦ノ湖」で出発集会。箱根9条の会の草柳さんが司会を務めました。
地元町役場に向かって16人で出発。道中、町民からの温かい激励を受けました。一旦、箱根町役場に着いた際には、トランペット奏者の菅ゆきさんが演奏で出迎え。午後は一緒に歩きました。湯本駅に着く頃には22人に。
箱根町役場に到着。町長のメッセージを山口庶務課長が代読。県平和大行進実行委員会から岩森さんがあいさつ。通し行進者が紹介され、「団結ガンバロー」で解散しました。
Dコース 清川村
清川村役場で出発集会。大矢村長から「平和行進に敬意を表している。オバマ大統領の発言もありましたが、皆さんの運動の努力があるからだと思います」と激励のあいさつ。続いて、山本村会議議長、遺族会の代表からもあいさつ。その後は8人で行進。午後はBコースに合流しました。
Aコース 藤沢市~寒川町~茅ヶ崎市~平塚市
9時に藤沢市役所に集合し、出発集会を行いました。藤沢市役所からは須山共生社会推進課参事が市長メッセージを代読、賛助金は被爆者の小川さんが受け取りました。ピースリレーの島田さんは「藤沢市は非核宣言だけでなく条例も作っている。市民もいろいろな催しに関わっている。これからも運動を広げていきます」とあいさつ。元気に出発しました。
茅ヶ崎市でも市長メッセージが市長代理により紹介され、行進団は本日の終了地点・平塚市役所に到着しました。
Bコース 大井町~山北町~松田町~開成町~南足柄市
9時30分、西さがみ原水協の庄野さんの「1市4町を歩く」コース説明の後、山田正大井町実行委員長がオバマ大統領の言葉を引用しながら「核兵器廃絶へさらに大きく運動を展開していこう」とあいさつ。県民懇談会の永沢丈夫さんは、来年のNPTで核兵器廃絶の具体化の報道を引用し、「この行進が(その役割を)大きく支えるものです」と話しました。また、通し行進者の紹介とあいさつ、被爆者のあいさつもいただきました。行進終了間近に雨が降ってきましたが、元気よく最後まで歩きました。
紀美野町平和行進
5月12日(火)17時30分、町役場前で開かれた出発集会に32人。議会中にもかかわらず、10人の議員さんが参加してくれました。また、町長からの協力金、町長並びに議会議長からもメッセージがありました。その後、20人で平和行進を行いました。
有田川町平和行進
5月14日(木)17時30分。町役場前において開かれた出発集会に40人が参加。有田川原水協の川崎氏からは、オバマ米大統領演説にもふれながらの主催者挨拶。
また、副町長・山崎氏からの来賓挨拶では、戦争の悲惨さを受け継いでいくことの大切さと恒久の平和を、という激励の言葉も。続いて、松坂英樹県会議員から連帯の挨拶、議会からの協賛金の紹介、市民生協の林氏からの決意表明、最後に集会アピールを確認しました。
その後、さわやかな風とほのかなみかんの花の香りをあびながら、マツゲン吉備店まで平和行進を行いました。
原爆症認定 国が十七連敗!
中谷理事長・樋尻副理事長・白井事務局長の3人が15日(金)大阪高裁の法廷に入り、判決を聞きました。判決報告のつどいで、弁護士からは、森さんの認定がなかったが、この判決は力になる、と指摘。また、厚生労働省が「全員認定はない」と反撃してきているので、なお、もう一層の運動を、との支援の訴えがありました。
葉山~逗子~鎌倉を100人が行進
今日は、葉山町役場から出発。葉山町の森英二町長が被爆者7人とともに行進の先頭を歩き、「オバマ大統領は、自分が生きているうちに核兵器を廃絶できないかといいましたが、私は、自分の生きているうちに、被爆者の生きているうちに、核兵器廃絶をしようと決意している」とあいさつし、大きな拍手が起こりました。
被爆者の会・葉山支部の井口さんは、葉山町長と葉山町議会議長から平和行進賛同金とペナントを受け取り、「今年90歳になります。生き続けて被爆体験を語りつづけたいと、意地を通しています。みなさんと一緒に元気に歩きます」とあいさつしました。そのほか、葉山実行委員会の阿部さん、ピースリレー実行委員会・葉山エリアコーディネーターの小林さん、全国通し行進者の松本さんがあいさつしました。
逗子に入る
平井逗子市長が、「核兵器廃絶に向けた機運は、増大しています。逗子市は、毎年、中学2年生20人を長崎・広島に派遣し、平和活動を推進しています。核兵器廃絶に向けて、力を合わせて頑張りましょう」とあいさつしました。
原爆被災者の会・逗子支部(つばさの会)の井関さんは、「美しい葉山や逗子をこの湘南の地域を、核兵器で汚させてはならない。私は64年前長崎で被爆し、死傷者の救護にあたりました。その時の悲惨な状態は言葉に尽くせません。核兵器廃絶のために頑張って歩きます」とあいさつしました。
逗子の被爆者の会の7人が行進の先頭にたって歩きました。逗子市役所には「池子の返還は市民の願い、米軍住宅増設反対!」と大きな垂れ幕がかかっており、参加者を激励していました。
鎌倉入り
鎌倉駅を出発し、鶴岡八幡宮だんかづらを100人で行進。
鎌倉市役所で、市長代理の生涯学習部金川部長が鎌倉市長のメッセージを代読。「2010年にむけて、運動を前進させるときです。非核宣言自治体に加盟している鎌倉市は、非核行政をいっそう推進します」と述べました。
鎌倉の被爆者、活田さんの被爆証言は、聞いている者を本当に引き入れるものでした。
平和行進は鎌倉市役所を出発し、市内を回り、大船観音で被爆証言を聞く会を開催しました。松平晃さんのトランペットに続いて、被爆者の会・中村事務局長が報告。「今日、大阪高裁で原爆症認定集団訴訟の判決がありました。私たちが勝利しました。17連勝です。今月28日に、東京高裁の判決が出ます。ここで、国が負けたら政治決着に踏み切ると政府は言っています。原爆裁判の全面勝利を意味します。それをめざして、平和行進を頑張りましょう」とあいさつしました。
つづいて、鎌倉の被爆者で県内を通し行進している塩瀬さんが自らの被爆証言を行いました。その後、大船観音に奉られている3つの原爆の碑について説明を受け、集会を終わりました。
