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ビキニデー

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2005年3・1ビキニデー集会

アバッカ・アンジャイン・マディソン
マーシャル諸島共和国上院議員

こんにちは。ロンゲラップ島民を代表して皆さんにご挨拶申し上げます。今回ビキニデーの行事に参加することができ、とても光栄に思います。

51年前の今日、マーシャル諸島北部のロンゲラップ島で、4人の妊婦と子供を含む87人の島民は、目のくらむような光と耳をつんざく爆音に飛びおき、西から登る太陽を見ました。

静かな村は、瞬く間に狂気の世界とも言うべき恐怖につつまれました。穏やかな眠りを突然に奪われ、未だ終わらぬ生き地獄が始まりました。過去最大の核爆発をもたらした水爆実験「ブラボー」が、ロンゲラップの西数マイルの場所で、地球を引き裂いたのです。

白い雨のような白い粉「死の灰」が、私たちの村に降ってきたのです。その放射能の毒性など知る由もなく、いつものように島民は食事や飲み物の用意をしていました。彼らは、「死の灰」を浴びたり吸い込んだりしただけでなく、毒に汚染されたものを口にしてしまったのです。

1945年3月1日から3日後、米軍によって、私たちはロンゲラップ島からクワジャレン環礁に避難させられました。すでに火傷や皮膚病などの症状が現れていました。それから、髪の毛が抜けたり、高熱や下痢などの症状が島民に現れました。島民は、その後、様々な病気や癌で苦しみながら、生きていかねばならなくなりました。多くの親戚、家族が亡くなりました。

 被ばく後、島民はクワジェレンでのテント生活を強いられました。クワジェレンは現在アメリカのミサイル実験場です。そこで、アメリカの医者や看護婦は、悪名高いプロジェクト4・1とよばれる人体実験を始めたのです。

私たちの島で実験されたのは、ブラボーだけではありません。1946年から58年までに、マーシャル諸島のビキニおよびエニウェトク実験場では、67回の核実験がおこなわれました。専門家の分析によると、この核爆発すべての威力を足し合わせると、12年のあいだ365日、毎日、1.7個の広島型原爆が爆発したことになります。

 クワジェレンから、私たちは再びマジュロ環礁のエジット島に移されました。それから1957年に故郷の島、ロンゲラップにもどされました。当時、専門家は、その時期の帰島は早すぎるし、無責任だと警告していました。この帰島により、私たちは、さらに、様々な放射性物質、核種にさらされることになり、放射能は私たちの体に深くはいりこみ、島民の不安を増大させることになりました。

 ロンゲラップの指導者たちは、強い放射能により島民が死んでいく恐怖を目の当たりにし、子供たちのことを心配し、ロンゲラップから、再び、クワジェレン環礁のメジャットに非難することを決めました。そして、現在もこの島で暮らしています。故郷の島に帰ることは私たちの強い願いですが、将来安全に帰れるかどうかはわかりません。

この50年のあいだ、私たちは、他のどの人も経験したことのない形で、被爆させられました。世界各地に被爆者がいることは確かですが、私たちの被ばくには独特のものがあります。つまり、通常でいう被爆にくわえ、放射性物質に汚染されたまわりの環境と食物連鎖からも被爆しました。私たちの状況を調査してきた専門家によれば、私たちは、言葉を話し、命令にしたがう、という点でネズミよりましな存在とみなされていたのです。

今年、米ブッシュ大統領は、マーシャル諸島政府と新しい自由連合協定を結びました。この協定は、今から2023年まで続きます。ところが、その合意によって、私たちの医療や、土地・食物の汚染状況をモニターするための制度や助成金が大幅にカットされたり、完全に打ち切りにされました。それだけにとどまらず、アメリカがすでにその責任を認めた被害に対してさえ、私たちに補償するかどうか定かでありません。

アメリカ合衆国は、マーシャルを決して見捨てはしないと約束してきました。彼らが、ロンゲラップ島民だけでなく、マーシャル諸島全体の島民にもたらした被害をみるなら、アメリカの態度は、真っ向から信義を裏切っています。これも、アメリカが、果たしてこなかった長い約束リストのうちのひとつにすぎないかもしれませんが。

今年は、ロンゲラップ島民が島を捨て、メジャット島に避難してから20年にあたります。グリーン・ピースの助けを得て、レインボー・ウォリアー号という船で避難しました。その船は、仏核実験に抗議するためメジャット島からフランス領ポリネシアへ向かう途中、1985年、ニュージーランドのオークランド港で爆破されました。私たちは、20周年を記念する集会を開く計画がありますので、皆さんもマーシャル諸島へ是非いらして下さい。

 また、私たちは核実験の被害者として、5月のNPTの会議にも参加したいと思っています。ロンゲラップの被ばく者は、ニューヨークに行き、核兵器廃絶への支持を表明しなければならないと思います。また、私は国会議員として、廃絶をすすめるための条約や法律の批准などを進めていきたいと思います。
最後になりますが、ロンゲラップ平和ミュージアムの設立に協力して下さった全ての方々に感謝申し上げます。今年中には完成させるつもりです。そして、マーシャル諸島、とりわけロンゲラップの人々に対する皆さんの変わらぬ友情に感謝します。私ごとですが、ジョン・アンジャインの家族として、ジョンが生前皆さんから受けていた暖かい友情に感謝いたします。ジョンが亡くなる前に、私に、最後の旅となった日本でのようすを語ってくれました。彼も病気や体の痛みに苦しみましたが、最期は幸せに死んでいきました。みなさんは真の友人です。ジョンの死は決して犬死ではありません。

日本原水協とビキニデー集会の主催者に、この集会の成功を祝いたいと思います。そして、ここに参加されている若い方々に、平和と正義のたたかいを引き継いでいってほしいと思います。



 
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