原水爆禁止2002年世界大会

国際会議

全日本民医連 

斉藤友治

世界の核被害者と被害の実態、補償を求めて

〜フィジー核実験被爆兵士の健康調査の報告〜

 1946年、ビキニ環礁で米国が核実験を行って以来、太平洋の植民地化された島々では、米国、英国などによって数多くの核実験が行われた。現地の住民や漁民、植民地から駆り出された実験参加の兵士たちの中に沢山の被害者が作り出されたが、これらの事実はまだまだ闇の中にある。核保有国が核実験の実態、記録をいっさい公表しようとしないためで、核実験被害者は謝罪も補償もないまま放置されている。今回私はこの中の一つ、1957年から58年にかけて英国が中央太平洋のモルデン島・クリスマス島(現在のキリバス共和国)で行った9回の核実験に、英国やニュージーランドの兵士らと共にフィジーから動員された約300人の兵士(この内の200名は既に死亡)の核実験被害と健康調査に参加した。今回の訪問は、フィジー核実験退役兵士協会(FNTVA)と非核独立太平洋運動の事務局(太平洋問題資料センター;PCRC)の要請を受け、日本原水協が代表団を派遣する取り組みの中で実現し、2002年5月9日から20日まで12日間の日程で活動してきた。

  受け入れ団体であるFNTVAは、フィジーの元兵士達が英国の核実験に参加し被爆したことを英国政府に認めさせるため、1999年設立された。英国政府はこの間、核実験による被爆はなかったとの姿勢を崩しておらず、実験により生じた健康上の問題に対する倫理的、法的、財政的責任をいっさい拒否している。FNTVAは、この問題をハーグの欧州人権法廷に提訴し、元兵士と家族に適切な補償がなされるようにしたいと考えており、今回の健康調査の結果と自らの聞き取り調査のまとめをその資料として提出したいとの考えだった。

 5月13日より本格的な健康調査・診察が始まった。診察会場となった太平洋問題資料センター(PCRC)の事務所は朝から核実験被害者とその家族が詰めかけ、13日から16日の午前中までで核実験被害者の元兵士たち62名とその家族60名の診察を行った。また17日から18日にかけては、脳梗塞後遺症に苦しむ1名の被害者とその妻の診察のため、空路で40分の離島へも行った。

 被害者の年齢は57才から88才(大多数が60〜75才)で、1〜3回の核実験に参加、半年から1年間核実験場に滞在していた。核爆発に伴う熱や爆風を感じた人はいるものの、フォールアウトにさらされた覚えは誰一人ないようだった。ローカルフード(実験場周辺で取れた魚、椰子ガニなど)については、量の違いはあるものの全員が少なくとも毎週末には食べており、水は海水を淡水化して飲んでいたようで、持続的な体内被爆を受けたことが示唆される。実験後の症状としては下痢や発疹がしばしば聞かれ、帰還後の症状としては視力低下(近視)、喘息、関節炎、皮膚疾患が目立ち、また現在では高血圧や糖尿病、変形性関節症などの慢性疾患も認めた。甲状腺腫疑いが2名程に見られ、悪性腫瘍は皮膚ガン、前立腺ガン1名ずつと精巣腫瘍疑いが1名だった。

  今回の調査を通じて放射線障害と類似性をもつ症状は幾つか認められたが、現段階では被爆線量が不明なため、確定的なことが言えない。フォールアウトはどの辺りに降ったのか、どの位の残留放射線が作業をしたところにあったのかなどのデータを英国は一切公表していないためで、今後の課題としては、核実験に参加した元兵士と参加していない元兵士の間で疫学的な比較研究を行うこと、ニュージーランドやイギリスなどの元兵士達における核実験被害の研究者に協力を求めること、既に死亡した元兵士達の死因、病歴調査などがあげられる。染色体から被爆量を推定する手法を応用することも検討が必要であろう。太平洋の国々を始めとして、世界各国には核実験の被害に遭いながらも放置されている人々がまだまだ沢山いると思われ、こうした人々に光をあててゆくとともに、核保有国を国際世論で包囲してゆく取り組みが今後も重要になると考える。