カザフスタン
国際反核運動ネバダ セミパラチンスク運動
執行書記
ゼニスグル・コナロワ
セミパラチンスク核発射実験場の環境に与えた影響
カザフスタンの民族や領土ほど、原子力産業や核その他の大量殺戮兵器生産と実験に起因する、放射線および毒物による環境汚染に苦しんでいるものはありません。またアラル海沿岸、東西カザフスタンの環境悪化にも悩まされています。
カザフスタンには軍需工場と農業生産施設が、科学的な調査の結果を無視して大量に建設されました。その結果、国内では、自浄作用や自己再生能力を失うといった、生物圏の衰退が見られるようになったのです。
公式の医学上のデータをみれば、人口学上の基本的な指標が低下しているのがわかります。例えば、全体の死亡率、子供の死亡率、自然成長率です。特に懸念されるのは、子供の罹病件数が実数で500万件をこしていることです。
重い肉体の病、腫瘍、遺伝病が増えています。被害にあっているのは第3の世代で、とくに血液のガン、白血病、精神病、そして自殺件数も増えています。これは実験場の影響圏内の危機的状況を証明しています。豊かな農耕地が、広大な汚染地域や、現在まで高レベルの放射性汚染を示す「原子」の湖などにされてしまったのです。
約150万人のひとびとが、様々な量の電離放射線の甚大な被害に、何度となく曝されました。そのうち7万人は規定量以上の量に曝され、2万7千人が予防治療対策を緊急に必要としています。
核の問題に関しては、カザフスタンは独特な国と言えます。
ここではウラン鉱石が採掘され、原子力発電につかう燃料がつくられているほか、核兵器の実験がおこなわれていました。また放射性廃棄物が埋め立てられており、ソ連の核ロケットSS−20が解体されたりもしました。
私たちは、これまでずっと環境戦争を生き延びてきました。
カザフスタンでは、この地球上でもっとも頻繁に核爆発が起きており、そのため深刻な環境問題の震央となっているのです。軍需工場の稼働のせいで、今日でも広大な土地の水や動植物が汚染されたままです。
カザフスタンおよび中央アジア諸国が懸念するのはまた、中国のロプノール実験場で行われている核実験です。医師によるデータでは、中国国境周辺の子供達の腫瘍罹病件数は、30倍にも跳ね上がっているのです。
旧セミパラチンスク実験場の域内でおこなわれている放射性廃棄物の埋め立ても不安を呼ぶものです。一体、40年間も実験が行われてきて地殻がひび割れているところで、どうやって密閉性を保障できるでしょうか?こういった関係で、中央アジア全域におよぶ環境汚染の危険性という問題がわき上がってくるのです。共和国内だけでも原子力産業が始まって以来、4億トンもの放射性廃棄物が35キロ平方キロメートル以内の何百ヶ所かに埋め立てられているのです。
われわれの共和国内には環境的に汚ない原子力産業施設が集中しています。反核運動「ネバダ・セミパラチンスク」に参加しているカザフスタンの反核科学者・専門家の評価では、カザフスタンは、市民社会は核の時代を生き残るかという大規模で深刻な問題の中心にあるだけでなく、同時にユーラシア大陸でもっとも環境的に無防備な地域になってしまったのです。
アラル海沿岸とセミパラチンスク実験場に隣接する地域は、環境的に貧しい地域として世界的に有名になってしまいました。
大規模な核虐殺、自然の虐殺の震央としてのカザフスタンの環境状態に関する問題提起は不可欠だと、私たちは考えます。また、共和国の環境問題を認識することが人類の死活問題にも関わる重要なものであり、すべての国がそのための努力を結集してはじめて人類を救うことにもなるのです。
反核のテーマは、私たちの生活の中で特に重要かつ現実的であるとみとめるなら、世界でもっとも危険な核実験場−広さ18,000平方キロメートルのセミパラチンスク実験場 を活動停止に追い込んだ運動の主な流れを振り返っても、無駄ではないでしょう。
1949年から89年の40年間に、実験場での核爆発が473回、内訳として空中爆発が90回、地上爆発が26回、地下爆発が354回行われました。
