第84日 晴れ 25299歩
どうして歩くの? デェーレェー執念で
朝食時、宿の女将さんに尾道は本当に坂道が多いですねと話しかけたら、「海岸線のそこしか平らが無いところに道路と鉄道が敷いてあり、後ろは山ですからね」とのこと。国道2号線をひたすら西へ、広島めざして・・・まさに今日はそこしか平らがないところに作られた道を歩く行進だった。
今日は横断幕を持ってくれそうな小学校高学年の姿は見当たらなかったので、自分の役割を守る。隣は尾道の市議さん、「平和行進の始まった年、僕は赤ん坊でした」と言う。私が中学生の頃「人生50年」と言われていたことを思い出す。
核軍拡をあきらめない支配者(国)たちの野望もしつこいが、それを許さない日本や世界の核廃絶を訴える人民の抗いもまたデェーレェー(岡山で覚えた凄いの最大級の意)と思う。「ボッケー」より「デェーレェー」のほうが、より大の意味であるという。
広島県内を歩き始めて、核廃絶・被爆者救援・原水爆禁止世界大会が今年で54回を重ねるが、募金活動とか、署名とか、平和行進そのものに対する反応が他府県と違っている感じがする。被爆が知識としてではなく実態として捉えられている、確実に語り継がれていると言うことなのだろう。そして被爆に深く係わらざるを得なかった地域の証でもあろう。
午後2時30分過ぎ頃、久しぶりの雨が少しだけ降り出したが、直ぐに止み糸碕神社での尾道から三原市への引き継ぎ式も出来た。その後三原駅まで行進をする途中では何時もの西日を浴びての暑い行進であった。