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原発と核兵器

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日本に起きた原発過酷事故 ―― 医師として見つめて

齋藤紀(日本原水協代表理事・わたり病院医師)

1.はじめに

 2011年3月11日におきた福島第一原発事故はマグニチュード9.0の東日本大震災、及び、引き続いて起きた大津波の来襲によって引き起こされました。直接的には自然災害によって惹起されたものですが、国民の多くは人災であることに気付いています。

我が国における原子力発電事業の導入から福島第一原発事故までの経過、また事故後の政府対応を踏まえて言えば、我が国における原子力発電事業は事故に対する真の責任の所在が法に明示されていないこと、それによる国の不作為が持続しており、今後も国民の安全を脅かす可能性がいっそう高いと言わざるを得ません。

被災者のからだ、こころ、そして家族の在り様を医師として見つめてきた4年半でした。

2.原子力発電事業の導入

核分裂によって巨大なエネルギーが解放されることをどの国の国民よりも早く体験したのは我が国の広島と長崎の市民でした。その後、1954年3月アメリカによる太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験において日本のマグロ漁船が「死の灰」を浴び機関長が半年後、放射能症で死亡しました。この事件を私たちはビキニ被災、あるいは船の名前をとり第五福龍丸事件と呼んでいます。その事件は9年前の原爆の悲惨を呼び起こし、国内において核戦争阻止、核兵器廃絶の運動が一気に燃え上がったのでした。日本人の核への拒否感はこのような痛苦な体験に根差したものといえます。

しかし奇妙なことに、ビキニ被災の翌月の4月、原子力発電事業導入を意味する原子力関連予算約2億5000万円が決定したのでした。我が国における原子力事業の導入にはアメリカの強力な働きかけ(原発売り込み)を抜きには考えられませんが、他方、我が国政府は太平洋戦争後の工業再興のエネルギーとして原子力発電に注目したためでした。

政府は、国民には核の平和利用であることを宣伝し、原発立地の地方自治体には立地を拒絶しないように代償としての財政支援を決め、さらに原子力産業推進のため、電力業界、原子力研究者、経済産業省の一大共同体を形成したのでした。この戦略のもっとも重要な鍵は、原子力発電は絶対に安全であるとする「安全神話」の徹底にありました。

つまり我が国における原発の導入とは、国民に受容させるための政治的、知的、財政的圧力と一体のものとして進められたことです。ここには原子力の安全をめぐる国民との対話は存在しませんでした。

3.福島第一原発事故

IAEAはチェルノブイリ事故(1986年)後、1996年に新しい深層防護(Defense in Depth)の考え方をまとめ、原子炉構造にかかわって起きる事故を超える予想外の事故を考慮した、第4層(fourth level)の対策、さらにその対策が失敗することに備えた第5層の対応を提起しました。その考えの基本は、炉心損傷確率や放射能放出確率がどんなに低くても、著しい炉心損傷、大規模な放出が「起きる」とする考え方です。

我が国は地震大国であり巨大津波の経験を歴史に刻んでいる国です。この30年間でも、1983年日本海中部地震(M7.7)津波最大高40m、1993年北海道南西沖地震(M7.8)、津波最大高30.6m、今回(2011年)の東日本大震災(M9.0)、津波最大高40.1mと続いています。津波来襲のみでなく、そのつど地下の断層面がずれ、数十センチ以上の地盤隆起と沈降が数十メートル以上にわたり生じてきました。

しかし我が国では長く第3層までの考え方、いわば原子炉の内部事象に起因する事故のみが留意され、外部事象に起因する事故は対応から排除されてきました。2006年に我が国の原子力安全委員会(内閣府)の議論でIAEAの提起に沿った深層防護に見直す作業が起きた際、安全確保の規制庁である原子力安全・保安委員会(経済産業省)は「寝た子は起こすな」と見直しを妨害しました。

我が国の格言「寝た子をおこすな」のその時の政治的な意味は、当時、原発の安全性をめぐる訴訟が起きていたことを念頭に入れたもので、訴訟に不利になるのを避けるためでした。巨大津波で全電源喪失がおきる可能性に関し東京電力と原子力安全・保安院がともに認識していたにも関わらず、でした。

事故の可能性を低くみたい電力会社(東電)の立場と安全を厳しく守る立場の原子力安全・保安院の相互の立場の違いが消失し、規制機関は推進機関(電気事業者)の「虜(とりこ)」になっていたといえます。

2011年3月11日に発生した地震動により、福島第一原発へ向かう外部からの送電が停止し、引き続く津波により非常用ディーゼル発電機等が水没し、すべての電力供給機能が失われました。継続的に発生する大規模な余震は円滑な事故対応を困難にさせました。

