原水爆禁止2002年世界大会

国際会議

非核フィリピン連合事務局長

コラソン・ファブロス

 核も基地もない(まもなくそうでなくなるかもしれません)フィリピンからの熱い挨拶を送ります。

 みなさん、リラックスして、自分のしていることを愛し、ユーモアを見つけるようにして、フィリピンのニュースを聞いて、正気を保ってください。短い時間で、沢山のことをまとめるのは容易ではありませんでした。アメリカで911日に起きた悲劇の後、フィリピン政治のシナリオはおおきく変化しました。

 世界大会用のスピーチ原稿を書こうとして、今度は内容で、このまえにみなさんにお会いしてからの生活がどうであったかを個人的なこととしてお話ししてはどうだろうと感じました。そうすることで、今年の世界大会のテーマ「核兵器のない平和で希望ある世界を」に具体性をもたせることができるのではないかと思ったのです。

 それはともかく、まずフィリピンの状況をお話ししましょう。フィリピンの米軍プレゼンス拡大の問題に関連する重要な出来事を時系列で書き出してありますので、明日の分科会でご紹介できればと思います。

 ある意味で、911日の攻撃とアメリカの地球規模の反テロ戦争は、包囲されたアロヨ政権にとっては救いとなりました。ブッシュとアロヨの「反テロ戦争」を実行するための陰謀は、アメリカの政治的、軍事的、経済的な計画の目的にそったものです。アロヨ政権は、アメリカから公も暗黙にも承認を受け、それを国内外で政治的に最大限に利用しています。またアメリカはフィリピンに多くの、しかし十分とはいえない支援と援助を提供しました。

過去6ヵ月に、アメリカはミンダナオに2万人以上もの軍隊と近代的装備を提供しました。これには特殊部隊顧問、グリーンベレー、諜報顧問、ジャングル戦特殊部隊、それに600人の海兵隊が含まれます。米海軍工兵隊200人以上による市民のための土木工事や、医療活動などを行って、地元住民を手なずけようとしています。最初に米軍の活動の中心となったのは訓練、フィリピン戦闘員の支援、民間活動などでしたが、世論が米軍を受入れるようになると、米軍は実戦訓練や交戦訓練など、フィリピン憲法違反の活動を積極的に行うようになりました。

アロヨ政府は、予想される米軍にたいする否定的な国民感情や抗議を押さえ込もうとして、アブサヤフのテロを強調した「テロ論」をつくるために、大々的な宣伝に乗り出しました。これはちょうどブッシュや軍部が、テロの感情的側面だけに焦点をあて、テロの根本原因を理解するに必要な社会、政治問題を避けたのと似ています。また、政府は、アメリカ国内でのブッシュの宣伝と同じような、反対者を悪者にする陰険でファシスト的な宣伝を始めました。米軍に反対した人は誰でも「アブサヤフ愛好者」とよばれましたが、米軍の駐留は明らかにフィリピン憲法違反なのです。反対者やその支持者は共産主義者とレッテルを貼られました。

 過去5世紀をつうじて、フィリピンは常に様々な名前の戦争を受入れる側でした。植民化戦争、平定戦争、反乱戦争、世界大戦、そして今度は「反テロ戦争」です。911日の悲劇の余波で、アメリカとフィリピンがスポンサーになった「好戦的演習」が日常化しました。私たちは「反テロ戦争」を装ったフィリピンへの米軍の帰還を、大きな恐怖と怒りをもって見ています。そもそも、米軍を追い出すのに半世紀近くもかかりました。アロヨ政府が、米軍が舞い戻ってくるのを認めるのは、アメリカの管理と支配から解放されるためのフィリピン国民の勇気、粘り強さ、決意につばすることでした。

 ギンゴナ前上院議員(1991年に米軍基地条約を拒否した素晴らしい12人の上院議員の一人)は、米軍駐留にたいする孤立無援の抵抗をしたため、結局、外務大臣を辞任することになりました。しかし、彼と何人かの愛国者をのぞけば、フィリピンの政治家は全体として米軍を支持しています。

 米軍が戻ったことで、アメリカの計画とアロヨの政治的野望は実現しました。911日以降、目立ってきたアロヨの(時には目にあまる)破廉恥な親米の立場は、アメリカに、フィリピンとアジアでフィリピンが果たす役割が関わっているアメリカの短期、中期的な経済および軍事計画を実現する機会を与えました。

