2004年原水爆禁止世界大会

 

原水爆禁止2004年世界大会

国際会議

核兵器禁止と核廃絶への広島・長崎からの決意

韓国原爆被害者協会

元会長 崔日出(チェ・イルチュル)

アンニョン ハシムニカ

核も戦争もない平和な21世紀に!

核廃絶の念願にもかかわらず、果てなき核軍備拡大の争いが今も続いています。

2003年4月、アメリカ・北朝鮮・中国の三者会談で、北朝鮮は核兵器を保有していると宣言しました。そのことは、今でも、核兵器に関する多国間会議に黒い影を与えております。

アメリカが、北朝鮮の核兵器保有宣言を受けて、核兵器を持つ九つ目の国に認定すれば、台湾・日本の核兵器開発を禁ずる名分がなくなり、世界の他の国も核開発を進めて行くことになるでしょう。

アメリカのブッシュ政権が、イラク侵攻のように北朝鮮を攻撃すれば、20世紀最大の悲劇であった原爆投下の過ちを繰り返す危険があります。

戦争になれば、個人も国家も完全に理性を失います。いつ戦争が起こるか予想できません。万が一、将来、核戦争が起こったら、人類は滅亡し、地球は最後の日を迎えることになります。

私は広島の被爆者であります。日本の過酷な植民地支配によって多くの韓国人が祖国を離れ、それぞれの生活を求めて居住を広島、長崎に移しました。それ故に被爆したのです。さらに、日本の侵略戦争のために数百万の若い韓国人たちが軍隊や軍事工場、炭鉱、建設現場等に強制連行されました。その中にも被爆した人たちがいます。

私も当時12才、小学校6年生でした。その日の地獄の様な光景は、半世紀過ぎた今でも忘れておりません。身近な親戚のなかで14人が、爆死・行方不明になりました。

19才の兄は、爆心地から少し離れた八丁堀の福屋デパートの前で被爆。全身火傷を負って、半月ほどで死亡しました。

父は3年後に、母は5年後に亡くなりました。弟は、一生障害を背負って生きていかねばならない体になりました。私も2年間寝たきりの生活を余儀なくされました。

アメリカは、原爆投下について正当であったと今も言っております。先頃亡くなった、長崎に原爆を投下したB29爆撃機の機長は、戦後ずっと原爆投下の不可避性を主張して来ましたが、95年、マスコミとのインタビューで、「私が行った原爆投下の任務が二度とあってはいけない」と強く訴えました。自分の良心に基づいた、心のこもった思いだったのではないでしょうか。

核兵器のない世界は全人類が共に願っている共通の願いです。幾つかの国だけが核兵器を保有する不拡散体制では、この目的を達成する事が出来ません。

この地球上に核兵器が存在する以上、世界平和はありません。広島・長崎から全世界に訴えましょう。

第二の広島を、第二の長崎を、この地球上のどこにも作らせてはなりません。二度と同じ過ちを繰りかえしてはなりません。私は、核兵器全面禁止と核兵器廃絶を強く要求します。

カムサ ハムニダ

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