9:15 三浦市役所で出発集会。杉山副市長が「みなさんのこのような地道な行動の積み重ねが、団体の枠を超えた行動の広がりを作っています。心から敬意を表します。ビキニで被災した町・三浦の象徴として平和のモニュメントを作りました。一歩一歩の行動が今大事になっています。がんばってください」と三浦市長挨拶を代読しました。
つづいて「コープかながわピースリレー事業実行委員会」の内藤さん、核兵器廃絶三浦市連絡会の川原さん(三浦市職労)があいさつ。川原さんは、「原子力空母の放射能事故の危険が高まっています。三浦市は今から55年前、ビキニの水爆実験で死の灰の恐怖を味わった街です。そのことを訴えて歩きます。そして私たちは、今年の原水爆禁止世界大会に向け、市民代表を公募し、かつてない運動を三浦市で盛り上げます」と決意を語りました。
全国通し行進者の矢部さん(JMIU )、松本さん(うたごえ協議会)につづき、県内通し行進者6人が紹介され、代表して米山さんがあいさつしました。
80人で三浦市役所を出発し、さわやかな天気のもと、三崎口駅まで元気に行進しました。
午後は北久里浜第4公園で出発式をおこないました。
出発集会では、行進の総指揮者で県原水協代表委員の今野宏さんが、「オバマ大統領の核兵器のない世界へという演説で、今運動に弾みがついています。しかし日本の政府は核の傘から抜けようとしていない。私たちの運動は今重要なときを迎えている。8月の大会へ向け、この行進を成功させ、大会成功へ、また、来年5月のNPTへ向け新たな運動の広がりを作りましょう」とあいさつしました。
つづいて「県原爆被災者の会横須賀支部(なぎさ会)」事務局長の楠本さんがあいさつ。「被爆者は今、平均年齢が75歳です。今日は6人が参加していますが、80歳台が2人、70歳台が3人、60歳台が1人の構成です。かなり被爆者は一緒に歩くことが困難な状況ですが、みなさんの元気をもらい歩き続けたいと思います」と話しました。
全国通し行進者の松本さんは、「今職場を失う労働者が増えています。その悔しい思いを平和行進に託してがんばります。来年のNPT再検討会議にも参加する決意です。私は22年間職場の門前で6・9行動を続けてきました。非核神戸方式が神戸港で適応されて、米軍の艦船は一隻も入っていない。私の住んでいる姫路には3回入って、揺さぶりをかけているが、断固神戸方式を守っていきたい。神戸方式をこの横須賀でも横浜でも広げたいと思い歩いています」とあいさつしました。
県内通し行進者を代表して地元の米山さんが、「原子力空母母港化の撤回を進めましょう」とあいさつしました。
120人で元気に出発し、途中安浦公園で休憩し、横須賀中央駅を通り、市役所前の公園に到着。横須賀市長のメッセージを市長代理の松本義弘国際交流課長が代読し、賛同金とペナントをなぎさ会の楠本事務局長に手渡しました。
また来月の横須賀市長選挙に立候補を予定している呉東正彦弁護士が駆けつけ、「本当にご苦労様です。立候補を表明して以来、小集会を50回ほど行い、横須賀市民へのサポートの必要性を実感しています。横須賀を変えたいと痛切に感じています。5千人を目標にしている『市民の市政をつくる会』にぜひ入ってください。また小集会を開いてください。6月11日には、文化会館で1000人規模の集会を開きます。ぜひ参加してください。私たちの力となる市政を作りましょう。苦しい生活を支える市政を作りましょう。何よりも原子力空母の母港化撤回を頑張ります」とあいさつし、盛大な拍手で行進団は応えました。
行進は米軍横須賀基地へ。基地ゲート前では、「原子炉修理は約束違反。すぐに中止を。私たちは空母の母港化を撤回させる」と英字で記した横断幕や「原子炉修理は約束違反」のプラスターを掲げ、全員で米軍犯罪に抗議し、凶暴な米軍犯罪で殺された人へ1分間の黙祷をささげました。
行進団はヴェルニー公園まで行進して解散しました。
Aコース(港南・磯子・金沢)
9:15 上大岡イトーヨーカドー前で120人の出発集会。地元実行委員会の門倉さんが、「オバマ発言に勇気づけられた。発言実行のため、これからも運動を続けなければならない」、コープかながわの代表は、「私たちも署名・原爆展など核兵器廃絶めざし運動をおこなっている。これからも一緒に運動を強めたい」とそれぞれ挨拶しました。
行進団は総勢120人で杉田駅をめざして元気に出発。途中、コープ笹下店で休憩し、12時過ぎに京急杉田駅に到着。午前中の行進に参加した港南区・磯子区のみなさんは、ここで解散。一日行進のみなさんは、昼食を取り電車で京急六浦駅、そして六浦公園に移動しました。
14:00 六浦公園を70人で出発
途中、池子米軍住宅の追加建設計画予定地の池子の森を見ながら、地元実行委員会の黒田さんが、建設計画の現状について説明。行進団は、貴重な自然と緑を破壊し、「思いやり予算」で米軍住宅が建設されようとしていることに強い怒りを広げ、池子の森を後にしました。
その後、行進は、コープかながわ六浦店で休憩し、最終地泥亀公園に到着。公園で、まとめの集会をおこないました。
集会では全国通し行進者の矢部さん、県内通し行進者の米山さん、栖原さんがそれぞれあいさつ。コープかながわの板垣さんは、「オバマ大統領は、自分の生きている間に核兵器はなくならないだろうといいましたが、私は早く核兵器をなくして平和行進をしたい」とあいさつ。新婦人の網野さんは、「通し行進者のチラシ配布の後から署名を訴えてきたが、快く署名をしてくれた。NPTに代表を送りたい」とあいさつ。
池子のみどり・平和・自治金沢連絡会の竹中博美さんは「今、核兵器廃絶が第1に重要。平和と基地撤去のためがんばろう」とあいさつ。最後に「青い空は」を、みんなで歌って解散しました。
Bコース(泉・戸塚・栄)
9:45 地下鉄立場駅前で120人の出発集会。戸塚・泉・栄平和行進実行委員会代表のコープかながわの藤崎さんが、「オバマ大統領の核兵器廃絶表明は、私たちの運動の成果です。今年の平和行進は原水爆禁止世界大会、NPT再検討会議につながる特別意味のある行進。がんばりましょう」とあいさつ。地元共産党の岩崎さんが、「オバマ大統領の呼びかけに応える運動として、この平和行進もあり、その目標への一歩一歩の積み重ねです。深谷通信所の返還の目途は立っていない。運動を強めよう」と呼びかけました。