 アメリカのテロリスムおよびアルカイダのネットワークにたいする攻撃目標は、フィリピンとアジアのアブサヤフだけに限られません。しかし、バリカタン演習をつうじてアブサヤフに的を絞ったことで、フィリピンに米軍を駐留させ、アメリカの計画の実施をエスカレートさせる政治的口実ができたのです。

 1992年の米軍基地閉鎖は、アメリカのアジア・太平洋における政治的、軍事的利益にとっては大きな打撃でした。フィリピンは、東南アジア全体から南アジアにいたる地域へのアクセスである以外に、中国の南という重要な位置にあるからです。その後の東アジア・太平洋の基地を最大化する努力だけでは、アメリカ軍や諜報機関の位置特定や活動には不充分でした。他のアジアの国ではそれができないからです。

 相互防衛条約と、対ゲリラ作戦のような国内問題の対処のために米軍を配備する訪問軍隊協定のもとでの、バリカタン戦争演習の成功を足がかりにして、アメリカとアロヨ政府は、アブサヤフ・グループ要塞の外側にあるミンダナオの他の場所にまで米軍を小部隊実戦演習で拡大配備し、バリカタン演習の予定期間を超えて米軍の滞在を延長しつつあります。これは実際にはフィリピン領土における米軍配備を無期限化するものです。

 コリン・パウエル米国務長官は明日、アロヨ大統領と会談することになっています。会談の最大の議題は、提案されている相互兵站支援協定(MLSA)です。これは新しい名前で、以前はACSA(物品役務融通協定)、SOFA(米軍地位協定)とか呼ばれていました。MLSAによって、フィリピンはアジアにおけるアメリカの反テロ作戦の踏み台になります。提案されている協定がアメリカに恒久的に基地をおく権利を与えているからです。アロヨ政府はMSLAを、条約ではなく単なる実務的協定と考えており、上院の批准が必要ないとしています。アロヨはMSLA最終草案を読むことすらしないとしていますが、彼女は「MLSAは承認されたと同じだ、なぜならMSLAの承認が、バリカタン演習終了時に米軍がフィリピンに軍の装備をおいていくことの条件だから」と指摘しました。

 パウエル・アロヨの会談では、長期的な拡張軍事協力協定(介入に等しい)の条件が議題になるにちがいありません。より広い地域に及ぶ大規模な軍事演習が、この10月にも再開するからです。この演習には、アジアの近隣諸国の軍隊さえも参加するかもしれません。アメリカはフィリピンに軍事援助として5,500万ドルを与えていますが(賄賂といったほうが適当)、これはアロヨを「議会をとおさずにMSLA承認を行い、フィリピンをアジア・太平洋の巨大な米軍の兵器庫に変える」ように説得するためです。

 ヘリテージ財団は「アメリカはテロに対処するためにフィリピンの軍事能力を強化したがっている」。「とりわけマニラが東南アジアで反テロ戦争をすすめる意志を明らかにして以降」、これが地域の安全保障強化につながることを期待しているのだ、と述べています。

 19942月、ブーン・シャーマー博士は、目前に迫った自動的アクセス協定のフィリピンにとっての危険性を次のように警告しました。「アクセス協定の最終的な拡大は、基本的にフィリピン上院の基地撤去決定を覆すものであり、自動的なアクセスとは、フィリピン政府の許可なしに、アメリカがフィリピンの主要な港や飛行場を、朝鮮、中東、その他どこでも介入するための部隊結集地域として使用する権利を米国防総省が持つことを意味している。これはフィリピンに管理権がないという点で、独裁者マルコスがペンタゴンに譲歩して認め、アメリカ軍当局が1947年に初めて基地を設置して以降、ずっと要求し続けていた条件でもある“制限のない軍事行動”に似ている」。ブーンが言い続けてきたことの多くが、今日現実になりつつあります。

 しかし、平和と社会的正義を求める私たちは、歴史的観点から物事を見なければなりません。ブーンはかつてこう言いました。「歴史は皆にとってよりよい世界を築こうとする人間のたたかいの年代記である。しかし人類がその方向に向かっているとしてもなお、多くの逸脱があるだろう。後退はそれが起こったときには痛烈な打撃に感じられるかもしれないが、より大きな動きのなかのささいな逸脱にすぎない。人類をその展望に向かって進むよう説得する少数者が必ずいる。それこそが世代を問わず社会正義を主張する者の役割なのだ」。

