<宿の前が高知城>
今日は、大川町、土佐町、本山町、大豊町の行進です。
けさ、宿を出たら、車道に何10台も駐車しています。これまで見ない光景です。乗っていた人に、「何があるんですか」と聞きますと、返答がありません。再度聞いても、返答がありません。「不安」に思い、引き下がりました。
その後、分かってきました。宿の近くで、毎週日曜日に日曜市(街路市)があるのです。
帰路に案内してもらうと、高知城の門(追手門)前の大通りで、野菜、海産物、日用品などの出店が1㎞も続いていました。なんと、街路市は元禄3年(1690年)から続く300年の歴史です。「不安」だったのは、変な「おじさん」に質問されたドライバーさんだったのです。日曜市の日は、周囲の車道の1部が一方通行とかわり、道路半分が「駐車場」になる仕組みです。
高知城の追手門と天守閣(国宝指定の時期があった。現重要文化財)
そもそも、宿前の山に、高知城があると分かったのは2日前です。失礼しました。
大川村の行進参加は6人でした。昨年は3人だったそうです。平和運動は、直ぐに成果を生みません。ねばりです。3日前、大川村を訪ねたときに見た「米軍戦闘機墜落現場」(平和委員会の看板)近くに、「諸霊鎮魂親水の碑」(2001年建立)がありました。碑文には、ダムの湖底に沈んだ旧村を鎮魂するとともに、「米海軍の戦闘機が厚木から岩国へ訓練飛行中この湖水に墜落し、搭乗員2名の霊が湖底に眠る」(英文もある)と刻まれていました。米軍の飛行訓練を、非難する文面はありません。これを見たとき、鳴門市行進で知った、「坂東俘虜収容所」のドイツ兵と市民の交流を思い浮かべました。
「諸霊鎮魂親水の碑」=大川村
他国へ侵略・支配する国は、自国の国民をだまして兵隊にかり出し、「英雄」に教育」し、加害者に仕立てて他国の国民を犠牲者にするとともに、自国の国民も犠牲者にし、そのうえ戦没者を「英霊」だとだまします。
土佐町、本山町、大豊町の行進には、親子5人が参加しました。子どもたちの賑わいと、大人たちの注意する声が飛び交いました。幹線道路以外の道では、行進団が手を振ると、手を振って応える人が多くありました。行進に力が入ります。
土佐町を行進
大豊町には、日本一大きい杉の木と、そのそばに美空ひばりの歌碑があります。ひばりは9歳のとき(昭22年)、この町でバスの転落事故にあいました。幸いにして、九死に一生をえました。そのときひばりは、日本一大きい杉の木のように、日本一の歌手になることを祈願したそうです。もし、不幸にあったら、ひばりの生涯は違っていたことでしょう。
今日の参加者は6~10人で、6.5㎞歩きました。