<第1回原水爆禁止世界大会に参加した海部郡の歴史>
今日は海陽町、牟岐町、美波町へ行き、町役場を訪問して平和行政推進を要請し、そのごの町内行進です。
朝の7時過ぎに宣伝カーで徳島市を出発し、海陽町役場へ向かいました。思ったより市街地をスムースに通り抜けたので、時間的余裕から美波町(旧日和佐町)の第23番薬王寺を訪ねました。色彩が鮮やかな多宝塔が朝陽に映え、美しく見えました。住職さんは不在でしたが、「非核日本宣言のよびかけ」への賛同署名をお願いしました。
薬王寺へは、2000年に日和佐町で開催した「第4回南阿波サンライン黒潮マラソン」に参加したとき訪問し、ご朱印を頂いていました。
今回、ご朱印をお願いしますと、納経帳の同じ頁に押印されました。お参りする毎に、押印を増すようです。八十八ヶ所を2回、3回と巡り、押印を増すお遍路さんもあるそうです。
納経帳=第23番霊場薬王寺
海陽町、牟岐町、美波町の役場訪問では、各町で副町長(収入役)さんと議長(副議長、又は課長)さんにお会いしました。要請の時間は、それぞれ30分から45分ほどです。
海陽町役場=窓側中央が副町長
政府に「非核日本宣言」を求める意見書の要請については、各町とも、その場で具体的に対応されます。スムースなので、嬉しく思いました。議会開催が近い町では、その場で請願書を提出するほどでした。
「すみやか」著名や原爆症認定制度の抜本改定署名についても、更なる取り組みをお願いすると、快諾されました。
なお、「非核日本宣言」を求める意見書は、すでに牟岐町をはじめ8自治体が採択しています。実行委員会では、全県の自治体で採択されるよう取り組んでいます。
この3町の海部郡は、第1回原水爆禁止世界大会に7、8人が参加した歴史があります。元牟岐町長も、その1人でした。当時は、徳島から愛媛の松山へ行き、漁船で瀬戸内海を渡って広島へ着いたそうです。お米を持参し、漁船で寝泊りしたと言われます。当時の意気込みが伝わってきます。海部郡は太平洋に面しており、ビキニの米国水爆実験(1954年)による放射能被害で、魚を食べれなくなった経緯があるようです。
もっと詳しく知りたかったですが、当時の方とお会いすることができず、残念でした。
今日の参加者は10人前後で、海陽町を1.5㎞、牟岐町を1㎞、美波町を2㎞歩きました。
海陽町及び牟岐町の町長さんと議長さんからは、募金とペナントを頂きました。美波町では、町長さんと議長さんからペナントを頂きました。
牟岐町を行進