2004年原水爆禁止世界大会

 

原水爆禁止2004年世界大会 

国際会議

パキスタン

バルチスタンの証言(チャガイ核実験場被害者)

プログラム・コーディネーター

ファイザル・バロチ

人類に敵対する核兵器とその社会的影響

 チャガイは、パキスタン最大の県で、長期にわたって歴史に表れたり消えたりしてきました。しかし、その戦略地政学的な重要性は決して減じることはありませんでした。同地が長年にわたって重要だったのは、中東、中央アジア、南アジア、インド洋に近いからとみられています。近年は、ソ連のアフガニスタン侵攻がチャガイの重要性をさらに高めました。過去2000年にわたって、イランやギリシャ、アラブ、モンゴル、英国などの大規模な軍隊の通過を妨げるか、もしくは支援し、それを通じて世界史に影響を与えてきました。

 チャガイは、西側は400マイル(約640キロ)に及んでイランと、北側は370マイル(約590キロ)にわたってアフガニスタンと国境を接しています。チャガイの東側には、同じパキスタンのシンド州、パンジャブ州、北西辺境州があります。南にはあたたかいアラビア海の720マイル(約1150キロ)の海岸線が存在します。イランのシスタン地方に沿って海岸線が広がり、それはペルシャ湾の入り口で終わります。(チャガイのある)バルチスタン州はホルムズ海峡を見張らせる位置にあります。インド洋と世界の要衝の一つです。

 チャガイでは、バルーチー族が多数を占めていますが、遠い昔から17を超える先住部族も住んでいます。放牧用の牧草地で有名です。人々はお互いにあたたかい関係を維持し、伝統生活を営み、先祖が埋葬されている土地との精神的な関係を維持しています。土地の主要な農作物と果物は、麦、たまねぎ、えんどう豆、スイカ、ぶどう、りんごです。金、銀、大理石、銅が採掘されることで世界的に有名であり、他の多くの天然資源もあります。 

 

言語

 チャガイの主要言語は、バルーチー語で、広範な地域で話されています。詩や小説などの文学作品も豊富です。また、バルチスタンで話されているもうひとつの言語は、ブラーフーイー語で、カラート地域で話されています。南部ではパシュトゥン語も話されています。

 

 アフガニスタンと同じく、バルチスタンのドライフルーツは世界でも有名です。また、バルチスタンの特産品「サッジー」(羊のもも肉)が有名です。バルーチー族は、焼いたラムやマトンも食べます。

服装

 バルーチー人は、サルワール・カミーズ、ターバンを着用します。女性は、刺繍の入ったワンピースドレスやサルワールを身につけます。貴金属の装身具も身につけていますが、この装身具は、世界でバルーチー族の女性が身につけるものとして有名です。バルーチー女性は、長袖で丈の長いドレスも着用します。

 レスリングや競馬があります。マクラーン地方では、ナツメヤシの収穫の時期が、収穫のために帰ってくる友人や親類と再会し、喜びを表す機会となります。「シビ」と呼ばれる歴史的行事が、故郷の主な祭りです。

教育

 チャガイの男女の教育は、パキスタン全4州の中で最悪の指標を示しており、全国水準に達しません。チャガイの初等教育がかかえる問題は、他の地域と異なるわけではありません。ただ、困難な地理的な条件によって悪化させられ、問題が数倍になっています。これらの問題の中には、?教育への参加手段(アクセス)や公平性、効率性の欠如、?不十分な教育環境、?不適切な組織、計画、管理、?制度を確立するための資源の欠如、があります。

歴史上の恐ろしいできごと

 私たちは、1998年5月11日の苦しみと恐怖を忘れることはできません。この日、インドはポカランで核実験を行い、それに対して、パキスタンは、チャガイでの核実験実施(計画)を発表しました。チャガイは、母なる「MERGARH」(愛の地の意味)の地であり、地球上で最初の都市文明発祥の場所です。金鉱山、石油、おいしい果物で有名な土地が、核実験の場所に選ばれました。当局に実験をやめさせようと200人の大学生がバルチスタンの州都クエッタでデモ行進しました。爆発はチャガイに衝撃を与え、国民の夢とこころの中の美しいものが、ラスコー山の一部とともに灰になりました。インドとパキスタンは、抑圧された人々の土地を使いました。彼らは、発展を妨げられ、資源利用の権力機構から締め出された上、今度は、核の地獄に投げいれられました。

 両国は、多数の社会経済問題にみまわれているそのときに、破滅の道に自らを追い込みました。彼らは、そのような資源を浪費する活動を行う立場にはありませんでした。では何が、ポカランとチャガイの核実験を正当化したのでしょうか。しかも、外国からの債務や数マイルも続くスラム街のような重要な問題を忘れさせるほどに。スラム街で人々は最悪の生活をし、妊娠は子どもを生むことではなく、死産につながり、昼ごはんの後に夕ご飯を食べられる保証はないのです。デリーのヤムナー川の土手に5マイル(8キロ)続くスラムはこのようなところで、心が痛みます。150万人の「骨と皮ばかりの人びと」が、彼らのことを考える暇のない人々の「慈悲」の下で生きているとされます。パキスタンの状況も同じです。とりわけ、チャガイでは、(出産時の)母親の死亡率がこの地域で最高であり、飲料水も、道路も、病院もありません。

