被爆者との連帯【カザフスタン】

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核実験被害者同盟
アシルジャン・ハビジャノバ(1997年国際会議)

カザフスタン

原水爆禁止1997年世界大会・国際会議

核実験被害者同盟
アシルジャン・ハビジャノバ



核実験場がセミパラチンスク地方住民の健康に与えた後遺症について

  私の名前はアシルジャン・ハビジャノバです。37年間、産婦人科医として働いてきました。私はカザフスタンのセミパラチンスク市から、核実験の残した大きな爪痕を絶えず目の当たりにしている医療従事者たちを代表してこの世界大会に参加しています。

  世界には、セミパラチンスク実験場ほど長い期間にわたって、空中、地表、地下核実験が行われた場所は存在しません。40年の間に多くの人命が奪われ、運命が狂わされました。

  1949年の8月29日から、多くの居住地域の間に作られた核実験場で、核兵器の実験がおこなわれました。480から100キロトンの規模の空中、地表実験が160回、地下核実験は350回以上おこなわれました。地下核実験のうち3分の1は、放射性ガスの空気中への放出を伴うものでした。これらの実験の結果、地区の自然環境と、カザフ人の何世代にもわたって大きな影響が残りました。

  1949年から66年まで、セミパラチンスク州の一部の地域住民は、平均150から200レムの被曝を受けています。実験場の医療機関と専門家たちによる大気、土壌、水、食物の放射化学的調査によって、核実験が始まったときから、カザフスタン共和国全土に放射性物質が降下していたことが明らかになっています。降下した放射性生成物は今でも存在します。

  地下核実験に移行してからも、実験場周囲の安全は確保されませんでした。

  いまでは明らかになっているように、一定の面積あたりの核実験の回数は、カザフスタンが世界で一番です。核実験はセミパラチンスク地区とその周辺地域住民の人々の身体だけでなく、遺伝子をも脅かし続けています。

  実験が自然と人々の健康に与える危険を、初めて声を大にして知らせたのは医師たちでした。50年代にはすでに、アカデミー会員であるアチャバロフ医師とバルムハーノフ医師に率いられた調査隊が、セミパラチンスク州の一連の地域で、神経系と感覚器の異常、皮膚疾患、原因不明の貧血、前ガン症状・ガンに代表されるように、住民の健康が悪化していることを突き止めていたのです。

  長年にわたって慢性的に大量の放射線を浴び続けた結果、セミパラチンスク核実験場に隣接する地域に人口学的な悪影響が出ていることがわかっています。セミパラチンスク全体の死亡率を示す指標は、1963年と比較すると平均して2倍に増えました。1966年にはこの数字は1000人あたり11.0を示しました(共和国全体では10.1)。ベスカラガイスキー地区では12.1、セミパラチンスク市では13.2です。

  1996年の幼児死亡率は共和国平均が1000人あたり25.3に対しセミパラチンスク州が31.3、ベスカラガイスキー地区が37.0、アブラリンスキー地区が63.9です。

  死亡例のうち明らかに増加したのが先天性奇形の割合です(新生児1000人あたり1963年の5.2から1995年の9.5)。1000人のうち13人が死産ですが、その主要な原因は胎児の発育停止や、生命に直接関わる感染や先天性の奇形です。1000人の新生児のうち10人が生後数日で死亡しており、この数はアブラリンスキー地区では14、ベスカラガイスキー地区では19人です。

  実験場と境を接する地域では、新生児の15%が未熟児で、40%以上が発育不良で産まれており、これも幼児死亡率を増加させる要因となっています。

  同地域の住民の平均寿命は、女性が58歳(共和国平均は68歳)、男性が56歳(共和国平均は76歳)です。

  ここ10年間では腫瘍疫学的な状態が急激に悪化しています。1979年にセミパラチンスク州の悪性腫瘍の疾病率が10万人あたり154.5だったのに対し、1991年から96年の間に51から53増えて、1996年には193.4になりました(共和国平均は174.3)。州内での悪性新生物による死亡率は、1960年以降、常に共和国平均より高い数値を示しています。

  結核も増えており、1965年には州内も結核による死亡率が10万人あたり50.1だったのに対し、1996年には130.0(共和国平均26.4)になりました。核実験場の悪影響については、最も権威ある生物学的指標の一つである細胞遺伝学的調査のデータも証明しています。実験場近隣の地域では染色体異常の頻度が増加しています。この異常の中では、染色体構造の複雑な破壊が圧倒的に多く、このことは放射能が人体の突然変異を誘発することを証明しています。最新の生物学的指標測定方と線量測定方を用いた調査によれば、パブロダール州の放射能に汚染された地域では、残留放射線量は17レムを示しています。