16歳のとき、長崎で被爆し、今年80歳になる被爆者の会の小川さんは、「昨年はみんなと歩き、若いみなさんのパワーをもらった。今年は歩けないが、行進団のみなさん、若いみなさんの元気なパワーをもらって頑張ってください」と激励しました。
全国通し行進者の松本さんは、「兵庫県から来たが、神奈川を歩いて米軍基地の多さに驚いている。基地なくせ!オバマの意見を実らせよう。NPT会議成功めざしがんばろう」と、県内通し行進者4人を代表して武田さんが、「6歳のとき、横浜大空襲にあった。戦争いやだ!核兵器だめだ!と訴えて歩きます」と各々決意を語りました。
行進団は、被爆者4人を先頭に、神奈川土建戸塚支部の25人など総勢250人で出発。米軍深谷通信所では、戸塚原水協の佐藤さんから、基地の現状についての説明がありました。その後行進は、コープかながわハーモス深谷で休憩を取りました。
13:00 コープハーモスを70人で出発
小雀公園で小休止。コープかながわから差し入れ。行進は16時頃、本郷台駅に到着し、まとめの集会をおこないました。昨年に続いての県内通し行進者の被爆者・塩瀬さんが、「核兵器廃絶の絶好のチャンス。なんとしても廃絶を勝ち取る決意で歩いている」、全国通し行進者の松本さんは、「神戸方式の兵庫から来た。神戸方式を全国に広げよう」とそれぞれあいさつ。県内通し行進者の和歌山生協の岡村さんも、「明日も元気に行進しよう」とあいさつし、解散しました。
岩出市平和行進
5月10日(日)10時30分。真夏のような五月晴れの中、市役所前で。
那賀原水協を代表して土屋伊都子氏が挨拶。続いて、市長メッセージ(総務部長代読)。那賀高校の代表の挨拶。決意表明は、わかやま市民生協郡市通し行進者の楠井進氏から。80人の参加で平和行進を行いました。市長よりの協賛金。沿道でのカンパは、1万6880円が寄せられました。
紀の川市平和行進
5月10日(日)14時30分。市役所前において、「オールスターズ」の歌声から出発集会が始まり、主催者、年金者組合、紀の川市からの挨拶のあと、ハンドマイクでシュプレヒコールも入れながら、60人の参加で晴れ晴れとした平和行進となりました。沿道カンパも1万6617円にのぼりました。
海南市平和行進
5月11日(月)17時30分。市役所前で、主催者、市長メッセージ(総務課長代読)、雜賀光夫県会議員からの挨拶のあと、宣伝カーを先頭に平和行進が始まりました。ハンドマイクで「へいわこうしんで~す」と、商店街を道行く人びとに呼びかけながら行進しました。行進が進むにつれ、参加人数も67人にもなりました。
核兵器廃絶を目指す「2009年国民平和大行進」の釧根幹線コースは、根室市のノサップ岬を出発し、浜中、厚岸、釧路、弟子屈、標茶の各町をまわり、12日、釧路市に入りました。
蝦名大也釧路市長からペナントと平和のメッセージを受け取った行進者は、釧路市の鶴ケ岱公園から城山十字街、幣舞橋、北大通りを80人で行進し、栄町平和公園で集会を開きました。
雨が降り肌寒い天候のなか、参加者は、元気よく核兵器廃絶の訴えをしました。傘をさした市民が手を振って激励していました。
通し行進者の浜田種樹さんは「オバマ米大統領の発言が情勢を大きく変えている雰囲気を、行く先々で感じています」と強調。参加団体からは「来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議まで核兵器廃絶の署名目標をやりきろう」と意気高い発言が相次ぎました。
標茶、弟子屈を訪問 町長らと平和語り合う
2009年国民平和大行進が12日、標茶町を訪れました。訪問したのは、通し行進者の浜田種樹さんと釧路市原水協山本隆幸事務局長。及川直彦副町長、平川昌昭町議会副議長、島田哲夫教育委員会管理課長が応対しました。
通し行進者の浜田さんは、「核兵器のない世界」を国家目標に掲げたオバマ米大統領の演説に触れ、「2010年の核不拡散条約再検討会議に向け、核兵器廃絶の約束を実行させるため世論を盛り上げます」と話し、ペナントへの署名や国際署名を訴えました。
及川副町長は「長い行進なので頑張っていただきたい」と激励。「『核抑止力』の理屈は、我々にはよくわからない。負けたくないからとどんどんエスカレートしています。核を作っている人は結局、自分の生きる場所を狭めています」と話しました。
弟子屈町では、徳永哲雄町長、八幡豊行議長、小林俊夫教育長と懇談。核兵器は人類の生存と相いれないという話から環境破壊の話で盛り上がりました。
Aコース(横浜市保土ヶ谷区、西区、中区、南区、港南区)出発集会
「平和行進保土ヶ谷区懇談会」を代表して小島さんが「オバマ大統領が核兵器のない世界を求めるといった。これは私たちの運動が言わせた大きな成果。保土ヶ谷区では今回初めて国民平和行進と話し合って、今日の行進を準備しました。来年に向けさらに共同を広げたい」と挨拶しました。
原爆被災者の会の小川さんは「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から63年が経ちました。私は16歳のとき長崎で被爆しました。もう皆さんと一緒にこうして歩けない被爆者が増えている。今日は若いパワーをいただきがんばります」と決意を語りました。
全国通し行進者の矢部常次さんは「私は現役労働者です。90日間の休みを取り、広島まで歩きます。昨日は沿道の高校生に、『何やってるの?』と聞かれ説明したけど腑に落ちぬ顔。それでもがんばって!と声援してくれた。多くの人に訴え今日も頑張ります」。
県内通し行進者の伊藤久子さんは「今日は県内行進の折り返し点。あと8日間がんばります」と語り、全国通し行進の栖原秀夫さん、岡野愛一郎さん(和歌山市民生協)も紹介されました。