 それでは、フィリピンの私たちは、どのようにこの時代の兆候に対応したでしょうか。私はそれを、できるだけ多くの人と情報や考察や分析を共有し、同盟を築き、勇気と希望の橋を築き、それによって人々を行動させるという弛みない努力という点から見ていきたいと思います。

 アメリカにたいする911日の攻撃とフィリピンの米軍増強の新たなエスカレーションによって、フィリピンの平和と正義を求める運動に多くの勢力が結集し、団結が強化されました。「戦争ではなく正義を連合」の結成、広範な団体「平和の集い」の誕生、「ピースキャンプ」、「米軍直ちに出て行け連合」のフィリピンの主権擁護の誓い、「今こそ叫ぼう」(教会の人々が米軍直ぐに出て行けと叫ぶの意)、医療労働者運動「米軍出て行け」、「米軍にノー女性の会」などのような様々な各分野の団体の積極的参加などによって、私たちは元気を取り戻しています。

 私は同僚とバシランへの最初の国際平和ミッションとして参加し、バシランとザンボアンガの村の民間人被害、一方的な逮捕、住民の強制移動などの報告を調査し、アメリカとフィリピンの共同軍事活動とそれがキリスト教徒とモロの紛争、モロ分離主義者のたたかいへ及ぼした影響を調べました。現地に赴き、多くの地元住民の聞き取り調査をしたミッションは、以下の3つの結論に達しました。第一は、政府が犯罪行為はなかったと断定しているものの、バシランで軍人が人権侵害を犯している確固たる証拠があること、第二は、アブサヤフ問題が明らかにした複雑な政治現象は、政府が承認した軍事的な解決策では解決できないかもしれないこと、第三は、バシランへの米軍配備の理由としてあげている、フィリピン軍の訓練とアブサヤフの根絶は理屈として成り立たないこと。私はこの平和ミッションの報告書のコピーを持ってきていますし、これはインターネットで見ることもできます。

 また、2002829日から91日までマニラでアジア平和連合(APA)の創立総会が開かれます。APAはアジア地域の平和と安全保障に関わる緊急な問題に取り組んでいる活動家と学者のネットワークです。総会では、共通の展望と行動計画を打ち出し、アジア太平洋におけるアメリカの介入と支配の拡大に対処する効果的で実践的な仕組みをつくることが期待されています。この総会のテーマは、「平和と連帯:アジア人民は平和を求める声をあげる」というものです。2002年の終わりには、米軍基地撤去後の10年間の私たちの運動を総括し、それに基いて戦略目標と全体目標をたてることになっています。

 以上が、前回皆さんとお会いして以降、私がこれまで取り組んできた出来事です。私はこれを「連合を作り、勇気と希望の橋をかける」という私たち各自の義務の一環として考えています。

 今日、皆さんと共にいられることを光栄に思います。再び広島を訪れ、皆さんの存在と連帯に励まされ、元気をいただけることで、私の心は感謝の気持ちで一杯です。

 私たちの住む世界は、深刻な状況にあります。ぐずぐずしている暇はありません。日本や世界で、多くの兆候が、悪い方向、暗い未来を示しています。真の変革が起きるのをもう一日も待っていることはできません。それに私たちを目覚めさせることに命をかけている小数の人々の英雄的な行動だけでは物事は変わらないでしょう。私たちは団結して、お互いの考え、エネルギー、決意から励ましを引き出さなければなりません。なぜなら私たちは変革をめざしているからです。たたかい、勝利しようとしているからです。核のない、基地のない、平和な世界、貧困と不正義のない世界、安全でやさしい世界を勝ちとろうとしているからです。皆さんと、自分と、私たちの子供たちと、将来の世代のために。私たちが共に活動し、頑張れば、必ずやそのような世界を築くことができるでしょう。私たちが生きている間ではないかもしれませんが、その日が来ることを私は確信しています。

 発言の終わりに、私が的確で素晴らしいといつも感じる言葉をご紹介しましょう。「未来とは、私たちがこれから向かう場所ではなく、私たちが作り出す場所である。そこへいたる道は、見つけるのではなく、切り開かなければならない。この道を切り開くことは、切り開く人々とその道の向かう目的地を変えるのだ。」

 私の考えに耳をかたむけてくださる皆さんと今日ご一緒できたことに感謝します。ありがとう。