  セミパラチンスク地方の特徴的として、住民の免疫力の低下があげられます。地域住民の40%から50%が、免疫力指標が正常値ぎりぎりの数値を示しています。そのうえ、住民の20%以上に異常なアレルギー反応が見られます。

  血管系および造血器官の疾患も深刻な問題になっています。実験場に隣接する地域でこの病気の初期罹患率も絶えず増加しています。セミパラチンスク地方では1996年の指数は10万人あたり1014.6であり、これは共和国平均より38%高い数値です。貧血になる率も増えており、アブラリンスキー地区・アブラリンスキー地区、ベスカラガイスキー地区、ジャナセメイスキー地区の住民の81~82%がかかっています。最も貧血、白血球減少症、リンパ球減少症になりやすいのは、3歳以下の幼児を含む幼い子どもたちです。

  私たちがとくに心配しているのは妊婦の貧血の増加です。1987年には貧血になっていたのは妊婦の19%だったのに比べ、1992年には23%になり、1996年には59%になり、アバイスキー地区、アブラリンスキー地区、ベスカラガイスキー地区ではこの指標は80%を示しました。ここ2年では、実験が行われている中国との国境に接するウルジャル地区とマカンチン地区で、妊婦の貧血が90~95%になりました。

  1989年には白血症の疾病率は10万人当たり5.5人になり、1990年には6.6になりました。これは20%の増加です。白血症の罹病率はカザフスタン共和国の平均が3.8に対し、残りの州では0.6から5.8です。

 放射線は次の世代にも大きく影響します。州内で行われた遺伝学的調査の結果は、重度の精神薄弱のケースを多く含む、知的障害の顕著な増加を示しています。調査がおこなわれた地区では共和国平均の3.5倍、知的障害をもった子どもが産まれています。

  セミパラチンスク地方では、ノイローゼなどの精神障害の頻度も高くなっています。ここ10年間で、精神病患者数は地区全体では30%増え、アバイスキー、アブラリンスキー、ベスカラガイスキー、ジャナセメイスキーの4地区ではほとんど2倍に増えています。その中には治癒不可能な精神病も含まれています。不安神経症やうつ病などです。上に挙げた地区の自殺率は、共和国平均の数値より50%高いのです。性交障害は3.4?4倍に増えました。1996年のセミパラチンスク地方での精神障害の発生率は共和国平均より21.5%高かったのです。

  ある調査によれば、当該地域に、地表・大気中実験期に住んでいた人たちの中には、その後に移住してきたコントロール・グループと比較して、慢性の歯肉炎、角膜のにごり、皮膚色素沈着機能の破壊、前立腺肥大、腰痛症、組織破壊を伴う気管支炎、ポリープ、高血圧症、貧血の高い罹病率が見られます。

  このように、核実験は、様々な腫瘍や血液疾患のような、いわゆる今まで放射能が原因であるとされてきた病気だけでなく、住民の健康全体、とくに人々の精神的状態にまで悪影響をおよぼしました。

  特徴的なのは、このような状況はセミパラチンスク地方だけでなく、核実験の被害を受けた他の州でも見受けられることです。

  ですから、実験場の閉鎖後も、被害を受けた州の住民、行政府、医療従事者、科学者にとって、セミパラチンスク核実験場の問題はまだ解決されていないといえます。そして、被曝者治療における具体的な問題を解決するのに力を尽くさなければならない状況です。

  カザフスタンの科学者たちの他に、海外の科学者の方も、被害地域の住民の健康管理に力を貸して下さっています。

  最も早くカザフスタンに援助の手をさしのべて下さった科学者や医者の中に、日本の先生方もいました。彼らは医療機器を提供してくれ、私たちの国で専門家を育成するのを助けて下さいました。

  この機会に、セミパラチンスクの科学者と医師たちから日本のみなさんに、心からのお礼を申し上げます。

  人々の健康はかけがえのない財産であり、あらゆる国の社会的・経済的な能力の重要な要素です。核実験で被害を受けた住民の治療という重大な課題を共同で解決することにより、私たちは未来と、21世紀に向かうことが出来ます。

  私たちはすべての核被害者と、いまこの瞬間に生きるために、また子どもや友人のためにたたかっているすべての人々を代表して呼びかけます。これ以上の核実験を許さないためにたたかいましょう。



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