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澤田先生の反核ゼミ

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第5回 アインシュタインの手紙

 「アインシュタインが原爆を作るようにルーズベルト大統領に手紙を出したことが、核兵器製造の発端だった」とよく言われます。しかし、この手紙が大統領に届けられてから実際の原爆開発・製造のマンハッタン計画につながる経緯は、それほど単純ではありませんでした。この経緯を正確に捉えることは、科学と政治、科学者と政治家の関係についての正しい教訓を引き出すためにも大事な、今日的な問題です。

 すでにふれたように、核分裂が発見されて以来、その発見がナチス・ドイツの原爆製造につながる可能性について、物理学の側面から、もっとも強い関心をもって取り組んだのは、レオ・ジラードでした。同時に、彼は、アメリカがドイツに先がけて原爆を開発して、ドイツの原爆使用をけん制すべきだという、今日の「核抑止論」のような発想を抱いていました。 ジラードはこうした考えについて、同じハンガリー人の亡命科学者であるエドワード・テラー、ユージン・ウイグナーと議論しました。

 三人は、アメリカの原爆開発がドイツの原爆使用を回避するだけでなく、原爆を使った戦争をすれば、戦争の勝者も敗者もなくなり、戦争そのものができなくなるだろうと考えました。そうなれば、通常兵器を使ったあらゆる戦争も廃止できるだろう。彼らはアメリカの原爆開発にきわめて楽観的な、夢のような期待を抱いていたのです。彼らは、アメリカ政府を動かすには、同じ亡命科学者としてナチスのユダヤ人弾圧に心を痛めているアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領に手紙を書いてもらうことを考えつきました。一九三九年の七月一六日、ジラードとウイグナーはロングアイランドの避暑地にアインシュタインを訪ねました。アインシュタインはこのとき初めて、連鎖反応と原爆製造の可能性を知って驚きました。同時に、ジラードらのアメリカ政府を動かそうとする意図も理解しました。この時は、アインシュタインが手紙の内容をドイツ語で口述し、それをウイグナーが書き取って持ち帰り英訳しました。この手紙は、後に何度も書き変えられ、大統領宛の手紙の草案になりました。

 ジラードは、ルーズベルト大統領とつながりの深いアレキサンダー・ザクスを通してアインシュタインの手紙を大統領に届ける道をつけました。そこで、七月三十日、今度はジラードとテラーがロングアイランドにアインシュタインを訪ね、大統領宛の手紙を再検討しました。この時の手紙の草案をザクスとジラードが検討して手紙を作成し、アインシュタインが署名しました。これが有名な「アインシュタインの大統領宛の手紙」となったのです。

 ザクスがこの手紙を大統領に届けたのは二ヶ月以上を経た十月十一日でした。その時すでに、ドイツはポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まっていました。ルーズベルト大統領は、さきの手紙を受け取ると直ちに「ウラン諮問委員会」を発足させました。「ウラン諮問委員会」は十一月一日付けで大統領宛の報告書を作成しましたが、この報告書は一九四一年秋、英国から原爆製造の可能性を具体的に示す報告書が届くまで大統領のファイルに収められ、眠ったままになっていました。

 第二次世界大戦が始まった一九三九年当時、アメリカの世論は一般住民への非人道的な爆撃に対する批判を高めていました。ルーズベルト大統領も、無防備な一般住民への爆撃を止めるように訴えるアピールを九月一日に発表しています。

 しかし、真珠湾攻撃をきっかけに世界大戦に参加するようになると、アメリカの非人道的な爆撃への非難は、復讐への衝動を強めることにつながっていきました。一九四五年にアメリカは東京大空襲をはじめ一般市民に対する爆撃をあいついで繰り返すようになりましました。一九四五年五月ドイツが降伏すると、ジラードは核兵器開発の停止を訴えました。しかし、原爆を手にしたアメリカは、原爆を対ソ外交の「切り札」と位置づけるようになっていました。ついに、今から五七年前の一九四五年、完成したばかりの原爆を、広島と長崎の一般住民に対して投下しました。

 戦後、アメリカは半世紀におよぶ米ソの核兵器開発競争に勝利し、ソ連が崩壊すると、一国覇権主義を強めるようになりました。「核兵器廃絶の明確な約束」をせざるを得なくなった今日でも、ブッシュ政権は核兵器を背景にして軍事力で世界を支配しようとする政策を捨てようとしていません。

 ナチスの暴圧を逃れて亡命してきた科学者たちは、核兵器を手にしたアメリカがこのように人間性を喪失し、変質していくことを予想だにしていませんでした。アインシュタインは、手紙に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の生涯を平和のために捧げました。
 
「原水協通信」2002年8月号(第702号)掲載
  
 


 
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