行進は120人で天王町駅前公園を出発し、桜木町を通り昼に横浜市役所に到着しました。そこでBコースと合流し、横浜市国際課政策室の山本課長から「横浜市はピースメッセンジャー都市でこれまでもいくつかの平和施策を行ってきました。平和行進のみなさん本当にご苦労さまです。ともに世界の平和をめざし、戦争なくすためにがんばりましょう」と挨拶を受けました。
それから県庁まで歩き、神奈川県知事からの挨拶を受けました。知事メッセージ全文は、賛同・激励メッセージコーナーに掲載。
Bコース(神奈川区、西区、中区)
神奈川区役所前の反町公園で出発集会。岡田優子神奈川区長から「反核平和運動に敬意を表します。神奈川区でも安心して暮らせる街づくりをすすめる上で国際貢献は重要と考えています」とのメッセージを受けました。
神奈川県原爆被災者の会の佐藤副会長は「私は15歳のとき広島で被爆しました。オバマ大統領は核のない世界を宣言したが、ぜひ一度広島に来て被爆の実相を見てほしい。世界が変わりつつある中で、日本はもっと核兵器廃絶のイニシアチブをとってほしい」と挨拶しました。
120人で出発し、ノースドックでは、柴田前市会議員から「横浜市の基地返還にアメリカは700戸の住宅を代わりによこせと。しかもノースドックや鶴見貯油施設の返還は言わない」と説明を受けました。
途中の休憩では牛乳の差し入れもあり、元気に横浜市役所に到着しました。生活と健康を守る会からの参加者は視覚障害者で、ボランティアのサポートを受け行進しました。
Aコース(海老名市役所~上瀬谷米軍基地)
海老名市役所での出発集会では、高橋企画部長から市長のメッセージが読み上げられ、市長と市議会議長から賛同金とペナントが寄せられました。
原爆被災者の会海老名支部事務局長太田さんからお礼をかねて挨拶を行いました。「県下には5280人の被爆者がいます。そのうち海老名・綾瀬・大和で2700人います。昨年100人近くが亡くなりました。もう時間がありません。生きているうちに核兵器廃絶を」と訴えました。
続いて、海老名市実行委員会の志村さんから挨拶。全国通し行進者矢部さん、県内通し行進者の岡村さん、栖原さん、米山さんの紹介。2人から決意表明がありました。
行進は80人で出発、13日のうち、もっとも長い行進です。
各市からぞくぞくと歓迎のメッセージ
綾瀬市役所へ。毎年、市議が多数激励に見えます。副市長の高島さんが市長メッセージを代読。「今年も綾瀬市を訪れていただきありがとうございます。皆さんと一緒に核のない世界を実現しましょう」。続いて、吉川議長が「52回目の行進、心からお祝いします。私たちは唯一の被爆国民です。また、戦争をなくすと誓った国民です。世界のトップに訴えましょう」と挨拶しました。
駆けつけた10人を超える市議を紹介いただき、海老名の被爆者の豊さんが、綾瀬市長と市議会議長の賛同金とペナントを受け取りました。
厚木基地前でシュプレヒコールを行い、大和駅前に。行進は綾瀬市内104人、大和市内を70人が歩きました。
大和駅前で、大和市文化・スポーツ部長の酒井さんが市長メッセージを代読しました。
13日間で一番長い距離の行進 のべ400人が参加
旭区100人、瀬谷区70人の行進。細谷戸公園でまとめ集会。瀬谷・綾瀬実行委員会を代表して河治市議と堀野さんがそれぞれあいさつ。総責任者の鴨居さんが労をねぎらいました。
大和の被爆者の加藤さんが被爆体験を語り、行進を終えました。
Bコース(港北区役所~米軍鶴見貯油施設)
港北区役所での出発集会。区政推進課長の中田さんが「今年もみなさんの行進をお迎えできました。オバマ大統領の発言も、みなさんの地道な運動があったからでしょう。これからも頑張ってください」と行進を激励しました。
被爆者で県内通し行進者の塩瀬さんの決意表明につづき、地元実行委員会を代表して白井市議から「世界が核兵器廃絶に向かう中、横須賀への原子力空母配備は許せない。撤回の運動を強めましょう」と挨拶がありました。
全国通し行進者の松本さんは「昨日は緑区の米軍機墜落現場を歩きました。米軍基地があるから、あの悲惨な事件は起きたと改めて実感。米軍基地は撤去しかない」と決意を述べました。
出発集会を終え、120人が元気に出発しました。
コープかながわ末吉店で昼食休憩集会
昼食休憩をかね、ミニ集会を開催。港北在住の成田さんの紙芝居を見ながらお話を聞きました。「私は満蒙開拓青少年義勇軍として、14歳で満州へ。すぐ敗戦を迎えたが、ソ連軍によりシベリアで3年間抑留された。多くの仲間が餓死する中、なんとか帰ってこれた。無事に仕事も定年できたが、友人たちを思い、自身の体験を紙芝居にし、その時の話をしています。二度と戦争をしてはいけない」。
続いて、80歳を過ぎ、まだまだ元気な林さんが、東京大空襲の体験談を話しました。
午後の行進は80人。若いお母さんたち4人が乳母車を押しながらの行進参加も。鶴見区役所を通り、地域振興課長の池田さんから挨拶をいただきました。
その後、商店街などを行進し、米軍鶴見貯油施設へ。中島議員から施設の説明があり、「横田や厚木にジェット燃料が運ばれていく。以前には火災事故も起こった。早期返還を」と訴えました。
ゲート正面で元気にシュプレヒコールした後、行進を解散しました。
5月11日(月)8時45分から快晴・真夏日の高松市役所前で原水爆禁止国民平和大行進四国-広島コースの出発式が行われました。
最初に実行委員会を代表して香川県原爆被害者の会高松支部長の山田悌二氏が、「毎年行われている平和行進で汗を流して歩く一歩一歩が『核兵器のない世界』の実現に必ずつながります」と述べました。また、原爆症認定患者が新しい基準の下で3000人になったと言っても、わずか被爆者の2%にも及ばず、被爆者の実情とはかけ離れた状況で、一日も早い救済措置の必要性を訴え、参加者の協力を要請しました。
その後、高松市長代理から激励の挨拶を受け、通し行進者2人が初めて歩く四国の地で、核兵器廃絶を沿道の皆さんに元気よく訴えて最後まで行進すると挨拶、大きな拍手に包まれました。
