0802米山幸子日誌

第89日 晴  23032歩


行進仲間が4 人揃った


森 悦子さんが今日から広島コースに参加。礼文島から出発し、北海道、本州太平洋側を80日歩いて来た彼女は東京の医療生協の仲間。2008年の全国行進は女性が二人。出発前から電話連絡はしていたが顔を会わすのは今日が初めて。


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呉市役所前で準備をしていたら、森さんがごく自然な雰囲気でこられて、昨日まで一緒に歩いて来た仲間の様に「お早うございます」と近づいて来られた。互いに初対面の挨拶の後は横断幕の持ち方等実務的な話をしていた。彼女と初対面で、いつもの森さんがどの程度の肌の色は知らないが、80日にしては焼けてみえない!が私の感想。歩いた地域の違いかも知れないなと自分を納得させた。 本当に気さくな方でよーかった!! 医療生協の仲間!で同じときに全国通し行進を決めた者同士の親近感が、溢れてとても心安らいだ。


坂町は平成の合併でも町のままを選択したところと2,3日前に聴いていた。坂町の原爆慰霊碑が4箇所にあると聴いた。 今日の行進終了地点の向い、山陽線の線路奥に一つ目があり、行進者3人で"右見て、左見て、も一度右みて"と念入りな列車確認をして、線路を渡り、お参りを済ませた。


63年前広島での被爆後、とにかく広島の地から出なければ!電車が動いてる!と言う情報に脱出し逃げよう!!との思いで歩き続け、この地で果てられたであろう方たちの無念さを思うと、胸が痛い。 私たちが今日行進してきた道にも大勢の方たちの無念さが満ち満ちてる思いすらしてくる。天皇や一部軍部の思惑の判断が早ければこんな事態は避けられたこと!と歴史の証言の中で解明されてる今、本当に大勢の犠牲者を出した責任者はどのようなお詫びをしたのだろう?やり場の無い怒りに暗い気持ちのまま宿へ案内された。


夕食は安芸地区の原水協の方たちが、手づくりの料理で私たちを歓迎してくださり、当時のことを話していただいたりして、明日歩く道の詳細な地図も頂いたりした。、現地に根を張り生活をしてみえる方々との交流は、深く心に刻まれた。そして2時間かけて「カタクチイワシ」の小骨を取って仕上げられた美味しい「刺身いわし」の味が<残り2日間頑張れ!!>のエールになって、私の胃に染み渡った。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2008年8月 2日 11:03に書いたブログ記事です。

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