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原水協(原水爆禁止日本協議会)
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ビキニデー

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【2014年3・1ビキニデー国際交流会議】
美帆シボ(AFCDRPフランス平和首長会議 顧問/ヒロシマ・ナガサキ研究所 代表)

私は32年前から、フランスで原爆の実相を伝えています。

皆様もご存知のように、フランスは核兵器を保有し、エネルギー源の80%を原発に依存しています。しかも、たとえ核兵器に反対する人々でも、その多くが原発を支持し、フクシマの原発震災があっても、「フランスには地震がないし、核廃棄物はそのうち科学が解決してくれる」と信じています。また、原発を止めたら、大量の失業者が出る、という理由で原発の維持を主張します。ですから、核兵器と原発の両方に反対する人は少数です。このような状況で、どのように核兵器に反対する運動を広めていくか、という課題が常にあります。

1980年代初期はすべての主要政党が核保有を支持していました。私は原爆展や被爆者証言、原爆映画の上映を行ってきましたが、原爆写真を使用したいという人の中には「広島や長崎のようにならないために、核兵器を持って抑止することが必要だ」という政治家さえいました。また、核シェルターの製造会社は原爆写真を勝手に使って宣伝をしていました。ですから、フランスで原爆展をする時には悪用されないように、さまざまな配慮が必要です。

しかしながら、以前は「原爆の投下によって、世界大戦が終了した」というアメリカの主張がフランスでも通用していましたが、ようやく、原爆投下の目的がソ連に対する戦略であったことなどがフランスでも認められるようになりました。これは長年の運動の成果だと思います。

また、30年前は原爆を語ろうとすると、「日本軍はアジアで大量虐殺をしたではないか」と口封じにかかる人が多かったのです。そこで、私たちは原爆の被害が何世代にも影響を及ぼし、核実験によって世界中に被爆者がいることを伝え、核兵器の問題は世界全体に関わることを訴えました。1986年になってようやく、フランスの主だった平和団体が自国の核実験に反対する署名運動を始めました。

けれども、フランスの核実験の被害が広く知られるようになるまで、さらに14年の歳月がかかりました。1960年にサハラ砂漠で始まった核実験の影響が20年から30年後に、実験場にいた兵士たちに顕著に現れてきました。それまでは「実験場周辺の住民には放射性物質の危険性や情報が伝えられていなかったが、軍人だけは防備万端だった」と思われていました。しかしながら、核実験場の軍人や民間人も放射線の危険性について詳しい情報もなく、防御用の眼鏡も40人に一つしかない状態でした。実験でできたクレーターの中心部はもっとも危険な場所でしたが、そこに国旗を立てるように命じられた兵士もいました。しかも、核実験場に送られた多くは兵役で召集された20歳前後の若者たちでした。

2001年になって、ようやくフランスの核実験に参加した退役軍人の会が結成されて、かつて軍医であったジャン・ルイ・ヴァラックスが会長になりました。彼が最初にしたことは、1800人の退役軍人の健康に関する調査でした。その結果、核実験に立ち会った軍人の71%がガンを病んでいることがわかりました。また核実験後に不妊になった夫婦が多く、ようやく子どもが生まれても、一才未満で死亡する率がフランス平均の3倍であることなど、衝撃的な事実が浮かび上がりました。

そこでフランス各地で国を相手取った被害者の訴訟が起き、次々と勝訴が続く中、2010年にようやく政府は補償法を採択しました。この運動の最中、ヴァラックス会長は血液ガンで亡くなりました。

この「フランス核実験退役軍人の会」AVENには、軍人だけでなく、民間人も会員になり、核実験のすべての被害者の補償問題に関わっていますので、会員の数は5500人になっています。そのため、私は日本語では「フランス核実験被害者の会」と呼んでいますが、彼らはポリネシアやアルジェリアの「被害者の会」とも交流を続け、住民を含むすべての被害者が正当な補償を受けられるように運動しています。詳しくは配布されたAVEN「フランス核実験被害者の会」のメッセージをご覧ください。

