<歴史を語る新居浜市の平和モニュメント>
今日は、四国中央市と新居浜市の市役所訪問と、新居浜市内の行進です。
四国中央市は、愛媛県東部の2市1町1村が合併し、2004年4月に生まれました。
四国の瀬戸内海側の中央部にあり、かつ4県が接しているので名付たようです。
四国4県を走る高速道路は、四国中央市で繋がっています。
市役所訪問では、6月議会で「原爆症認定制度に関する意見書」を採択した報告がありました。原爆被爆パネル展については、検討する旨の返答を頂きました。今年の2月には、平和市長会議に加盟しています。
新居浜市役所訪問では、要請前に打ち合わせがありました。10余人の出席で、詳細な意見交換がありました。要請の流れが事前に分かり、よかったです。お聞きしますと、これまでの経験からヒントを得て、初めて開いたそうです。
要請では、6月議会で「原爆症認定制度に関する意見書」を採択した報告がありました。同席していた被爆者代表が、お礼の言葉を述べました。各自治体からの意見書は、政府を動かしています。今年の4月、新居浜市も平和市長会議に加盟しました。
市民部の市民活動推進課には、平和推進係りがありました。その係りの方から、「新居浜市」と書いたペナントをマトイに結んで頂きました。
「新居浜市」と書いたペナントをマトイに結ぶ
市庁舎前の中央公園に、モニュメント「核兵器廃絶都市宣言記念」塔が建てられています。5、6mの高さです。上部には鳩を、中間部をカラーで森や山をデザインした絵があり、ユニークなものです。碑文には、宣言文と経過が書いてあります。1957年(昭32)に「永久平和都市宣言」、1984年(昭59)に「核兵器廃絶都市宣言」をしています。全国でも、早い時期の取り組みです。
その経緯を、市の人たちは何度も話していました。誇りにしているのです。
新居浜市中央公園に建てられた「核兵器廃絶都市宣言記念」塔
行進では、携帯用スピーカーの音頭で、「核兵器をなくそう!」等のシュプレヒコールを繰り返しました。かつて、別子の銅鉱山で鍛えられた労働運動の歴史です。
携帯用スピーカーでシュプレヒコールの音頭とる
夜は、歓迎夕食会を開いて頂きました。昨日の行進に参加された明星夫妻も出席されました。皆さんから激励を頂き、ありがとうございます。
昨夜で、松山市の宿は終わりました。延べ9泊しました。松山城の下に居ながら、見学しないで終わりました。26日の上島町訪問からの帰路、船上から見ると、ビル群に負けじと背伸びしているようでした。そのむかし、海から見る松山城は、まさにシンボルだったに違いありません。お堀の水は、海水を利用しています。
今日の行進は、参加者約45人で3.5㎞歩きました。
四国中央市長さんと同議長さんからは募金を、新居浜市長さんからは募金とペナントを、同議長さんからは募金を頂きました。