6月9日 (月曜日) 雨、15182歩
医療生協の代表は生協の行進の先頭を行く?
中村公園の赤くて太い鳥居、豊国神社の境内は私の子供時代の遊び場で懐かしい場所、医療生協の仲間たちが幟を立てて、生協の虹色マークの腕章をつけた若者たちが沢山集合していた。全く手づくりの素朴な出発式!(これ大好き)。
名古屋弁の中村区のおまわりさんが県内行進者に"アンタマタ来たのか?!よー来たね!"と再会の挨拶? "まだここで働いてみえたんだね!"と返す行進者。中村公園の赤い鳥居までは、9の市で賑わっていた。
啄木さんの歌をもじって"故郷の訛り懐かし公園の9の市沿道平和行進行く"というところ。
"行きたい人参加"方式で明正・つゆはし・山びこ・さくらんぼの4作業所の皆さんが平和行進を彩ってくれる。いずれの作業所も様々な人達で、愉しげに車椅子を押して貰ったり、友人と互いに支えあったり、職員に助けられてたりして歩いている。戦争はいや!平和が好き!それにそれぞれの思いをもって行進している。自立支援法で苦しくなった作業所通いや仕事が少なくなった事を話す仲間、広島へ修学旅行で行ったことを話す車椅子の人、ゼッケンに自分の想いを書いた人、四葉のクローバーの貼布の平和はがき?を配る人。
近鉄八田駅で、車椅子中心の作業所の仲間が加わって一層賑やか、めいきん生協中川センターへ行進は続いた。センターでは屋根つきの広いスペースに机や椅子がおかれて、各作業所ごとに昼食会。カレーライス、おにぎりと味噌汁でをいただく。職員に食事の介護を受ける人もいる。ここではゆったりした時間で平和行進を心から祝う雰囲気、昼食後は生協の若い職員さんの司会で交流会となる。
皆さんの心に届くように全国行進者の話をさせてもらう。つい現役時代のくせが出てジェスチャー混じりの挨拶をしていて、せっかく原子力空母のパネルを生協の方に掲げてもらっていたのに、肝心の原子力空母の話をぬかしてしまい、追加説明をさせてもらった。通し行進者に会場から励ましの拍手をいただく。アリガトさんと感謝。生協の仲間はほんとに優しい!大らか!心和んだ私。
二女子、四女子、五女子 これ町名です。中村区角割町は50年前に住んでいたところ、いま67才になって平和行進でーす!と呼びかけながら足跡を刻む一日だった。町並みはすっかり変わっていても、9の市でビニール袋に入っているジャガイモはでっかくて美味しそうだった。よるは中村9条の会の仲間たちに誘われる。今日は9日だったのだ。9条の会の仲間たちと平和行進を語り合う夜、帰路は半月を見ながら久しぶりに子供時代に想いを馳せた。