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原水協(原水爆禁止日本協議会)
被爆者との連帯 ビキニデー 平和行進 世界大会

被爆者との連帯【アメリカ合衆国】

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放射線被害者支援教育の会
理事長
デニース・ネルソン(2000年国際会議)

原水爆禁止2000年世界大会・国際会議

放射線被害者支援教育の会
理事長
デニース・ネルソン



  今日ここに参加できる身に余る機会に感謝しています。私の父が「歴史を知り、過去の出来事を理解するには、その場へ行って実際に見なければならならない。響きを体験し、生き残った人々の言葉に耳を傾けなければならない」と、かつて私に言ったことがあります。それで私は今日ここにやってきました。みなさんの声を聞き、お顔を拝見し、そして私は胸がいっぱいです。初めて広島と長崎を見るのは辛いことです。ここで起きた身の毛のよだつような被害と苦痛について何十年もの間いろんなものを読んできたのですから。今日では、二つの都市ともとても活気ある元気な町となっています。人間というものは、想像を絶する悲劇をも克服できる信じられない強さをもっています。そして、こうした都市の再建は、生き残ったすべての人々の強さを象徴しています。

  私はオーストリアのウイーンで、この美しい都市のほとんどを破壊し尽くした戦争の数年後、生まれました。でも、建物の再建より生活の再建の方がより困難なのです。家族は悲惨な状況でした。姉も1945年に生まれましたが、多くの場所で多くの命を奪った同じ戦争のために亡くなりました。

  ウイーンで私が通った学校には、すばらしい先生がいました。彼女は世界について自分の持っているすべての知識を分け与えることに熱心でした。ある日、彼女は学校にきて、私たちの援助を必要としている重い病気にかかった一人の少女の話をしてくれました。彼女は美しい色紙を持ってきて、折り鶴の作り方を教えてくれました。教室中がきれいな色紙の折り鶴でいっぱいになる頃には、いくら折り鶴を折っても少女の命は救えないのだということは問題ではありませんでした。でも私たちは学んだのです。決してあきらめないこと、周りの美しいものに目を向けること、そして罪のない子供たちを傷つけないためにできる限りのことをしなければならないと。

  数年後、私は広島のシンボルとして世界中に知られている原爆で爆撃された建物が、ウイーンにある同じような建物の設計者であるオーストリア人のデザインによるものだということを知りました。その建物の中で私が参加したきれいな催事は、私の子供の時代のなつかしい思い出となっ て残っています。そうなのです。人間の相似性を理解するためには似たことを体験しなければならないのです。大切なのは相違ではなく、私の先生が私と分かち合った知識なのです。つまり、各人には歴史から学び、善い行為は必ず報われ、悪い行為はいつかは暴露されることを学ぶ責任があるということです。簡単に言えば、私たちが学んだのは、禎子が大人になるまで生きられるような世界に向けて行動するということでした。

  いま私は米国で、放射線汚染で死ぬと知らされていない犠牲者に囲まれた社会で暮らしています。放射線を浴びたことが分かったときには、手遅れということがしばしばです。小児の甲状腺ガンでは、アメリカは世界で最も高い数値を示している国の一つです。高度の放射性降下物に汚染された地域で生活していた人たちは、健康診断を受けろと言われたこともなく、警告すら受けていません。多くの人が、自分に何が起こったのかを決して知ることもないまま、亡くなっています。彼らはその苦しみが、誰の、何の責任によるものなのか、一度も告げられたことはありません。放射線被曝の影響を隠し、口を閉ざさせるために莫大な金が使われているからです。私は毎日のように、病気や被害について被害者から悩みを聞かされています。彼らはほぼ1000回に及ぶ核実験の放射線により家族が病気になり、死んでいくことになるとは全く何も知りませんでした。広島に始まったことはまだ終わっていないのです。3年前、私はSERV(放射線被害者支援教育の会)を結成しました。主に私たちは、これまで無視され続けてきた人々、互いに交流し、悩みを語り合うの場もない、援助を得る方法についての情報も持たない被ばく者たちの話に耳を傾け、援助しようとしています。

  アメリカ政府は被害者の苦痛や貧困の軽減する措置を殆どとっていません。ユタ州風下地域の住民、兵器施設で働く労働者、ウラン鉱山労働者、そして1990年の退役兵士など一部の被害者への補償法が制定されました。しかし、それも医療費用をカバーするのではなく、立派な自動車一台が買えるほどの補償金をたった一回もらえるだけです。放射線被曝との関連が明確である多くのガンや病気も認定から除外されています。亡くなった人には、遺族がいなければ補償はありません。「補償」区域から1マイル外にいたというだけで、なにももらえないのです。補償を待っている間に多くの人々が亡くなっています。認定手続きに何年もかかるからです。認定申請手続きに関する情報は手に入りにくく、あきらめて何の援助も得られない人がほとんどです。働けず、かさむ医療費が原因で多くの人が破産しています。彼らの子供たちは、お金がないがためにより高い教育を受けられないということもしばしばです。彼らは、祖父母も早く亡くなり、死んだ友人を恋しがり、拒絶され無視されているという気持ちを持ち続けるのです。

  世界一裕福な国の政府は、未だにやらなければならないことをやろうとしていません。求められていることはたくさんありますが、何よりも放射線医学上の疾病の治療をすべて無料化し、そして無料医療が最優先されなければなりません。次に、何が行われたのかについて、国民を闇の中に閉じこめておくべきではありません。広島と長崎については全世界が知っていますが、アメリカ西部でなにがあったかはいまだに隠され、ごまかされており、決して共通の認識とはなっていないのです。これを変えなければなりません。将来的には、真実を隠し通し、罪のない男女や子供たちを意図的に傷つけることはより困難になるだろうと思っています。今日の通信技術は強力な手段です。新しい千年紀を迎え、真実と歴史を広め、何度も繰り返し、「友好的な」原子爆弾の嘘を信じる人が一人もいなくなるまで、語り伝えることが非常に重要になるでしょう。第三に、家族にとっては奪われたものを返済させることが必要です。亡くなった人は取り返しがつきませんが、失った所得、葬式などの費用、そして突然の死亡や疾病による損害の補償は完全に実行可能であるし、当然のことでしょう。いかなる者も他人を傷つけることによって財政的な利益を受けることは許されるべきではありません。

  私が今日、この会議に参加しているのは、人間は事態を変えるために何かできるし、やるだろうと信じ、人類にとって最もよいことをするのは私たち1人1人だということを信じ、そして、将来、よりやさしい、より人に温かい世界となることを信じているからです。みなさん、会う人に伝えてください。被害や苦しみは長崎で終わったのではないのです。オーストラリアや、マーシャル諸島やカザフスタンで続いているのです。今日、被害はパデューカ、オークリッジ、ハンフォード、サバンナリバー、ファーナルド、ロッキーフラッツ、ポーツマス/ピクトン、マウンド、アーマリロ、アイダホフォールズ、リバモア、ネバダ、そしてユタでいまだに続いているのです。核爆弾は、1人、100人、1000人、1万人、10万人の死という数字にとどまらず、その被害は何百万もの人々に及ぶことをみんなが知る日はそう遠くないでしょう。

  かつて、私の先生は核爆弾で破壊された日本の美しい都市の話をしてくれました。今日、同じように被害にあったアメリカの土地や人々のことを私たちがみんなに語る番です。放射線はどんな 国でもその国境内にとどまらないこと、そしてその影響はまさに世界的であることを一人ひとりが理解して、はじめて原爆のない世界を作り上げるチャンスは本当に現実のものになることでしょう。



 
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