四国コーススタートのこの日は、さぬき市のJR志度駅に到着後、参加者で「核兵器のない世界を」の署名行動を行いました。短時間でしたが36筆の署名が寄せられました。実行委員会では短時間でも必ず署名行動をしようと張り切っています。この日の行進者は延べ56人、出発式は61人でした。
原水爆禁止国民平和大行進の幹線コース(北海道-東京)が11日、滝川市入りし、市役所前の平和公園で通し行進者の五十嵐成臣さんの歓迎集会が開かれました。
櫛田菊治郎滝川実行委員長は、オバマ米大統領発言にふれ、「来年のNPT会議まで一人50人分を目標に署名運動を進めよう」と呼びかけました。
五十嵐さんは「核兵器廃絶へ行動するというオバマ発言は現実味を持ってきています。草の根の世論をもっと広げましょう」と元気いっぱい語りました。
参加者は、集会に先立って市内を行進し、「ノーモアヒロシマ・ナガサキ、核兵器をなくそう」と市民にアピールしました。
相模原コース 在日米陸軍相模総合補給廠前で「基地返せ!」と200名が抗議
8:45集合時刻となったJR相模原駅前のペデストリアンデッキは、200名の参加者でにぎわっていました。横断幕、のぼり、思い思いのプラカードを手に持ったりして、にぎやかに出発集会が開かれました。
最初に挨拶に立った原爆被災者の会の原田さん(76歳)は、原爆症認定集団訴訟の原告団の一人。「何としても勝利を」と支援を訴えました。行進には、92歳の本田元事務局長はじめ8人の被爆者が参加していることが紹介されました。
コープかながわ代表の清水さんは、相模補給廠の戦闘指揮訓練センターの建設に反対しましょうと訴え、相模原原水協の中里さんが、「世界の流れは、核兵器廃絶に大きく変わっている」と挨拶しました。
最後に全国通し行進者の矢部さんが元気に挨拶し、200名の参加者は核兵器の廃絶を訴えて行進しました。
座間コース 「第1軍団は帰れ!戦争司令部反対!」と怒りのシュプレヒコール
小田急座間駅に集合し、出発した150名の平和行進参加者は、「核兵器なくせ!基地なくせ!」と訴え元気に行進しました。在日米陸軍司令部、米陸軍第1軍団前方司令部のキャンプ座間の基地正門前では、宣伝カーを止め、150名の参加者が、「第1軍団は帰れ!戦争司令部反対!基地を返せ!」と怒りをこめてシュプレヒコール。市民の迫力ある抗議行動が行われました。
終着点の座間市役所では、座間被爆者の会の本荘会長が、「ノーモア広島、私たち以外のものに被爆体験をさせたくない。核兵器廃絶を本当に実現しよう」と訴えました。
コープかながわの清水さん、国民平和大行進実行委員会の中澤邦雄さんがそれぞれ訴えをし、応対した座間市の清田市民部長は、「昭和32年に設立された座間市原水爆禁止協議会と協調しながら、市民ぐるみで被爆者援護施策の充実に努めている」と、市長のメッセージを代読して、ペナントと激励金を行進団に寄せてくれました。
都築・青葉・緑コース
地下鉄都築ふれあいの丘駅に集合し、小黒公園で出発式をした行進団は、神奈川県の通し行進者、塩瀬さんの「今日が私の誕生日、核兵器廃絶めざし、元気に歩きたい」との決意にニッコリ。
コープかながわの藤田さんは、「オバマ演説に感激しました。核兵器の廃絶を実現するため頑張りましょう」と訴えました。浜建労の関さんも、核兵器廃絶に向けての力強い挨拶をしました。
新婦人の代表から緑区のジェット機墜落事故の説明を受け、青葉区役所では、応対した伊原総務課長から激励の挨拶を受けました。参加者はのべ180名でした。
宮前区役所で松平さんのトランペットで出発式
宮前区実行委員長の田中さんは、「宮前区第1回平和行進です。52回目でようやく実現しました。昨年9月に原水協を再建し、『来年は平和行進をしよう』と相談して実現しました。今、核兵器廃絶の大きなうねりがあります。これを実現させるのは私たちの1歩からです」と挨拶しました。
松下孝則区長は、「宮前区を初めて歩かれる平和行進に期待しています。地球上から核兵器をなくすために、こういう行動が一番大事だと思います。そして継続していくことが何よりも大事です。皆さんの行動が成功することを期待します」と激励。
神奈川県原水協の永沢事務局長は、「昨日川崎区、幸区、中原区と歩いてきました。7区全部を歩きます。宮前区でこんなにたくさんの人で準備してくれてありがとう」と感謝の言葉を述べました。
初めて参加した被爆2世の方は、「両親が広島で被爆。両親から聞いた話が怖くて広島に行くことも、話すこともできなかった。今日は思い切って参加して、やっぱり話さなければと思いました」と感想を述べました。
100名で出発。先頭は2メートル50四方の紙で折った折り鶴。沿道の関心も高く、励まされて歩きました。
高津区役所で副区長が挨拶
坂本副区長が「オバマ大統領が核兵器を使った唯一の国として核兵器をなくすために努力する義務があると宣言したことは良いことです。川崎市も平和都市宣言をしています。核兵器のない世界を子どもたちに残しましょう」と挨拶しました。
川崎実行委員会の宗田さんは、「95年にスミソニアン博物館に行きました。原爆パネルは展示を拒否され、原爆を落としたエノラゲイが展示されていました。オバマ大統領の発言は、反核平和運動の成果です。これからもご一緒に核兵器のない世界を目指しましょう」と呼びかけました。
被爆者の山口さんは、「高齢になって思うように動けないけれど、若い人に受け継いで広めてほしい」と訴えました。
通し行進者の松本さんは、「6日から出発して3日間雨だったが、オバマ発言への被爆者のみなさんの喜びの雨のように思われる」と述べました。
高根森林公園で合流
200名で多摩区役所へ。出発にあたり、実行委員の岡本一さんが、「川崎市では540名が歩いてきました。横須賀市長選挙、総選挙、川崎市長選挙があります。選挙で勝って大きな平和の力を基礎に頑張りましょう」と挨拶しました。
多摩区役所で区長代理から激励
三橋君枝区長代理より、「あなた方のような、地道な行動の積み重ねが一番大切だと思います。さらに輪を大きく広げてください」と挨拶がありました。東京の全印総連創行舎分会から11人が参加しました。
途中で生協の人が冷たいジュースの差し入れ、美味しかった!
