<"平和の志士"龍馬・脱藩の道を行く>
今日は、梼原(ゆすはら)町、津野町、須崎市の行進です。
須崎市の宿から宣伝カーに乗り、梼原町へ向かう。1時間余りかかって楠原町役場に着きました。「梼」とは、初めて見る字です。なんの木でしょうか。
高知市から梼原町を通り、愛媛県へ抜ける道(梼原街道)は、「龍馬・志士脱藩の道」 と呼ばれています。そり立つ山並みと、深い渓谷から見て、昔は相当に厳しい道のりだったと思います。今は、トンネルが掘られ、自動車道に様変わりしました。
木造アーチ型の「梼原橋」を渡る平和行進=梼原町梼原川
梼原町役場で、参加者の見えるのを待ちました。誰も見えません。梼原町は県境で、生活圏が愛媛県に入るそうです。高知市の方から、行進参加者が見えるのは、遠くて難しいのでしょう。歩く人が1人でも、行進をやめることはできません。
出来るだけ目立つようにと思い、宣伝カーの前面に横断幕を取り付け、側面と後面にペナントを飾りました。合田さん(高知県高教組役員)が運転する宣伝カーの先導で、私が「平和遺族会」の桃太郎旗を持って歩きました。
行き交う人に「平和行進でーす」と手を振ると、皆さんから、手が振られたり、うなずかれたり、応えてもらいました。大きな元気をもらった2人は、気分が高まり、その後、宣伝カーで移動しながら、集落のある5ヶ所で車を止め、「核兵器をなくしましょう」とマイクで訴えをしました。そこでも、聞いている人があり、出てくる人があり、励ましをもらいました。平和行進は、参加人数の多少にかかわらず、続けることが大事だと思いました。次の津野町では、地元の学校の先生が1人加わり、3人となりました。ここでも、梼原町と同じように励ましをもらいました。私たちは、"平和の志士"になった気分です。
行進をとめてマイクで訴える合田さん(右)=津野町
須崎市では8人になりました。行進終了間際に雨降りとなったが、意気揚々と歩きました。
須崎市を平和行進
なお、今日(7日)と明日(8日)は、「第54回原水爆禁止四国大会INとくしま」が開かれます。これは、四国4県が持ち回りで、毎年開いています。各県が集まったブロック単位の大会は、全国でも四国だけだと思います。私も、参加したかったのですが、平和行進と並行実施でした。
高知県へ来てから、気がついたことに、山々の木々の緑が濃く、木の葉に躍動感があることです。太平洋の黒潮に乗った高温多湿な南風は、四国山脈に阻まれ、高知に多量の雨をもたらします。植物にとっては、何よりのご馳走です。
高知県には、日本で育つ植物の3分の1が分布するそうです。世界的に著名な植物学者、牧野富太郎氏は、昨日訪問した佐川町の出身です。
今日の参加者は2人から8人で、4.5㎞歩きました。