 インドとパキスタンにこれまでの9年間の関係を正常化させる圧力が、とても強くなっています。経済的、政治的要因もあります。政治的要因とは、双方の国で、平和を愛する民主勢力を支える必要性です。両国では、国民を抑圧し、支配的な民族が、軍隊や、権力・決定機関を支配しています。彼らは自分たちの国民を恐れ、大規模な軍隊の必要性を正当化するために戦争状態をつくりだしているのです。それ以外に、戦争の誘因はありません。インドとパキスタンに住むすべての民族が平和共存する、より民主的な南アジアを実現する必要があります。

核実験後

 チャガイで核実験が行われたとき、爆発後のラスコー山は、灰褐色から黒にかわりました。しかし、核実験は警告の役割を果たしました。恐ろしい混乱の中で、チャガイの人々は、先住民としての存在を損なうことなく維持するための新たな戦略をうみだしました。バルーチーの母親たちは、過去の苦しみについて子どもたちに話し始めました。私たちは本当に、この国の平等な国民なのだろうか?と。

 チャガイとその周辺では、鉱石を運ぶ秘密の作業を始めてから身体的な病気が発生し始めましたが、核実験後がん発生件数や鼻血、皮膚病、腹部の不調などが増大しています。数世紀にわたって住んできた家を、核実験前に追われた人々には、いまだに住む家がありません。世界からのあらゆる申し立てにもかかわらず、彼らは代わりの家も与えられず、野外で救いようのない状況の中で生活しています。チャガイは人口密集地で、飲料水が溜め池、地下水路施設に蓄えられてきました。しかし、核爆発後、蓄えられた水は汚染され、池の水を飲んだたくさんの牛が死亡し、その水は、爆発後、緑色に変わったそうです。

 核実験後、雨も降らず、穀物もなく、家畜のえさもなく、地下水位は、それ以前の60フィートから600フィート未満まで下がりました。ふたつの実験場は、ひどい干ばつに見舞われました。チャガイでは、2百万人が祖先の地から移動し、救援施設で暮らしています。8千万を超える牛が、飢えと乾きによって死亡しました。救援キャンプでは、毎日6人から8人が亡くなっています。十分な医療や衛生施設がありません。国連やその他の支援国は、干ばつ被害者への援助を打ち切りました。国連や他の援助を行う個人と組織にとっては、核実験の犠牲者を救うのと同じくらい重要なことであったにもかかわらず。

干ばつの状況

 チャガイは、史上最悪の干ばつ被害に見舞われています。不幸にも希望を失った人々は、家族を埋葬し、死んだ牛を後に残し、定住できずに移動生活を送っています。すでに「キサンコリ」支援活動がはじまっています。次のステップは、チャガイでの食糧確保の長期的な活動にとりかかることです。過去三年間、十分な降水がありませんでした。そのために、農産物も牛のえさも、羊、やぎ、らくだのえさもなく、飢えで死んでいます。水源は干上がり、地下水面は数年前80フィートだったのが800フィートを下回りました。チャガイに飢饉が訪れつつあります。食糧供給がまずなされなければなりません。また、食の安全確保が共同体、政府、国際支援団体の共同によって最終目標として達成されなければなりません。

干ばつの結果

?9550ヘクタールの灌漑施設のない地域では農産物が育たず、1720ヘクタールの小麦をまいた地域ではまったく収穫に結びつきませんでした。?約80%の家畜が飢えて死にました。チャガイでかつては家畜飼料の70%を供給していた土地の60%が干上がったからです。?同数の家畜が弱って病気になり、医療措置が必要になりました。干ばつ後、家畜農家の主要な収入源となっている羊、ヤギを中心とする家畜すべてが、濃厚飼料と麦わらを必要としています。

 干ばつの影響を受けた地域の家畜農家全25万世帯が貧困に陥っています。購買力が全体的に下がるなかで、家畜の値崩れがおき、貧困ラインを大きく下回った生活に追い込まれています。この人たちは、生存のために支援に全面的に依存せざるをえません。

必要な支援

 6年間続いた干ばつによって、チャガイでの状況は悪化し、地域全体の住民に影響を与え、緊急に支援が必要になっています。

 家畜は住民にとって主な支えでしたが、牧草地が干ばつの影響を受けたことで、家畜にえさを与えられず、被害が大きくなりました。干ばつによって直接の影響を受けた家畜の数は、約一千万頭にのぼるとみられます。

 以下の目的での救援活動が必要です。

 ?被害世帯への食糧供給

 ?医薬品と医療施設

 ?避難と交通の施設の設置

 ?飲料水の供給

 ?干ばつの影響をうけた家畜への飼料

 ?家畜へのワクチンと医薬品

 ?家畜への避難所の提供

 ?影響を受けた人々のための日用品

 ?送水ポンプと貯水タンク

 

未来のための希望

 平和運動が世界中で起こり、平和活動家や日本原水協のような全国的連合体が核兵器のない世界のためにたたかい、連帯を広げています。世界は、原理主義者の武装組織とその政府からの安全保障上の危険や脅威に直面しています。必要なことは核兵器のない世界のために国際的な運動をつくり、それを世界の平和運動と結びつけることです。これは、地球規模の課題であり、世界全体がこの課題に取り組むことなしには、世界的指導者に挑戦することなしには、世界の平和は実現できません。

行動綱領

 ?世界の平和活動家を支援するシステムの設置

 ?世界中で平和教育を学校の科目の中に組み込むこと

 ?各地で寛容の訓練プログラムを促進する

 ?核被害者と被抑圧民族の政策策定機構への参加の承認

 ?世界の人々と国家の友好的な関係の促進のために独立メディアを支援する

 ?チャガイとポカランの人々と自然への核実験の有害な影響を国連の監視チームによって評価する

 ?核兵器のない世界のため、世界社会フォーラム(WSF)によって創設された、「反核兵器連合」の強化

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