麻生区役所で区長が待っていてくれる
磯野区長が待っていて、「皆さんの平和への願い、平和への行動に敬意を表します。核兵器を廃絶させることは私たちの責務だと思います」と挨拶しました。麻生の利根川実行委員長が閉会挨拶し、2日間で川崎7区の平和行進を終えました。
5月9日、和歌山市の庁舎前において、原水爆禁止国民平和大行進の和歌山・広島コースの出発集会が開かれました。10時から30分、集会参加者は、歌声オールスターズが歌う平和の歌を聴いたり、一緒に歌いながら毎年恒例の平和行進が醸し出す雰囲気を感じていました。
出発集会は和歌山市原水協・神崎代表のあいさつで始まり、来賓として和歌山市民生活部長・富松氏の市長メッセージの代読、県原水協の中谷理事長の主催者代表あいさつがありました。
決意表明として、ピースネット(青年)代表の川野さん、和歌山市民生協の北田さんが平和のとりくみについて訴えを行った後、集会アピールを採択して終了しました。
平和行進は、横断幕を先頭に昨年の雨天とは打って変わり、30度近い炎暑の中をJR駅頭まで約3キロの道のりを「核兵器をなくせ」「憲法9条を守れ」「非核日本を実現しよう」とうったえながら行進しました。
行進参加者は280人(昨年247人)と昨年より増えました。マスコミの取材(『朝日新聞』、『読売新聞』、『わかやま新報』各社)、テレビ局のカメラなど(関西テレビ、テレビ和歌山)、オバマ米大統領のプラハ演説・来年ニューヨークの国連本部で開かれる核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けての期待・関心を感じる出発集会・平和行進となりました。
参加者の感想
「たくさんの参加者で意識の高まりは感じられたが、沿道の市民、ドライバーの関心があまり感じられず、参加者だけの高まりにとどまっている感じを受けました。今後、核兵器廃絶の署名の取り組みの必要性を痛感しました」
国民平和大行進は9日、旭川市に入りました。通し行進者を先頭に、18団体100人が自衛隊第2師団前から市役所前までの約3キロを力強く行進しました。「核兵器を廃絶しよう」「憲法を守ろう」の唱和に、商店街から手を振って応える市民の姿も見られました。
集結集会では、阿部理道北原水協代表理事が「オバマ大統領のプラハ演説に見られるように、核兵器廃絶の動きが新たな段階にきています。来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、さらに運動の輪を広げましょう」と訴えました。
通し行進者の五十嵐成臣さんは「核兵器をなくす展望が開けつつある時期です。東京までしっかり訴えていきます」と語りました。
集会後、市内中心部で署名行動。参加した高橋正樹さんは「市民の反応がよく、継続してきた運動の成果が情勢に反映していることを実感しています」と話していました。
川崎市役所出発式
司会は川崎実行委員会の大沢さん。市長のメッセージを市民子ども局男女共同参画室主幹青山正彦さんが読み上げました。
原爆被災者の会山口よしこさんが、「私は広島の被爆者です。原爆が落ちた時、一瞬にして気を失い、気がついた時は瓦礫の下に埋まっていました。家族みんな亡くなりました。そのことが私の反戦、反核の運動の原点です。」と挨拶しました。
川崎の平和行進実行委員長の笠木さんは、「オバマ大統領が『核兵器のない世界をめざす』といったことは画期的です。今,国連のNPT再検討会議準備委員会で、来年のNPTでは何としても廃絶までいこうと話された。この平和行進はその行動を支える大事な行動です」と挨拶。
全国通し行進者2名が紹介され、矢部常次さんが挨拶、県内通し行進者6名のうち、団長の伊藤ヒサ子さんが挨拶しました。
川崎市長メッセージ
(前略)川崎市は昭和57年に他の都道府県、政令都市にさきがけて、非核三原則の完全実施と核兵器の廃絶及び軍縮を世界に求める「核兵器廃絶平和都市宣言」を行いました。この宣言を生かし、様々な平和事業に取り組んでおります。(中略)今後とも、悲惨な戦争体験や被爆体験を風化させることなく、21世紀を担う子どもたちに平和の尊さを伝え継ぐために、積極的に平和事業を推進してまいりたいと存じます。
幸区役所 参加者100人
区長メッセージを副区長の森下さんが読み上げ、休憩してから、平間公園に向けて出発。平間公園では地域原水協、年金者組合、新婦人の接待を受けました。
中原平和公園へ 参加者120人
鈴木菊夫平和館館長が挨拶。中原原水協の清水洋子さんが、「平和館ができる前は米軍基地で、謀略ビラなどを作成する印刷所でした。返還運動がおこり、返還させ、中原平和館、平和公園、住吉高校が建設され、今では、平和活動の拠点となっております」と平和館の由来を説明しました。
医療生協、新婦人、原水協の皆さんが200個のおにぎりを用意してくれて、昼食休憩。雨もあがり、のぼりを乾かし、出発!
