国際会議

原水爆禁止2002年世界大会

グラン・ルイス

ビキニ環礁自治体首長顧問

 議長。

 尊敬する代表の皆さん、原水爆の被害者の皆さん、ご列席の皆さん。

 マーシャル諸島、特にビキニ環礁の人びとから皆さんへ挨拶を送ります。私の母語では「イアクウェ コム」といいます。私の同僚であるビキニ環礁自治体のヒロコ・ランギンベリックさんとともに、ここ広島で時宜をえたこの会議に出席している皆さんとご一緒できることを誇りに思うとともに、光栄に思います。

 この機会にわが国政府と国民を代表し、ここ日本で2002年世界大会に参加するために私を招待し、推薦してくださった実行委員会に感謝の意を表明します。200231日、私は「2002年核被害者追悼日」の調整委員会の議長でした。それは、米国がビキニ環礁とエネウェトク環礁で1946年から1958年までおこなった67回もの原子・水素爆弾実験から57周年を記念したものでした。それはまた、美しいふるさとを後にし、突然、孤島のキリ島に移住させられた最愛の祖父母を思い起こす機会でもありました。加えて、マジュロで開かれた記念式典に参加してくださった代表の皆さんと原水協の皆さんに心からの感謝を表明します。彼らのスピーチは、マーシャル諸島にいる私たち全員を励ますものでした。私たちが共有したこの素晴らしい経験は、ビキニ環礁の若い人たちの明るい未来への希望を私たちに与えました。この経験から、地球上から核兵器を廃絶するために、これからも日本の平和運動との関係を持ち続けます。

 皆さん、わが人びとがふるさとから移住してから57年がたちました。故郷を離れた生活の57年間、いつ、どのようにしてふるさとに帰るのか誰も私たちに言いません。最近、私たちは科学専門家を雇い、ビキニ環礁で研究をおこないました。しかし、良い結果はありません。今、人口が急増するなか、私たちは困難と苦しみのなかでの生活を続けています。私たちは、農業と住居に使える土地が数エーカーしかないキリ島とエジット島の二つに住んでいます。実際、私たちはエジット島では土地の権利をほとんどもっていません。首長たちが自らの島を取り戻そうと所有権を主張しているからです。キリ島についていえば、私たちは毎日高波を受け、太陽が一日中照りつけています。数年前、2人の男性が命を落としました。多くのサメが島の周りにいるためです。私たちは曾祖父母から魚釣りを教えてもらいながら育ちました。ビキニ環礁には美しい海岸がたくさんあり、海が穏やかだからです。いずれにしても、私たちの土地の権利を解決するのに、私たちにできることはありません。それよりも、私たちはすぐに態度を表明し、私たちの権利のためにたたかわなければなりません。もう一度繰り返します。「原水爆に断固として立ち向かい、すぐに廃絶しましょう」

 ありがとうございました。