原水爆禁止2004年世界大会 長崎
アメリカ
首都圏ヒロシマ・ナガサキ平和委員会
アレクサンドラ・シルバーソーン
進歩的な家庭に育った私は、戦争の恐ろしさや、平和とは「安易に不正に流れることなく努力して勝ち取る正義」であることをよく家族と話し合いました。小学校でも、日本の本や詩、芸術作品、映画から、広島・長崎の悲劇を学びました。若者になった私自身も、アメリカ政府の残虐行為から逃れることはできませんでした。つい最近知ったことですが、私の大叔父コンラッドは、かつて原爆投下を任務とする部隊の一員でした。政府が必要だと判断していれば、3つ目の原爆を落としていたかもしれないのです。この事実が家族の歴史から消し去られていた理由は簡単です。愛する者があれ程の残虐行為に手を貸したかもしれないことは想像するだけでも、あまりにつらいからなのです。しかし忘れてはなりません。自身を過去から切り離し、歴史と苦しみを忘れたら、再び暴力を許してしまう危険があるのです。
私たちは今、危険な時代に生きています。戦争好きなブッシュ政権が、この危険を増大させています。政治家たちがテロをもってテロに対抗し続けるなら、現在の政策や構想は、未来に破壊的な影響をもたらします。教育や医療、環境に費やすよりはるかに多い資源が、戦争や暴力、「安全保障」と呼ばれるものに使われています。2003年、政府は、ミサイル防衛構想復活の財源を確保するため、350万人以上の子どもたちの医療を削ろうとしました。アメリカ国民には許せない行為でした。しかし、世界の人々にとってさらに許しがたいのは、世界一の軍事力と大量破壊兵器を持つ国が、1945年8月に使われた兵器よりもはるかに強力な核兵器の研究・開発をすすめようとしていることです。
私は、この3年間写真家として、平和と社会正義をめざす運動が高揚する時代を捉えようと努力してきました。私の写真を見てくれる人たちが写真を見直し、多少なりとも心を開いて、写真の裏の語られることのなかった歴史を思い出して欲しいからです。芸術はすばらしい文化的手段で、何千もの人々の感情に訴える力があります。平和や正義も、音楽、演劇、文学、彫刻、絵画、写真などの芸術を通して、表現することができるのです。
しかし、進歩的なアーティストは右派の攻撃の対象になってしまうものです。最近、進歩的なアメリカの街サンフランシスコで、反戦のメッセージを込めた作品をつくった10代の若者が逮捕されそうになり、画廊の主人は反戦の作品を展示したことでひどい暴力を受けました。これからも芸術は人びとの声を代表し、思い起こさせ、平和とは常に、安易な不正に流されず勝ち取るべき正義であるということを気づかせるものでなければなりません。
アーティストとして、平和を願うものとして、私たちは恐怖で口を閉ざしてはなりません。歴史を忘れてはなりません。核兵器の存在を許してはなりません。アメリカ政府に私たちの名のもとで、戦争をさせてはいけません。私たちができること、またしなければならないこととは、声をあげつづけることです。知らせることです。そして記憶しつづけることです。
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