1時半中原出発。ブレーメン通り商店街を「平和行進です」と連帯して歩きました。再び雨が降ってきて、傘をさして歩きました。
コープかながわ井田三舞店で休憩。新城公園で行進を終了しました。
東京から250人、神奈川から250人の500人が5月7日、雨の中を行進。午後2時15分、多摩川を渡った東京六郷土手公園で出発集会を行いました。
「核兵器廃絶と平和な世界に向かって歩きましょう」-。今年52回目を迎えた2009年原水爆禁止国民平和大行進が6日、スタートしました。
時おり、強い雨が降る中、東京都江東区の夢の島で行われた東京ー広島コースの出発集会には1200人が参加して色とりどりの旗が立ちました。
千葉市から参加した鈴木満さん(47)は「被爆者の苦しみを生むようなことは、二度とあってはならない。世界で核兵器廃絶の流れが広がっているが、それを実現するのは、私たちの運動だと思います」と語りました。
主催者挨拶をした世界大会運営委員会の野口邦和代表は、核兵器のない世界を追及すると述べたオバマ米大統領のプラハでの演説などにふれ、「世界の潮流は、核兵器廃絶を求める方向に大転換している」と指摘。「核兵器廃絶を実現する時代の中で、この行進を成功させよう」と呼びかけました。
出発集会の青年プログラムは、うたごえ郷土芸能チームによる「ROCKソーラン」で始まり、青年の元気な声が響きました。「核兵器なくそう・世界青年のつどい」準備委員会の前川史郎事務局長が、「青年のつどい」と21万羽おりづるプロジェクトにとりくむと発言し、全労連青年部の野村昌弘書記長が、4月にフランスで行われた「NATOノー、核兵器撤去」大行動について報告しました。
1分間スピーチでは、「戦争について考えると不安になり、考えないようにしていたけれど、平和の学習会に参加して"戦争はなくすことができる"の言葉に希望を持った。長崎に向けてがんばりたい」(東京高校生平和ゼミナール)「各大学で『九条の会をやりたい』と新入生が声をかけてくる。学生の関心や、学び、行動したいという意欲が高まっている」(東京学生九条の会)「アメリカが変わっているのだから、僕も主体的にとりくむよう変わらなければ。一緒に頑張りたい」(全農協労連)と語りました。
秋葉忠利・広島市長、田上富久・長崎市長から激励メッセージが寄せられていることが紹介され、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソンさん、ドイツのライン=ルール地方イースター行進平和委員会のハネロア・トルケさんのメッセージが代読されました。
第五福竜丸平和協会の川崎昭一郎会長が挨拶し、日本山妙法寺の木津博充さん、日本青年団協議会の冨川幸三副会長、東京の被爆者、支援者と日本被団協の藤平典代表委員がリレートーク。6人の通し行進者が決意表明しました。
2009年原水爆禁止国民平和大行進・北海道~東京コースが5月6日、最北の島礼文から始まりました。午前8時から青い空のもと利尻富士をのぞみながら礼文町役場前で出発式が行われました。
国民平和大行進に参集したみなさん、雨の中をご苦労様です。ご紹介いただきました原水爆禁止年世界大会運営委員会代表の野口邦和です。
1958年に開始された国民平和大行進は、今年で51周年を迎えます。半世紀以上もの間、雨にも負けず、風にも負けず、厳しい夏の暑さにも負けず、核兵器廃絶を訴え歩き続け、受け継いできました。核兵器廃絶を願う人なら誰でも、そしてどこからでも参加できる行動として発展してきました。国民平和大行進は、今日ではすべての都道府県と7割を超える自治体を通過する、10万人を超える人びとが参加する平和のための国民的大行動となっています。
みなさん
世界にはいまなお2万発を超える核兵器が配備・貯蔵され、人類の生存を脅かしています。しかし、核兵器廃絶は今日では世界の声であり、国連総会では毎年8割を超える国ぐにが核兵器廃絶の合意の実行を求める決議に賛成しています。ヘンリー・キッシンジャーさんなどアメリカの元政府高官、イギリスの元外務大臣、元NATO事務局長、国連のバン・ギムン事務総長も「核兵器のない世界」について公然と発言しています。昨年暮れには核兵器の廃絶をめざす国際的レベルの新たな運動として「グローバル・ゼロ」がパリで創設されました。今年4月、チェコのプラハでバラク・オバマ米国大統領が「核兵器のない世界」の実現を追求する、「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、米国は行動する道義的責任がある」と発言しています。
このように国際世論の大潮流は、核兵器廃絶を求める方向に大転換しています。何よりも歴史の大きな流れの発展方向に確信をもち、核兵器廃絶という全人類的課題を実現するため、大いに奮闘しようではありませんか。
みなさん
2010年にニューヨークで開催される核不拡散条約再検討会議で実りある成果を勝ち取るため、第3回準備委員会が5月4日から15日までの日程で、ニューヨークで開催されています。日本原水協、日本被団協をはじめ日本の代表団も「核兵器のない平和で公正な世界」を実現するため、今まさに奮闘しています。日本の代表団ばかりでなく、世界各国の代表団が、核兵器廃絶を願って第3回準備委員会で奮闘しています。
2010年の核不拡散条約再検討会議に向け、「核兵器のない平和で公正な世界」を求めて、世界中でいま行動が拡がろうとしています。ヨーロッパでは、NATO(北大西洋条約機構)60周年にフランスのストラスブールで開かれたNATO首脳会議にあわせて、「戦争ノー、NATOノー」をかかげた国際共同行動が現地で行われました。NATO反対をかかげた全ヨーロッパ規模の行動は、史上初めてのことです。