また、今年の2月にはフランスの新聞「ル・パリジャン(Le Parisien)」が50年間軍事機密となっていた「サハラ砂漠核実験による汚染区域」を報道しました。その情報によりますと、核実験の放射性物質が降下した地域は被害者の補償対象になっている地域を大きく越えて、アフリカの東部と西部だけでなく、南はアフリカ中部にもおよび、北はスペイン南部の沿岸やシチリア島まで広がっていたことが判明しました。

 このように被害者の運動によって、マスコミも核実験の被害を報道するようになり、映画も制作されました。この「被害者の会」は核実験の補償問題に関わり、核廃絶を唱えて運動しているわけではありませんが、核戦争をしなくても実験のためにたくさんの住民が被害を受け、後の世代にも悪影響を与えている事実を、今や核抑止を信じる人も認めざるを得ません。

核兵器反対運動を展開する上で、広島市が会長になっている平和首長会議も大きな役割を果たしています。フランスでは私が代表を務めているヒロシマ・ナガサキ研究所(INSTITUT HIROSHIMA-NAGASAKI)の呼びかけにより、1997年にAFCDRPフランス平和首長会議を結成しました。結成当時はメンバーが7都市でしたが、現在、143都市と3県が加入しています。

フランスの市民の中には、核兵器の問題は国が関わる問題で、地方自治体には関係がないことだ、と考える人々がいます。しかしながら、核政策を進める国では、いかなる政府も核保有に有利な情報しか流しません。そして、実際に核問題の影響が市民に及んだ場合、市町村がまず一番身近な対策をとる立場にあります。ところが、国際赤十字も主張するように、たとえ地域的な核戦争でも、全世界に影響が及び、医師たちは救援する術がありません。核問題を国に任せるのではなく、市民一人一人の問題であることを伝えることは、地方自治体の役割ではないでしょうか。

毎年、国連が定めた921日の国際平和デーにフランス平和首長会議と平和団体が協力して平和活動を行っています。またユネスコが提唱した「平和の文化」を具体的に実践するために、平和首長会議のメンバー都市のネットワークが大変重要な役割を果たしています。というのも、核兵器に関する国際会議について、フランス国内ではマスコミが全く触れないために、核を巡る世界の情勢に疎くなっているからです。

フランス平和首長会議のメンバーには、ミッテラン時代に国防大臣を務めたポール・キレスがいます。彼はアニメ「天空のラピュタ」のモデルに一つになったといわれる村の村長さんですが、今でも政界やマスコミに影響力が大きい方で、核兵器に反対する活動を始めました。また、彼はフランス国防高等研究所(INSTITUT DES HAUTES ETUDES DE DEFENSE)の所長であったベルナール・ノルラン空軍将軍と共に核兵器廃絶を訴える本を出版して、各地で講演しています。

このように、フランスでも核兵器に反対する新しい運動が生まれてきました。

原爆が投下されて70年目を迎える2015年には、フランスのマスコミも原爆関係の特別番組を作って報道をせざるを得ません。この機会を活用して、原爆による被爆者の証言や核実験の被害をさまざまな方法で伝えていく必要があります。

日本のたくさんの方々の支援によって制作されたピース・アニメ『つるにのって』は、英語版とフランス語版ができて今年で20年になります。今でも、このアニメがフランスの映画館や学校や学童保育で上映されて、フランスの子どもたちに核兵器の恐ろしさと廃絶への努力を訴えています。2年前からはインドでもヒンドゥー語版が上映されています。未来を担う若い世代への平和教育の手段として、昨年夏に広島で行われた平和首長会議の総会では『つるにのって』の活用が採択され、158カ国の5,895のメンバー都市に上映が薦められました。

 これからも、核兵器を禁止する国際法を実現するために、多くの国々と連帯していきたいと思います。皆様、どうぞご協力をお願いします。

 
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