<全国唯一"かき氷の接待"呉民商青年部>
今日は、呉市の行進と安芸実行委員会への引き継ぎです。
9時40分からはじまった呉市役所前の出発集会では、第1回平和行進へ参加した上田博則さん(81歳)から激励の挨拶がありました。上田さんに、第1回平和行進の様子をお聞きしますと、呉市に入って来た西本あつしさんと2人で、川尻町(現呉市)まで歩いたそうです。
出発集会で挨拶する第1回平和行進に参加した上田博則さん(左から2人目)
「北海道(太平洋)→東京コース」を通し行進した森悦子さん(東京都)が、私たちの行進コースへ、今日から参加されました。幹線コース三つのリレー横断幕が並びました。
幹線コースのリレー横断幕が3幕そろう(3列目が「北海道(太平洋)→東京コース」の横断幕)
午後の行進の休憩では、かき氷の接待がありました。提供は、呉民商青年部です。朝の出発集会で予告があり、楽しみにしていました。休憩の呉市天応支所へ着くと、入り口に「氷」の旗が揺れていました。写真を上手く撮れないでいると、すかさず、「氷」の旗を持ってくれた若い女性がありました。
かき氷の「氷」旗が歓迎する=呉市天応支所入り口
紙カップに盛った茶金かき氷を2杯いただき、身体が冷え、満足しました。かき氷を作りながらの接待は、全国でも、呉だけでしょう。
かき氷に行列ができる=呉市天応支所前
呉市から国道31号線で坂町へ入った小屋浦で、呉実行委員会から安芸実行委員会に引き継ぎをしました。そのあと、小屋浦の原爆慰霊碑を訪ねました。訪ねるには、交通量の多い国道と踏切のないJR呉線を横断します。トンネルの近くで、とても危険でした。背後周辺は山です。そのような近づけない、目立たない場所でないと、原爆で死没した遺体から伝染病が発生するなどとの風説が信じられ、仕方がなかったようです。当初は木で作った慰霊碑でしたが、1987年(昭和62年)に石碑に立て替えました。ここには、小屋浦へ運ばれてきた被爆者で、間もなく力つきた90余人が慰霊されています。名前が刻んでありました。
坂町小屋浦に建立された「原爆慰霊碑」
夜は、安芸原水協主催の歓迎夕食会に招かれました。自慢の料理は、今朝、広島湾で獲れた小イワシの刺身です。8皿作るのに2人で2時間かかったそうです。さばくのと、塩水でもみ洗いするのに手間がかかるからです。7回洗い流せば、タイの味になるそうです。「8回洗うと何になるか」と、米山さんから質問が出て、「メデタイ」との応えでした。一同、美味に舌鼓を打ちました。
安芸原水協主催の歓迎夕食会に出された小イワシの刺身
今日の行進参加者は、35~45人で13.5㎞歩きました。延べの参加者は70人と報告されました。呉市役所前の出発集会では、市長さんからのメッセージ(総務副部長代読)をいただきました。