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【2013年3・1ビキニデー日本原水協集会/国際交流フォーラム】東アジア平和秩序の構築にむかって

2013年2月27日
2013年ビキニデー国際交流フォーラム

李俊揆(イ・ジュンキュ) 
韓国・「平和共感」研究委員

 再びビキニデー集会にご招待いただき、ありがとうございます。
 昨今の世界体制は、転換期に置かれています。新自由主義と呼ばれていた一つの資本主義モデルは、その心臓部であるアメリカやヨーロッパから終焉を告げ、ポスト新自由主義の時代を迎えています。キャンドルデモ、反原発運動の拡散、中東の民主化、Occupy運動を通じて、私たちは従来の世界体制から脱却を望む民衆の熱望を目撃しました。
 しかしそのような「転換」が平和と共生を約束してくれると言えるのでしょうか。私たちは、その世界史の流れの中で「平和のちから」を強力なファクターとして働かせるための重大な課題に直面しているのではないでしょうか。

「Pivot to Asia」(基軸をアジアへ)と東アジア:亡霊の復活
 2012年東アジアは権力再編の時期でした。北朝鮮はキム・ジョンウン体制が登場し、ロシア、アメリカ、日本、韓国も新しい政権を迎えました。しかし核問題、歴史と領土問題を抱えている東アジアの現状、そして日本と韓国の国内政治を見れば、明るい展望はできません。そのなかでアメリカの第2期オバマ政権は、対外政策・東アジア政策においては、第1期と連続性を維持する可能性が高まっています。その中身はブッシュ政権の東アジア政策とあまり変わりのない「Pivot to Asia」戦略は、日中の領有権紛争、南中国海の領有権紛争、北朝鮮の人工衛星発射と3回目の核実験をへて、一層露骨になっています。
 まず「Pivot to Asia」は日本、韓国、フィリピンなどの同盟国と同盟の強化、軍事訓練・軍事協力の拡大というかたちで現われています。西太平洋には、アメリカ海軍力の60%が配備されています。韓国と日本は、韓米FTA、TPP、それから北朝鮮と中国の脅威を口実にし拡大抑止や集団的自衛権で、そのような動きに応じています。さらにはタイ、インドネシア、ベトナム、ビルマ、オーストラリアを含めてまさに「中国包囲網」を構築しています。しかしそのような戦略は、それに対抗するもう一つの「陣営づくり(中、ロ、朝など)」という結果につながります。結局は、冷戦時代の地政学に基づいた同盟政治と、それに伴う陣営対立という過去の亡霊の復活なのです。
 何よりも、以上のような流れが三回目の核実験に至っている北朝鮮核問題、依然として真実と和解にむかう道の上で前進と後退を繰り返している歴史問題、国家主義を煽る領土問題など東アジアが抱えている問題の解決でなく、むしろ悪化させる要因になるということです。

歴史の磁場を乗り越える共感の政治
 東アジアが抱えている問題は三つの歴史的要因が錯綜(entanglement)して現われているのではないかと、私は考えています。一つは帝国主義による傷痕、それに対しての記憶です。もう一つは、サンフランシスコ体制、即ち「東アジア冷戦体制」です。最後に冷戦崩壊の非対称性です。
 なぜいわゆる「領土問題」が歴史問題として捉えられるのかはそのような歴史を直視しなければ理解できないでしょう。朝鮮半島と日本、中国と日本が対立しているイシュー(問題)は、 欧米の列強が「近代」、「文明」といった旗を振りながらアジアを侵略してきた時代、日本が帝国列強への仲間入りを果たし、その過程で犠牲になった朝鮮半島と中国の歴史と記憶がその背景になっています。そのような背景に対する理解と共感を踏まえてのアプローチでなければ、問題の解決への糸口を見つけるのは不可能でしょう。
 戦後東アジアは、「東アジア冷戦」という構造的制約によって真実に基づいた和解が現実化されなかったのです。ヤルタ体制を代替したサンフランシスコ体制、つまり「東アジア冷戦体制」は歴史課題を封印しました。その体制の頂点にはアメリカがあります。「東アジア冷戦体制」ー国際冷戦と各国の国内冷戦両方ともーの形成はアメリカの戦略によるものであるといえるでしょう。だからこそアメリカは、東アジア全体を二分する戦略にこだわるのではなく、この地域から軍事的プレゼンスを撤去することが歴史の責任を取る行為なのです。
 この地域におけるアメリカの軍事プレゼンスの縮小・撤去に関しては、韓国、日本のようないわゆる同盟国の役割が肝心なのです。日本の場合、「非核―非核国家、脱原発国家―日本」を確立し、平和憲法の理念と精神を現実の中で活かしていくことが最優先の課題でしょう。韓国の場合、「北朝鮮核問題」を、朝鮮半島の非核化、平和、それから東アジアの平和な秩序の構築へ導いていくという視点からアプローチすることなのです。

歴史から教訓を得た大胆な構想と実践
 「北朝鮮核問題」の背景にも、歴史的要因が絡み合っています。「東アジア冷戦」の原因と結果である朝鮮半島の分断、戦争、対立、そして朝鮮半島の分断は帝国主義の遺産でもあります。それから社会主義圏の「一方的な」崩壊による体制不安と安全保障の懸念が、北朝鮮の核開発の直接的な背景であることは確かです。そのゆえに、北朝鮮核問題をめぐった交渉の歴史を振りかえてみれば、「非核化」と「安全保証・平和」が同時に推進された時に成果を出しています。1994年ジュネーブ枠組み、2000年朝米コミュニケ、2005年9.15合意の共通するところなのです。もう一つ注目すべきところは、北朝鮮核問題をめぐった交渉と合意が東北アジアの新たな秩序を示していることなのです。北朝鮮核問題は、その根本的な解決には東北アジア秩序の変化が伴わなければならないという証なのであります。
 北朝鮮の三回目の核実験をうけ、一部では6者会談の無用論、非核化が不可能などの話が出ています。その一方、ヘッカ(S. S. Hecker)博士の提案した「no more, no better, no export」のような現実主義論も出ています。しかし、私たちは非核化をあきらめるわけにはいかないです。それからその可能性も残っていると思います。非核化と安全保証・平和・関係正常化を包括的に推進する構想、特に2005年9.15合意で明記されている朝鮮半島平和のための4者(または3者会談)は今まで公式に開催を提案したことさえありません。その会談を通じて対話のモメンタムの復元を試みる必要もあります。とにかく、イ・ミョンバク政権の対話断絶、第1期オバマ政権の「戦略的忍耐(strategic)」が失敗であることは明白です。
 最後に、アイロニですが(皮肉なことですが)、6カ国協議をきっかけに注目された多国間協議枠組みの重要性を強調したいと思います。そのような枠組みは地域のイシュー(問題)を、強大国に依存せず、解決していく中で成熟した地域秩序を作り出すための足場になれるでしょう。私たちが、北朝鮮核問題をめぐった交渉の歴史から体験してきた多国間協議の経験と成果を軽く見てはいけない理由でもあります。それからもっと視野を広めて非核地帯条約と自由・平和・中立地帯という歴史を体験した東南アジアの成果とシナジー効果を期待することもできるでしょう。
 しかし、「ASEAN+3首脳会談」の成果を踏まえて東アジア首脳会談を出発させる際に日本の主導でその枠組みを中国包囲網にしようとした経験からみれば、東アジア市民の連帯による「民衆のちから(People’s Power)」がもう一つのイニシアチブにならなければなりません。


 
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