<坂出市長さんと肩を組む>
今日は、坂出市役所から高松市役所までの行進です。
坂出市役所の玄関で、9時の出発式がはじまろうとすると、職員が15人ほど出てこられ並びました。スタンドマイクの準備もしてあります。私は失礼のないよう、リレー横断幕を広げて向かい合いました。
時間になると、市長さん、議長さん、被爆者代表、私の順で挨拶をしました。私の挨拶が終わるか、終わらないうちに、市長さんが「私も、お父さんが戦死してから生まれた」と、話しだしました。それは、私が遺児として話した「私の弟は、お父さんが戦死してから生まれました」、を受けてのことでした。
坂出市議会議長さん(左)から激励の挨拶を頂く(その右が市長さん、後方は市職員さん)
堰を切ったように、市長さんと具体的な話になりました。市長さんのお父さんは、「日華事変」で戦死しています。平和行進団と写真を撮ることとなり、市長さんから私の肩を組まれました。胸が熱くなり、遺児同士の連帯感が沸きました。
市長さんは戦没者の遺族として、「戦争をしてはいけない」「原爆をなくしたい」という、強い意志を持っておられました。
市長さんが挨拶に立ったとき、政治的立場、党派を超えて「平和行進を歓迎」している旨を、ザックバランに話された意味がよく分かりました。市長さんとして、現状で出来る最大の激励会をされたのです。多くの市職員さんの参加にも、敬意を表します。
坂出市長さん(中央右)と記念撮影
今日の行進に力が入りました。先頭の横断幕を持ち、手を振って声を出し、歩きました。坂出市役所を出てから、JR予讃線の鴨川駅、国分駅、鬼無駅で休憩し、夕方の4時過ぎ、高松市役所へ着きました。
炎天下、3回だけの休憩で歩く強行軍でしたが、バテることなく行けました。昼食で、食卓にあった食塩を手に振りかけてなめ、塩分補給をしっかりしたのも、よかったと思います。また、行き交う人や車窓に手を振ると、多くの方から手が振られ、元気をもらいました。
行進途中の溜池には、「池の水を盗ったら罰する」と書いた看板がありました。初めて、「水ドロボウ禁止」の看板を見ました。香川は、本当に水が貴重なのですね。
「平和遍路」は、行進コースにある第80番国分寺を訪ねました。住職さんの奥様とお会いしました。核兵器をなくす気持ちは同じですが、住職さんの職名での署名は難しいとのことでした。
今日の行進参加者は、区間により8~15人前後で22.5㎞歩きました。これまで1日の最長距離です。
自転車を引いて行進参加(高松市鬼無駅付近)