一連の会合や行動(国際行動を含む)、平和行進、長距離バイクマラソン、会議(学術会議を含む)、「円卓会議」、国際集会などを通じ、法案編成や反核環境のテーマに関するプログラム開発の面で、積極的な貢献をすることができました。(例えば、カザフスタン共和国法「セミパラチンスク核実験場の被害をうけた市民の保護法」の制定、「土壌と人体の再生」プログラム、実験場周辺地域の被害者に対する医療・人道援助、提議委員会と、29の専門家会議からなる「汚染、環境、健康」委員会の設立、1990年、93年、2000年と、3度の国際会議開催、情報公開。「汚染、環境、健康」委には300人のカザフを代表する科学者が結集しています。)
これは「ネバダ・セミパラチンスク」の11年間にわたる活動をすべて数え上げるにはほど遠いものです。
運動の立ち上げ(1989年2月)以来、上記のほぼすべての催しの準備と実行に、私もささやかながら努力してまいりました。
2000年5月17日から20日にかけて、カザフスタンの首都アスタナで第3回地球反核同盟国際会議が開催されました。
同僚の皆さん、この会議の成果の要点を集めた論集にご注目いただきたいと思います。これは国際反核運動「ネバダ・セミパラチンスク」代表、オルジャス・スレイメノフによって署名されています。
第3回地球反核同盟国際会議決議より以下を引用します。
1 大量殺戮兵器の被害にあった地域住民の健康状態を国際的に観察したデータに留意し、本会議はセミパラチンスク地方を、大量殺戮兵器の実験で破壊された自然の回復モデル特別区とし、科学的実験場として観測することを提案する。
2 すでに多くの国々が国家レベルでの問題解決に向けた法を採択している。会議は、これが全人類的な性格を持つことを視野に入れ、「核(化学、細菌生物)兵器や核・原子力産業の被害を受けた地球上のあらゆる地域の人々の保護に関する」国際法案の討議に入ることを提案する。
3 2001年にアルマトィで、インド・パキスタンほか「境界」諸国の指導者による「円卓会議」を組織・開催する。
第3回地球反核同盟国際会議よりコフィ・アナン国連事務総長に宛てたメッセージから以下を引用します。
『尊敬する事務総長閣下!
・・・形式的論理学から言っても明らかに正しい唯一の答えは、21世紀にはいかなる国も、核、化学、細菌生物兵器などの大量殺戮兵器を所有する権利を有してはならないということです。
もし、たった一つの国にでも許されてしまうならば、ほかのすべての国にも許されてしまうでしょう!
誰に対しても許可しないこと、大量殺戮兵器を違法とすることこれこそ、人類を救う唯一の正しい方法です!
ですが、こんにち5大国に対し核軍備を放棄させられる勢力があるでしょうか?
諸民族や大国指導者の健全な考え方、国連その他の国際機関のたゆまぬ努力に期待をよせるほかありません。何よりも地球反核同盟に寄せる期待は大きいのです。
第3回地球反核同盟国際会議は、実現可能と思われる完全核軍縮計画を提案します。
第1段階 アメリカとロシアが同意しうる最低限まで軍事力を削減する。90年代末にすでに着手されているものだが、もし世界が米ロ間の二面的な合意を、来るべき「大量殺戮兵器の完全禁止に関する」条約の構成の一部として認めるなら、そのテンポは速まりうる。
第2段階 核兵器は国防手段としての地位を失う。人類に向けられる武器から「アメリカの」「ロシアの」「中国の」といった国名の形容詞が消える。
世界の軍事力は合意されうる限り(核弾頭数十発)まで削減され、人類の武器として国連安全保障委員会の法的管理下におかれる。つまり、大量殺戮兵器の完全禁止に関する条約に違反しうる体制を抑止する手段として扱われる。
全体の内容を含む、会議の最終文書は報告書に追加されている。』
親愛なる友人の皆さん!
いまこそ、核兵器の完全禁止と廃止を要求するときです。ともに、核兵器の使用と保存の完全禁止を早急に実現するために行動しましょう。これは日本とカザフスタンの被爆者の、心の叫びなのです。
そのようになるでしょう!
核のない21世紀を!