原水爆禁止2002年世界大会

国際会議

インド・核軍縮平和連合(CNDP

全国調整委員会メンバー

プラフル・ビドワイ

南アジア核化の教訓

インドとパキスタンは、核兵器保有国となってから4年あまりで、再び戦争の瀬戸際で揺れています。この7ヶ月間、両国間の国境の状況はおそろしいほど緊迫してきています。しかし、それでもなお両国は、軍備を減らそうとせず、第二次世界大戦後で最大の兵力動員になっているといわれています。

インドとパキスタンは核兵器保有によって、以前より安全になるどころか、危険を増大させました。この数ヵ月間でも、両国のあいだで2度も血みどろの対決が起こりそうになりました。もしこれが起きていれば、たとえそれが始めは「限定的な」通常戦争であっても、核戦争のレベルまでエスカレートする危険がありました。1月末と6月下旬の2度の危機はいずれも、外部の介入がなければ、武力対決は回避できないほど深刻な事態でした。

両国はいずれも3年前のカシミールの管理ライン上にあるカルギルでおきた大規模な戦争から何の教訓も学んでいません。この戦争は、2つの核保有国のあいだで起きた通常戦争としては、これまでで最大の戦争で、これには両国の最新鋭の兵器に加えて4万人のインド兵士が動員され、数百回の戦闘機の出撃がありました。この宣戦布告なき戦争は7週間で1,000人以上が死亡しました。

これよりはるかに破壊的な新たな戦争が起こる危険はまだなくなっていません。インドとパキスタンが軍隊動員を解除し、対話と相互和解のプロセスを開始しないかぎり、核戦争による破滅の危険は南アジアにつきまとい続けるでしょう。

この7カ月間におよぶにらみ合い対決の背景は、911日のテロ事件と1213日の、過激派によるインド国会への襲撃によって作られました。この過激派はパキスタン人であるといっていました。そのことが、インドのバジパイ政権に、この政権が1213日後の強硬な瀬戸際戦略を思いつかせたのです。それは、911日とその余波によって生じた「反テロ」気運に乗じて、パキスタンを孤立させ、対米接近をはかろうとするアメリカに接近しようとする試みであることは明らかでした。

インドは大きな犠牲を払って巨大な軍隊動員を維持していますが、大きな政治的な目的については明らかにしていません。1213日の事件後まもなく、インド政府は、アメリカ式のごう慢さで、事件の犯人という指名手配の「テロリスト」20人のリストをパキスタン政府に手渡しました。しかしこれはずさんに作成されたリストでした。その後、インド政府は緊張を緩和させることの「本音」について、あい矛盾する合図を送りました。つまり指名手配の20名を捕らえるか、あるいはペルベズ・ムシャラフ大統領が、聖戦過激派が管理ラインを越えてインドに侵入するのを効果的に阻止すると真剣に約束するかのどちらかだといったのです。

このように、この数カ月間にムシャラフ大統領のとった行動が、立派でないとか、誠実でなかったにしても、バジパイ政府のとった行動もまた同じでした。この7月の初めに、パキスタン側が歩み寄り、聖戦過激派が国境を越えてインドに侵入するのを検証可能なやり方で「恒久的に」阻止すると約束しましたが、インド政府はこれにまともに応えませんでした。インドが小手先の名ばかりの措置しか講じなかったことで、両国の緊張はさらに高まってしまったのです。

何よりも、インド政府はパキスタンとカシミール問題で話し合うのを拒否しました。

この対応よりもさらに問題なのは、もともとの瀬戸際戦略そのものです。瀬戸際戦略は、偶発的にあるいは報復の論理に押し流されることで、大規模な戦闘が起こる重大な危険をはらんでいます。いったん軍隊が一触即発の警戒態勢に入れば、ささいな衝突であっても、雪だるま式に急速に危機に発展するからです。

じっさいに、そのような事件は最近2度起きています。最初の出来事は、ある部隊長が、国境すれすれまで自分の部隊を移動させ、いまにも攻撃することをほのめかした時でした。2度目は、ある空軍司令官が許可を受けずに飛ばした輸送機1機が、パキスタン領空に侵入し、攻撃を受けてインド側に帰還した時です。これらの出来事は、いずれも重大な挑発行為と受取られて、報復的対応を引き出しかねないもので、大きな武力衝突を引き起こしていたかもしれません。戦争とは往々にしてこのようにして始まるものです。

このような対立を特別に危険なものにしているのは、インド、パキスタン両国が核兵器保有国であるということです。両国は、特殊部隊やミサイル部隊を編成し、専用の指揮組織をつくることで、核兵器を国の軍隊の一部として組み入れることを計画しています。(パキスタンはこの計画ではインドの先をいっていると報じられています)。

 インド亜大陸で武力紛争が起きた場合、それが限定的なものであれ、大規模なものであれ、核兵器は必然的に事態を複雑化する要因として作用しま。核兵器の脅威はインド、パキスタンばかりではなく、南アジア全体を影のように覆っています。この危険は想像の上のものではありません。

 CIAの報告書「地球的規模の脅威2015年版」は、南アジア地域が核戦争勃発のリスクが最も大きい地域であり、今後とも「重大な状況」が続くだろうと指摘しています。

ジョージ・テネットCIA長官は、アメリカの上院諜報委員会で27日に、ついで上院軍事委員会で320日に、証人として発言し、インド亜大陸で戦争が起こる可能性は、「1971年来最も大きい」とのべています。彼はまた、「インドがパキスタン領カシミールにたいし大規模な攻撃作戦を実行することになれば、パキスタンは、自分の核抑止力がインドの核による反撃の範囲を狭めると考えて、独自の攻撃力で報復するかもしれない」と証言しています。

