<"原子力空母 NO!"を訴える米山さん>
今日は呉市内の行進で、JR仁方駅前から呉市役所までです。
9時40分からはじまったJR呉線の仁方駅前の出発集会では、「東京→広島コース」の通し行進者で、横須賀在住の米山幸子さん(66歳)から、米原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀配備反対の訴えがありました。
米原子力空母の横須賀配備反対を訴える米山幸子さん
原子力空母の横須賀配備は、当初8月19日に予定していたが、5月に火災事故を起こして修理していたことから、9月25日になったそうです。火災事故の原因は、たばこの不始末です。ボイラー室で無許可の喫煙をし、潤滑油に引火したと発表しました。単純な人為ミスで、大事故を起こしたのです。1歩間違えば、原子炉の事故につながります。米兵が横須賀で、単純にタクシー運転を殺害したように、米国は何をしているのでしょうか。恐ろしいことです。
日本政府や神奈川県、横須賀市は、「米国が安全だ」と言うから「安全だ」と繰り返しています。横須賀で原子炉の溶解爆発事故が起きれば、5分以内で首都圏の数十万人の生命が脅かされます。「原子力空母 NO!」で、阻止しなければなりません。
行進がはじまると、沿道の家々から人が出てこられ、多くの署名と募金が寄せられました。場所によっては、募金隊の受け取りが間に合わず、私も募金箱を持ちました。
署名と募金をいただく=呉市仁方
多くの署名と募金が寄せらたのは、事前に平和行進が通る案内や著名用紙を配布してあったからです。配布した案内チラシには、作った折り鶴を貼ってありました。
普通は、折り紙を配布して置いて、行進が通ったときに折り鶴をもらうのです。呉では、「折り鶴のお願い」と呼び、折り鶴を貼ったチラシを配布する方法でした。7月26~29日にかけ、2200枚配布したそうです。
広支所から出発した午後の行進の最後には、国道185号線の呉越峠がありました。峠を越えた下りは、長崎市の平和行進で、日見峠を越えて市街地に向かう、蛍茶屋(市電の終点)あたりの下りと似た風情でした。
呉越峠を越えた平和行進(午後3時)
夕方の5時から、呉実行委員会主催の「交流の夕べ」と題し、夕食会を開いていただきました。通し行進者3人とリレー行進の全印総連労組の1人が招待されました。総勢19人の賑やかさです。貸し切った森田食堂は、並べられたごちそうが、食卓から落っこちそうでした。それぞれから、行進に参加した生い立ちが語られ、被爆と関わった方も多くありました。呉の平和行進を支えている姿が、リアルに知る機会でした。呉のみなさん、ありがとうございます。
「交流の夕べ」(右が米山さん、左が全印総連の伊藤さん)
今日の行進参加者は、区間により30~50人で14.5㎞歩きました。
沿道募金は、42,500余円いただきました。
呉市役所訪問では、市長さんと議長さんから募金とペナントをいただきました。