<第3番霊場 金泉寺から賛同署名を頂く>
今日は、午前10時に鳴門市役所を訪問し、市長さん及び議長さんへ、平和行政の更なる推進や、原水爆禁止四国大会・世界大会への支持・賛同の要請をしました。
要請は、市役所の応接室で行われ、行進団から山本正美実行委員長をはじめ8人が、市当局から企画総務部長、議会事務局次長など4人が出席しました。
市は、財政的な支援は難しいが、支持・賛同などについては上部と検討する、とのことでした。
鳴門市には、日本が第一次大戦で中国山東半島のドイツの租借地青島に侵略したとき、敗れたドイツ兵約5千人を俘虜にし、その一部を収容した坂東俘虜収容所がありました(1917<大正6年>~20年)。
地域の人たちは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、ドイツの進んだ技術や文化を取り入れようと牧畜、製菓、西洋野菜栽培、建築、音楽、スポーツなど交流をしたそうです。
そのような経緯から、ベートーヴェンの交響楽第9番を日本で初めて全曲演奏したのが鳴門市です。これが、暮れの第9演奏に流行っていったのでしょうか。
鳴門市はドイツ館をつくるなど、国際友好活動が活発なので、核兵器廃絶、戦争反対など世界平和への取り組みも強化して欲しいと思いました。
鳴門市の行進は、昨日のお遍路コースに続き、今日は市役所周辺を、2㎞ほど行進しました。
その後、昨日住職さんが留守だった第3番霊場の金泉寺を訪問しました。住職さんにお会しますと、こころよく賛同署名をされました。昨日の要請が伝わっていたようです。
スポーツシューズを履かれ、若く見えましたので「お若いですね」と話ますと、「いや、50代です」と答えられました。私の歳も話し、親近間がわきました。住職さんは権威が高く、礼儀を知らない私には緊張感が走りますが、そんなことはないようです。
昨日の霊山寺の住職さんの挨拶も、意外に思いました。原爆の灯を燈す話があったとき、断わりきれず「逃げたい」思いだったそうです。灯を燈し続けることに、責任をもてないと感じていたからです。住職さんが胸の内を「にげたい」と話され、私はびっくりしました。決断したのは、親類に広島で被爆した人があり、苦しみを訴えながら亡くなった様を、思い起こしたからだそうです。
第1番霊場の住職さんには、平和行進以前に署名を頂いていますので、第1番から3番まで頂いたことになります。今後の行脚(平和行進)に、大きな力を頂きました。
今日の行進参加者は8人で、2㎞歩きました。賛同署名は、第3番霊場の金泉寺から頂きました。