3月12日、1号機水素爆発、3月14日、3号機水素爆発、3月15日、4号機水素爆発、同日、2号機から放射性物質大量放出と続き、最後の2号機からの放出が福島県の土壌汚染、県民の被ばく状況を決定したとされました。

4.放射性物資の放出

福島第一原発事故で放出された放射線量はヨウ素換算で900PBq(ペタベクレル)で、チェルノブイリ事故の6分の1とされました。福島県人口約200万人中、避難せずにいたら約36万人が1年間で5mSv以上の外部被ばく線量をうけることが予想されました。

土壌汚染程度、そこの住民数、翌1年間の外部被ばく線量の関係を述べると以下のようになります。

①    6,000KBq/km2‐30,000KBq/km2:2,200人:100‐500mSv、
②    3,000KBq/m2< :3,100人:50mSv< 、
③    1,000KBq/m2< :21,100人:16mSv< 、
④    600KBq/m2< :43,000人:10mSv< 、
⑤    300KBq/m2< :292,000人:5mSv< 

(IRSN 2011.5.23)

このような状況下で、第一原発から20km圏内で7万8000人、20km以遠で年間被ばく量が20mSv以上と予想される圏内1万10人、それ以外に、20-30km圏内で5万8510人、合計14万6420人が国の指示で避難しました(国会事故調報告2012.9.30)。このほかに自主的に避難した人々が数万にのぼりました。チェルノブイリ事故での三カ国の避難者11万6000人(IAEA,2005)と匹敵する避難者でした。なお事故4年後の2015年3月時点での避難者数は11万8974人となっています。

この間、避難後の死者は高齢者を中心に福島県だけで1962人にのぼり、福島県の地震・津波による直接的死亡者1604人を超え、避難者の1%を超える死者数となっています。避難が国により指示された地域(帰還困難地域、居住制限地域、避難指示解除準備地域などと呼ばれる)では、土壌の除染が国の直轄で進められていますが、まだまだ遅遅とした進捗です。将来、帰還すべきか、いつ帰還できるか、それとも避難先での定住を選択すべきか、避難者の多くが依然として苦悩している状況と言えます。

原発事故後、4か月の間の外部被ばく線量を行動調査から推計する、全県民(206万人)対象のプログラムが開始されましたが、2014年12月末時点で回答者44万9千人、回収率21.8%にとどまっています。その結果から、5mSv未満に解析集団の99.8%が含まれました。最高値は25mSvと推計されました。放射性プルームが流れた地域(原発から北西方向)の住民で見た場合、5mSv ~ 25mSvの間に900人が含まれました。なお避難者が避難している地域における被ばく線量は年間数2~3mSv以下にとどまっており、例えば福島市の場合、2014年度、1mSv未満に市民の95.6%が含まれました。低線量被ばくによる健康問題に多くの県民が不安を感じています。

避難地域でなくても、放射性プルームによって汚染された福島市など36市町村についても国の財源で除染が行われています。36市町村における宅地関係の進捗状況は2015年7月末で63.4%、公共施設関係90.5%、道路関係35.5%となっています。しかし除染で剥ぎ取られた土や泥、木々などの汚染物質が宅地内の隅に盛土として置かれており、集約予定の貯蔵施設建設の見通しが立っていない状況下で住民の不安感の元凶となっています。

5.農業、漁業の後退

土壌の汚染が全県的に明らかになった中で農業は壊滅的打撃をうけました。食品の放射能基準が米の場合、1kg100ベクレル以下と定められ、基準超えの米は出荷制限措置が取られました。現在、作付け可能と判断された農地で作られた米はすべて基準以下のものとなっています。漁業においても漁をすることが制限され、現在も区域、水深、魚種が規制される試験操業にとどまり、本格操業には戻っていません。

2014年3月時点(事故3年)では、農業と漁業の復興率は、農地面積では30%、漁港数では30%にとどまっており、それぞれの従事者数の復興率でみると、農業者62%、漁業者2%となっています。国際的話題となっているTPP交渉は福島県の農業者にとっては大問題です。TPP交渉の結果、国内で安価な輸入農産物が大量に流通すれば、福島県の農業は壊滅的打撃をうけることは必至と見られています。原発事故からの復興は、国内外からの多面的な影響をうけることになります。

6.甲状腺がんの発生状況調査

放射性セシウムとともに放射性ヨウ素も、主要な流れは第一原発より北西方向に約80km流れ、その後、南方向に下っています。放射性ヨウ素の土壌汚染マップから推計されている甲状腺被ばく量は、福島県東海岸地域(原発近傍地域)がもっとも高く、ついで福島県中央部、もっとも低値が内陸の西部となっています。しかしいずれも50mSv以下と考えられています。