国内では、日本原水協や非核の政府を求める会の代表を含む広範な人びとが「非核日本宣言」の運動を推進しています。「非核日本宣言」運動は、全国1823自治体のうち425人の首長、295人の地方議会議長が賛同し、229の地方議会が意見書を採択しています。核兵器廃絶の扉を切り開くために昨年の原水爆禁止世界大会で提起された新署名「核兵器のない世界を」も、日本人口の1割、1200万筆を目標に取り組まれています。新署名の目標を必ずや達成して来年4月、世界中で取り組まれた幾千万筆の署名をニューヨークの国連前に積み上げようではありませんか。
みなさん
国民平和大行進に寄せたメッセージの中で、秋葉忠利・広島市長は、「人類は、『核廃絶か』それとも『更なる核拡散か』を決断する重大な岐路に立っています」と述べています。また、田上富久・長崎市長は「核不拡散体制が崩壊の危機にある現在、核兵器の廃絶の取組みは急務であり、私たちは世代や国境を越えて連帯しなければならないと思います」と述べています。
みなさん
私たちは、核兵器の廃絶を実現することのできる時代に今まさに生きています。「核兵器はいらない」、「憲法9条を守れ」など、非核平和の日本を求める国民の願いに応える運動として国民平和大行進を最後まで歩き抜き、大きく成功させようではありませんか。
以上をもちまして、主催者あいさつとします。ありがとうございました。
核兵器の廃絶と恒久平和を願い、最北の島・北海道礼文島の緑ヶ丘公園に植樹したチシマザクラなど9本が元気に育っています。
礼文町は毎年、原水爆禁止国民平和大行進出発の地。東北6県と北海道の原水協が費用を負担、同町の好意で被爆60周年の2005年5月、利尻富士を望む高台に植樹が実現しました。同町が強烈な吹雪や寒さから木々を守るため冬囲いをし、植樹に携わった堀内進町議(無所属)などが見守ってきました。
5日、平和行進出発式(6日)出席のため礼文町に到着した東京までの通し行進者・五十嵐成臣さん(65)や道内通し行進者・小川基弘さん(57)、北海道原水協の嶋田千津子さんが木々と対面しました。
チシマザクラは3メートルに成長、キレンゲツツジなどは枝をしっかりと横に張り元気です。
五十嵐さんは「初めての対面ですが、出発地に植樹した7道県の人々の平和と核廃絶への思いを感じ、一日も早く核兵器をなくしたい」。小川さんは「被爆者を励ますように、たくましく育ってほしい」。嶋田さんは「昨年は冬囲いで木が見えなかったけど、元気な姿に会えてよかった」と微笑みます。
堀内町議は「平和の重さを再確認する私たちにとって大切な場所です。この木を通し、平和の大切さを子や孫たちに伝えていきたい」と言いました。
北海道→東京コースと道内コースの通し行進者6人は3日、平和行進成功にむけ、札幌市にある道原水協に顔をそろえました。
雨の日も風の日も、夏の暑さをはねのけて北は北海道、南は九州・沖縄から広島・長崎に向けて反核平和の願いをつなげる国民平和大行進が始まりました。5月6日北海道・礼文島、東京・夢の島幹線コース出発に先がけて4月20日から22日まで、北海道の猿払(さるふつ)から紋別の網の目コース行進が行われました。参加した道内通し行進者・小川基弘さん(57)のレポートです。
今年の愛媛コースは5月24日スタート
2009年の平和行進愛媛コースは5月24日スタートです。
平和を願う人たちの共同で平和・核兵器廃絶の世論を大きく広げ、NPT再検討会議を成功させましょう。
香川県で開催される第55回原水爆禁止四国大会(6月13~14日)を多くの参加で成功させましょう。8月の長崎・広島での原水爆禁止世界大会の成功に向けて、あなたの街から歩きましょう。
全自治体を訪問・行進しよう
24年連続で全自治体を訪問し、賛同ペナント、募金などの協力・共同を前進させ、また全自治体で核兵器廃絶国際条約締結の意見書、非核自治体宣言(残り1町と県)の採択、平和行政・被爆者援護行政などの前進をめざします。松山市平和資料館をつくる運動など、各地でパネル展や戦争展の開催など、被爆の実相と被爆者の実情を広く知らせましょう。
愛媛県原爆症認定訴訟を支援しよう
原爆症認定集団訴訟に愛媛から立ち上がった井上サチ子さんの支援を進めます。原水爆禁止・核兵器廃絶、二度と被爆者をつくらないためにも、原爆症認定訴訟の勝利で、集団訴訟の全面解決、すべての原告の認定と被爆者援護行政・核廃絶をすすめさせましょう。
2010年NPT再検討会議へ核兵器禁止・廃絶条約の交渉を始めることを核保有国に求める署名「核兵器のない世界を」を愛媛でも集めましょう。
また、日本政府に核兵器廃絶の促進と非核三原則の厳守を求める「非核日本宣言」の運動をすべての自治体に広げましょう。
昨年に続き四国コースに2人通し行進者を迎えます
今年は昨年に続き、四国コースに通し行進者、浅田健司さん(66)、野口隆さん(69)を迎えます。ともにこれまでに他コースの行進者として歩いています。毎日の行進を盛り上げるとともに、地域での交流も深め、意義あるものにしましょう。
平和の使者・千羽鶴を愛媛から送ります
「平和の使者」千羽鶴を海外へ送る運動は、愛媛県原爆被害者の会のよびかけで始まり、これまで世界23カ国50団体へ278万8千羽を送りました。また、海外からお礼のメールが届くなど国際連帯を広げています。愛媛独自の草の根運動として、職場や学校、家庭などで、平和への思いを込めて折りましょう(折り紙は実行委員会で準備します。1羽1円募金をお願いします)。8月6日に「千羽鶴を海外へ送る集い」を行います。
全県14地域に実行委員会を作りましょう
平和行進の成功は、幅広い地域実行委員会の結成です。全県14地域(愛南、宇和島・北宇和、西予、八幡浜・西宇和、大洲、内山、伊予、松山地域、東温、久万高原、今治・上島、西条、新居浜、四国中央)に実行委員会をつくり、創意工夫した運動をみんなですすめます。
6月7日に高知県に引き継ぎます
四国コースは、6月7日に愛媛・高知県境で引継ぎ式を行います。各団体は、県境での行進に多数参加しましょう。