50周年を迎えた国民平和大行進が5月6日、東京・夢の島と北海道・礼文島からスタートしました。
晴れ渡った青空に心地良い潮風が吹く第五福竜丸展示館前で正午から行われた夢の島出発集会には、1400人が参加。野口邦和世界大会運営代表の開会あいさつにつづき、青年が「継承と発信」についてリレートークし、「折鶴」を演奏しました。オルダーマストン50周年平和行進代表団が連帯旗を紹介し、海外代表が連帯のスピーチ。第1回平和行進者、被爆者、宗教者、市民団体の代表によるピースリレートークの後、広島まで歩く全国通し行進者の志谷泰雄(東京⇒広島コース)、米山幸子(東京⇒広島コース)、竹田昭彦(四国⇒広島コース)の三氏が決意を語りました。港区役所までの12kmを元気よく行進しました。
北海道の礼文島では、朝7時50分から礼文町役場前で出発集会が行われ、中央実行委員会を代表して全教の高橋信一さんがあいさつ。全労働、全気象、地元関係者など参加した21人がそれぞれ核兵器廃絶めざして頑張る決意をのべ、フェリー乗り場まで約1・5kmを行進しました。
一人ひとりの一歩が平和の実現につながっている
昨日は前半にサウンドカーの隊列で、後半には被爆者の方を先頭にした隊列で歩きました。特に後半、被爆者の方々が歩いている姿に大変励まされました。
今年で50周年を迎えた平和行進、歩きながらその歴史をかみしめていました。私たちの日常は、決して当たり前にあるものではなくて、50年という平和運動の歴史の中で守られてきているものだと思いました。
運動の中にいると、自分たちがやっていることにどれほどの意味があるのかと思うこともあります。だけど、昨日様々な立場の参加者のみなさんと歩いて、一人ひとりの一歩が平和の実現につながっているんだと思いました。8月の世界大会に向けても、さらに運動の輪を広げていきたいと思います。
形岡 七恵(ボーカリスト)
通し行進者の感想
志谷泰雄(東京⇒広島コース通し行進者)
今日から始まった広島へ向け、平和行進90日間、決意あらたにした朝です。
島根県には、1842人の被爆者健康手帳所持者がおいでになり、21全市町村離島の隠岐の島にもおられます。島根県は、非核平和宣言をしていない9都県の一つで、西日本では島根と兵庫の2県だけです。非核平和島根県宣言をおこなうことを強めなければならない思いです。夢の島第五福竜丸横で12時からの出発集会に参加、各団体の挨拶後、紹介があり島根県の現状を訴え挨拶をしました。
参加者1400人で夢の島を出発。両側に倉庫の連なる中を行進。今日は振替休日でビジネス街もシャッターが降りていて寂しく感じます。地下鉄「東陽町」駅前の公園で10分間の休憩後、中央区坂本町公園に向け出発。ここからハンドマイクを取り付けた自転車が先頭。ここらあたりから商店街や沿道の人も多くなり立ち止まって手を振って応えてもらえます。マイクも行進者の中に入り一言ずつ話しをして、次の坂元町公園に向け行進しました。
坂元町公園での休憩後、被爆者団体の方々が先頭を行進。歩きながら一人ずつ訴えられました。17時40分に港区役所に到着、今日の行進距離は12キロ。
渡邉正郎(北海道⇒東京コース通し行進者)
北の最果ての場所であることや早朝でまだ寒さが残っていることもあり、参加人数は少なかったようです。それでもこの出発集会参加のために前日から泊り込む人、片道2時間かけてフェリーを使って駆けつけてきた人がほとんどだったようです。
フェリー乗り場まで行進中、年配の地元男性が、腰を大きく曲げてお辞儀したり、手を挙げて合図する人、遠くから行進の様子をながめる人など、皆さん好意的に応えてくれていることを実感しました。
この日礼文島での出発式の後、フェリーに乗り込み、稚内市まで移動しました。稚内市では総合文化センターにて約60人の参加者で「稚内集会・平和行進」のつどいで行われ、その後、参加者全員で稚内南駅まで、08年原水禁大会成功へ、核兵器廃絶、行進参加を呼びかけながら行進しました。
私はこの平和行進参加にあたって「平和が一番、反核・反戦、憲法9条を守ろう」、「戦争反対、憲法9条を守ろう」と大書した自前ののぼり旗を持参し、しょいこにくくりつけて行進しました。
私の平和行進は5月いっぱい北海道を行進したあと、6月1日に青森に入り、東京上野(7月24日)まで80日間反核・反戦そして憲法9条を守ろう!このことを訴えながら元気に行進していくつもりです。
※ 米山幸子さんはホームページで日記を公開しています。
http://members3.jcom.home.ne.jp/02-22diamondfuji2005/