実際にNaIシンチレーション・サーベイメーターで計測された子どもたちの被ばく線量は、原子力災害現地対策本部の報告(1)、弘前大学の報告(2)、対象をかえた弘前大学の報告(3)で示されていますが、いずれも甲状腺被ばく量は低値であり、それぞれ(1)10mSv未満の比率95.6%、最大値(子ども)45mSv、(2)10mSv未満比率79%、最大値(子ども)23mSv、(3)10mSv未満比率99.0%、最大値(子ども)18mSvとなっています(Hosoda et al. Environment International 61:73-76,2013)。

福島県は震災時18歳以下の県民約36万人を対象に甲状腺超音波検査を実施しています。最初の3年間の予定で全員を実施する先行検査が2017年4月30日で終了しました。超音波検査受検者は30万476人で予定対象の81.7%、その中から穿刺細胞診検査(fine-needle aspiration biopsy)で甲状腺がん、及び甲状腺がんの疑いが全体で113例確認されました(0.04%)。手例は99例で乳頭状腺がん95例、低分化がん3例、良性結節1例でした。

無症状の子ども全例に対する甲状腺超音波検査は国際的に初めてのことであり、現在までに確認された甲状腺がん事例が放射性ヨウ素誘発性かどうかも結論はでていません。子どもと親に対する生涯にわたる心理的、社会的不安を残したと言えます。

7.避難者における心理的問題

避難者約4万人から回答が得られたアンケート調査によって避難者の精神的健康状態が分かりました。うつ状態などを検出するK6スケール(Kessler 2002,USA)での調査結果は、直近の調査でも(2013年度報告)、問題ありとされるK6:13点以上の者の比率は各世代で高く、全体平均は11.6%と全国平均(3%)と比較し4倍と高値でした。

子どもの行動異常などを検出するSDQスケールでも、問題ありとする16点以上のものの比率は、4歳~6歳14.2%、小学生14.7%、中学生13.2%と、全国平均9.5%の1.5倍の高値でした。原発事故を理由に自殺を選んだ原発関連死については内閣府が事故当時から調査を継続してきました。自殺は止まらず、死者数は2011年度10名、2012年度13名、2013年度23名、2014年度15名、2015年度は現時点ですでに11名が自殺しています。合計72名の死亡者の年齢内訳は20歳-69歳が70%、70歳以上が30%でした。このように自殺が止まらない理由は郷里から引きはなされて、将来の生活設計が立たなくなっていることです。また多くの家族は避難に際して家族が離れ離れになったという事情があり、避難者の48.9%が家族離散の状況でした。家族と生業を失ったことが自殺の背景にあると見ざるを得ません。つまり避難者の心理的問題(うつ傾向)は単に放射線に対する不安が導いているものではありません。被災後、土地、家屋、財物を失ったことに対しての東電との賠償交渉において東電の不誠実な対応は目に余るものがあり、またそれに対する国の黙認なども被災者の生きる力を削いできたと言えます。東電と経産省一体となった賠償の打切りや住宅提供打切りの動きなども避難者を一層、苦しめるものとなっています。Ищите средство для укрепления потенции - по ссылке вы найдете только лучшие препараты.

8.原発再稼働の動き

東日本大震災、及び東京電力福島第一原発事故の後、日本にあった50基の原発は約2年間、全く稼働せずにきました。主要には事故後あらたに設定された再稼働基準をクリアするため、地質調査、原子炉施設の強化などのためでした。原子力発電がまったく稼働しなかったこの期間、国民の間にエネルギ-問題(電力不足)は生じておらず、国民においては、原子力発電を必要とする論拠は薄らいでいます。そのような中、日本の最南端に近い九州鹿児島県川内町に設置された九州電力川内原発が2015年8月11日、再稼働に踏み切りました。川内原発が立地する場所は、火山活動が活発になってきていると警告されている地域にあり、また大量の避難者が発生した場合の対策がまったく不十分のまま再稼働されました。IAEAの5層の深層防護の観点がまったく欠如した状況での再稼働でした。

9.さいごに

我が国初の原子力発電過酷事故(INES、レベル7)は地域住民、そして国民に、原子力発電事故がひとたび生じた場合、極めて甚大で深刻な被害をもたらすことを教えました。また原子炉に危害をもたらす外的事象(地震、津波等)は確率が低くても原子炉の安全が担保されるものではなく、確率は1.0、つまり起きるという理解こそが必須の防護であると教えたことです。しかし福島第一原発事故後、5層にわたる深層防護(IAEA)の観点が国民の間で徹底的に論議されたとは言えません。政府もそこにまったく言及してはいません。

それは十万人以上の避難者が苦しんでいる現在、また東電にせよ、政府にせよ、避難者からの信用をまったく得られていない現在、深層防護を論議する基盤が現在の我が国にはないからです。

他のエネルギー政策よりも真に優越する価値が原子力発電にあると考える国民は決して多くはありません。

福島第一現原発事故は国民に重要な教訓を残しつつあります。



 
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