インドの数少ない正統派の思慮深い戦略専門家であるV.R.ラガバン将軍も同じ考えです。彼は、インドとパキスタンのあいだには安定した抑止関係がないため、パキスタンとの通常戦争は核戦争にエスカレートする可能性が高いとのべています。

冷戦時代の歴史から、私たちは、東西陣営間あるいは米ソ間にも、安定した核抑止の方程式など一度も成立したことはなかったことを知っています。抑止力は、常に偶然、事故、誤解、パニック反応などが起こる危険性と、そして何よりも力の均衡を変え、したがって抑止の方程式を変える軍拡競争をともなっているからです。60人以上の将軍や提督が、ある有名な声明のなかで言ったように、抑止力による安全保障はつねに危険な幻想にすぎないのです。

インド・パキスタン関係の状況はそれ以上に悪いものです。南アジアは、同じ二つの戦略的に対立する国が、半世紀以上にわたって熱い冷戦を続けている世界で唯一の地域です。ここでは、通常の軍事演習、領土侵攻あるいは侵攻の恐れ、長期にわたる紛争、地域外の出来事あるいは純粋に国内の事件(例えば1992年のヒンズー教原理主義者によるアヨドヤ・イスラム教寺院の破壊)などをきっかけに、武力衝突が起こりかねないのです。

インドとパキスタンの支配者たちは、両国がたたかった3回半の戦争から、ほとんど教訓を学んでいません。カルギルでの大規模な戦争は、両国が核保有国になってから起こりました。このことで、核兵器をもてばインドとパキスタンの関係が「冷静」で「成熟」したものになると主張していた核兵器擁護者たちの、ありとあらゆる夢のような予言が、全てでたらめであったことが証明されました。

カルギルの戦争は、当時認識されていたよりはるかに危険で、多くの人々が考えたよりはるかに深刻な戦争でした。この戦争は、紛争や戦争の状況の方が、平時よりも核戦争の起こる可能性が高いという真理を不気味なかたちで証明しました。

この紛争のあいだに、インドとパキスタンは少なくとも13回は、核による威嚇をしあったからです。

悪いニュースはもっとありました。アメリカの北東・南アジア問題担当のブルース・リーデル大統領特別補佐官が、1999年の国家安全保障会議で、カルギル戦争当時、パキスタンの将軍たちは、ナリズ・シャリフ首相に知らせずに、インドにたいする核攻撃の準備をすすめていたと証言したのです。リーデルの報告書には以下のように、身の毛もよだつような情報が含まれています。

       アメリカの諜報機関は「パキスタンが核兵器使用を準備しているという重大な情報」を入手していた。核兵器は実戦配備されていた。リーデルをはじめ担当官らは、インドとパキスタンが「核戦争に発展する危険のある全面戦争へとむかう死の降下をはじめている」ことを恐れた。結局、クリントンがシャリフ首相と直接話し合うことになった。

       シャリフ首相は、自分の軍隊が核兵器使用を準備していることを全く知らなかった。ちょうど、彼がアルカイダの「自由戦士」たちに管理ラインを越えて侵入させる戦略について何も知らされていなかった時と全く同じである。シャリフ首相が、ワシントンでクリントンからこの核兵器にかかわる恐るべき事実を知らされたのは74日のことである。

       パキスタン軍部は、パキスタンの核活動についての情報を完全に独占管理しており、軍人でない政治的指導者たちには、情報は全く伝えられていなかった。以前にも、ベナジール・ブット首相が、パキスタンの核能力について解説してくれとCIAに要請したことがある。彼女は首相であったにもかかわらず、軍部は彼女にその情報を提供するのを拒否したのである。

       クリントンから、1962年にアメリカとソ連がキューバをめぐって核戦争寸前までいったことを再び聞かされ、「疲れ果てた」シャリフ首相は「壊滅」の危機であることを認識し、「自分は(核攻撃準備に)反対であるが、パキスタンに帰国してからの自分の生命が心配だと言った」。シャリフ首相は、カルギル戦争を終らせることに同意したが、そのことはペルベズ・ムシャラフを激怒させた。その後、10月のクーデターが起こった。

これらの明らかになった新事実は、驚くべき事実ではありますが、これを利用して、パキスタンの軍部指導者たちの無責任ぶりや冒険主義者ぶりを強調し、あるいは彼らの不合理な計算のおかげで核戦争がおこるかもしれなかったと騒ぐのは無駄です。それはインド国民に取るに足りない慰めを与えるだけです。

なぜなら4年前にパキスタンをおだてたり、あざけったり、けなしたりして核兵器を保有させたのは、インドの指導者にほかならないからです。シャリフ首相が核実験実施を決めたのも、インドのタカ派のL.K.アドバニ内務大臣が、カシミールについて1998518日に演説し、「地政戦略的状況」が変化し、いまやインドは決定的に優位になっていると述べたからです。

このような冒険主義者で、了見の狭い、田舎者の、情報に暗い無能な偽善者たちは、またしても「限定」攻撃という、エスカレートして人々を死の灰に変えてしまう危険性のある災難を自分の国の国民にもたらすかもしれません。これをけん制し、阻止しなければなりません。

いずれにしても、ひとつ確かな教訓があります。それは、インドとパキスタンは、核兵器によって安全保障を手に入れることはできないということです。核兵器は安全を保障しないのです。逆に危険を生み出します。これは復讐の習慣のある南アジアではなおさらです。南アジア地域が核のアルマゲドンの危険から解放される唯一の道は、この地域から完全に核兵器をなくすことです。もはや時間はありません。大国が利己的な目先の利益を追求するために、バジパイやムシャラフ、特にバジパイを甘やかすのを止めなければ、南アジアから核兵器がなくなることはないでしょう。(了)